ジェンダー研究会の開催

 2013年6月28日、UTCMESは「革命後のチュニジア:女性の地位とジェンダー関係はどう変化するのか」と題する研究会を以下のとおり開催しました。



(1)「チュニジアにおける若者と女性の失業および雇用問題」

   報告者:細井由香(桜美林大学大学院)



 チュニジアでは、2011年1月の「ジャスミン革命」によってベン・アリー政権が崩壊し、23年におよぶ独裁体制に幕が引かれた。この政変は、さらに「アラブの春」と呼ばれる中東民主化運動の発端となり、世界中の注目を集めることとなった。チュニジアでの革命の背景には、長年にわたる失業と経済・社会的な地域間格差という大きな問題が潜んでいた。特に、高学歴の若者と女性の失業は、革命後のチュニジアの開発政策の中でも早急に解決されるべき政策課題となっている。また地域間格差の是正に関しては、2012年-2016年期のチュニジア発展戦略の中で、低開発地域である内陸部の発展促進と、それに伴い若者や女性がそこでの生活拠点を見いだせるような雇用創出の仕組みの強化を図ることが示されている。

 地域間格差や失業問題においては男性よりも女性がその影響を受けていることが明らかとなっている。男女別の失業率の推移を見てみると、2008年時点では男性11.2%、女性15.9%であるのに対し、2011年では、男性が15%、女性が27.4%であり、男女間の差が大きくなってきたことがわかる。このような状況下、近年チュニジアにおいても女性が起業することへの関心が高まってきている。

そこで本報告では、まずチュニジアの若者と女性の失業および雇用の現状について、主に統計資料から明らかにし、そのうえで報告の後半では、特に女性の失業率が高い低開発地域に焦点をあてて、筆者が実施した女性企業家の活動事例を紹介しつつ、今後のチュニジアの女性の経済活動への参加の可能性について検討した。

 チュニジアの革命から2年経った現在、国内のイスラミストの動向が注目されるようになり、政情は未だ不安定な状況となっている。さらに、今年2月に野党勢力のリーダーであり、イスラーム主義批判の急先鋒であったベライド氏が暗殺されて以来、経済活動は大きな翳りの中にある。このような状況を鑑みると、若者や女性の経済活動への参加の促進は、国家の長期的な経済発展への貢献という点でも、今後ますます注目されることだろう。



(2)「チュニジア家族法、イスラームとジェンダー」

   報告者:桑原尚子(高知短期大学)

 

 報告者はこれまで、マレーシアを中心にムスリムの家族法、イスラーム金融取引法及びイスラーム証拠法について、「現代化」という側面から、とくに比較法学の法移植又は法継受に着目して研究してきた。昨年度より、科学研究費補助金・基盤(c)「イスラーム離婚法制の比較法的研究」〔課題番号24530016〕を受給して、マレーシアと中東のイスラーム家族法の比較研究へ着手している。

 チュニジアに関して報告者が設定した課題は、なぜ、チュニジアではイスラーム法学(フィクフ)のジェンダー関係を修正した家族法典制定が可能だったか、その法理又は法的根拠は何か、ジェンダー平等という観点から進歩的と評される同法典の実際の運用はどうか、そして「アラブの春」は、ジェンダーに関する権利義務関係へ影響を及ぼしているか、であり、本報告は、これら課題を検討する上での前提作業に位置づけられる。報告では、まず、法典化されたムスリム家族法におけるジェンダー関係の根底には、保護者・扶養者(qawwa(_)m)の概念とそこから派生する夫の扶養義務と妻の従順義務という夫婦の対価的な権利義務関係があると捉えて先行研究を整理した。次いで、ジェンダー平等の観点から設定されたメルクマールに照らして同法を概観し、「扶養と従順」という対価的関係に立つ権利義務について、その沿革及び規定を検討してその特徴を示した。最後に、今後の研究課題として、家族法典における「慣行及び慣習にしたがった婚姻に係る義務」の解釈、家族法典施行後の「社会」の同法典への適合の問題を指摘した。

 

(3)「革命後のチュニジアにおけるジェンダー関係」

   報告者:辻上奈美江(東京大学)



 アラブ諸国のうちもっとも早く女性に権利を付与した国チュニジアで革命が起き、イスラミスト政権が誕生した。革命はジェンダーの観点からどのような意味を有するのか、そしてジェンダー秩序にどのような変化をもたらすのか。本報告では、チュニジアに端を発する「アラブの春」を通じて、政治とジェンダー秩序がいかに相互に関連しているのか、あるいは政治変動がいかにジェンダーを規定するのかについて考察した。

 報告者は、チュニジアで起きたジャスミン革命を世界システム論の観点から、二重の周縁で起きた革命と位置づけた。チュニジアの内陸部シディブーズィードにおける焼身自殺は、先進国から見た周縁、チュニジア沿岸部から見た周縁で起きた。そして、焼身自殺の背景には、権力関係が二重に逆転する現象も起きていた。それはインフォーマル部門で働く男性露天商がフォーマルセクターの女性警官に殴られるという権力関係の逆転であり、女性が男性を殴る暴力の方向性の逆転である。

 チュニジアは独立を果たした1956年に制定された家族法において、複婚禁止、女性からの離婚申し立てなどイスラーム法と異なる条項を定めた。このようなアラブ世界では画期的な法の制定は、当時のブルギバ大統領の近代主義・改革主義理念を示すためであったとされている。2011年の革命でベン・アリー政権が倒れると、ムスリム同砲団系のナフダ党が政権を握った。かつて1985年に1956年に制定された家族法改定に向けた国民投票を要求した同胞団が政権を掌握したことで、革命後、チュニジア人フェミニストらの間で、女性の権利が後退するのではないかとの懸念が広がった。実際に2011年1月17日に樹立された移行政権では、女性大臣は2人のみであった。首相と大統領は、「革命の目的、政治改革と民主的移行を実現するための最高評議会」を設置したが、同評議会においても145人の評議員中、女性は30人のみであった。他方で、ジェンダー平等に配慮する法整備も行われている。2011年5月にはジェンダー平等法案が通過し、すべての政党の立候補者の半数以上を女性とすることが定められた。同年10月23日に実施された憲法制定会議選挙では、約5,000人の女性候補者が憲法制定会議選挙に立候補した。ナフダ党は最多数の女性候補者を擁立した。また、ジェンダー平等法では、女性の大学でのヴェール着用、ヴェールを着用したID写真、男性がヒゲを蓄えたID写真などを許可した。目だけを出すニカーブについては禁止されたものの、従来の権威主義政権下で禁じられてきた宗教的実践を容認する方向へも向かっている。

 チュニジアの革命がジェンダー関係にもたらした結果は、政治的側面のみに着目すれば現段階では両義的である。しかし、チュニジアの政権崩壊とその後の観光業の衰退、治安の悪化などがジェンダー関係にもたらす影響も軽視できない。今後の研究では、より多角的な視点からチュニジアにおけるジェンダー関係について考察したい。