本領域の概要
1. 本領域の目的
性を二つに分けることの限界
生物の性はこれまで長きにわたって、オスかメス(男性か女性)のいずれかに分類されるものとして捉えられてきました。その一方で、このような二項対立的な性の捉え方では説明がつかない様々な事象が古くから知られていたのも事実です。
例えば、典型的な男性・女性の枠に収まらない人の存在は昔から認識されてきましたし、自然界に目を向ければ、多くの動物種で、メスのような外見や行動を示すオスや、精巣と卵巣を同時にもつ個体などが見つかっています。さらには、生活史の途中で性を変える動物種も多く存在します。
これらはあくまで例外的な性の表現型と見なされてきましたが、ここに来て、種々の実験動物を用いた私たちの研究でも、ややメス寄りの性質を示すオス、逆にオス寄りの性質を示すメスなど、典型的な雌雄の間に位置する様々な性の表現型が見出され始めました。
「性スペクトラム」の概念のもと性を再定義する
私たちは、これらの事象をどう解釈すればよいかについて議論を重ねてきました。その結果、これまでは二項対立的な表現型と捉えてきた雌雄を、連続する表現型として捉え直すことによって、上記の事象を含めた性に関する様々な現象を統一的に説明できるのではないか、と考えるに至りました(図1)。
このオスからメスへと連続する性の表現型を性スペクトラムと呼ぶことにしました。本領域ではそのような視点のもと、様々な動物種や実験系を用いて雌雄の連続性を検証するとともに、個々の性がその連続性の中に位置付けられるメカニズムを解析します。そのような研究を通して性スペクトラムの姿が明らかになれば、性の「再定義」につながると考えています。
図1 性スペクトラムの概念
2. 本領域の内容
性スペクトラムの特徴
私たちは、性スペクトラムには以下のような六つの特徴があると想定しています(図2)。
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01
定位・可動性
性は、スペクトラム上の位置として決まり(定位し)、かつ移動が可能である。
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02
定量性
性スペクトラム上の位置は、オス化のレベル(強弱)やメス化のレベル(強弱)を示し、種々の指標によって定量的に議論することが可能である。
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03
階層性
性スペクトラムは、細胞・器官・個体の各階層で成立し、器官の性スペクトラムは細胞の性スペクトラムの総和として、個体の性スペクトラムは器官の性スペクトラムの総和として捉えられる。
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04
遺伝要因
個々の細胞は、性染色体上の遺伝子による遺伝的基盤によって、それぞれ独自に性スペクトラム上に定位する能力を有する。
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05
内分泌要因
細胞・器官の性スペクトラムは通常、内分泌の作用によって同調するが、乖離することもある。
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06
環境要因
このように遺伝要因と内分泌要因によって成立する性スペクトラムは、様々な環境刺激によって修飾・撹乱される。
図2 性スペクトラムの特徴
三つの研究項目
このような想定のもとでは、(1)遺伝要因による細胞自律的な性スペクトラムの成立メカニズム、(2)内分泌要因による細胞や器官の間での性スペクトラムの同調メカニズム、そして(3)個体内外の環境要因による性スペクトラムの修飾・撹乱メカニズムを理解することが、性スペクトラムの理解には必要不可欠です。そこで本領域では、これらのメカニズムに焦点を当てた三つの研究項目を設定しました。
- A01 遺伝要因と性スペクトラム
- A02 内分泌要因と性スペクトラム
- A03 環境要因と性スペクトラム
これらの3要因が細胞、器官、個体の各階層における性スペクトラム上の位置の定位と移動をどのように制御するかを明らかにすることで、スペクトラムとしての性の特性を理解することを目指します。
また、性を連続するスペクトラムとして捉える際には、オスの特性とメスの特性における強弱のレベルを考慮する必要があります。したがって本領域研究では、これまでのようにオスかメスかという定性的な視点からの検討ではなく、種々のパラメーターについてオス化の程度(強弱)とメス化の程度(強弱)を定量的に解析していきます。
3. 期待される成果と意義
性にかかわる現象の統一的理解
上記のような視点で性を捉え直し、性の特性を明らかにしていくことで、従来の二項対立的な性の理解からは説明が難しかった現象にも、統一的な説明を与えることが可能となります。
例えば、ヒトの性別違和は脳とその他の器官の性スペクトラムの乖離として、爬虫類や魚類の温度による性の決定や性転換は生殖腺(性線)の性スペクトラム上での位置の移動と捉えることができます(図3)。また、外性器や性腺に男女の中間的な表現型を示すヒトの性分化疾患も、性スペクトラム上の典型的な位置からの移動として理解することが可能となります。
図3 性スペクトラムにより説明可能となる現象
性の多様性に対する文化的・社会的理解
我が国を含めた多くの国では、セクシャルマイノリティを含めた多様な性の在り方に対する文化的・社会的理解は未だ不十分です。一般には雌雄は二項対立的なものであると捉えられているため、性に多様性が存在することを容易に受け入れる下地が、社会にはまだ形成されていないのです。
性の多様性をごく自然なものとして受け入れることができる成熟した社会を作り上げるためには、男女・雌雄は二項対立的なものという一般認識とは相反する性の多様性が、なぜ現実に生じているのかを理解することが必要不可欠です。本領域で得られる成果は、この疑問に回答を与え得ると期待されます。
医療分野に対する貢献
本領域での成果はまた、臨床医学にも貢献し得ると考えられます。性分化疾患や性成熟疾患の発症機序の解明、生殖機能障害に対する新規治療法の開発、性差医学・性差医療の推進などの一助となることが期待されます。