Researches

”生命らしさ”を追求する合成化学の研究室

                                 

はじめに

当研究室は,有機化学・高分子化学をベースに,生命科学や物質科学の課題に挑戦する研究室です.有機分子や高分子をマイクロメーターサイズまで集合化し,その分子の化学反応や動きをトリガーとして分子集合体のダイナミクスを誘導することで,階層化した時間発展システムや,階層化した機能をもつ物質をつくりあげることに力を注いでいます.

ジャイアントベシクルの形態変化

例えば,細胞は外部環境応答や内部状態の変化から形態を変え,またその形態変化から内部状態を変え,外部と自己の境界を維持しています.このような複雑なダイナミクスの本質を理解するには,細胞内部や膜の成分全てについて,一つ一つの分子のはたらきをつぶさに調査するだけでなく,それら分子を最小限の種類にだけ絞って再構成した有機分子集合体を構築し,その作動原理を解明する構成的研究が重要です.当研究室では,膜成分の主成分であるリン脂質など両親媒性分子(油にも水にも溶解する分子)のみを用いて,細胞と同程度の大きさをもつ袋状人工生体膜(これをジャイアントベシクルといいます)を構築し(図1),ジャイアントベシクルそのものの形態変化がジャイアントベシクルを構成する膜や内部の分子のいかなる状態変化によって作動されるのかについて研究を展開しています.これまで,構成分子の化学反応によってある時刻にだけ発生するジャイアントベシクル,外部から構成分子前駆体を取り込み内部で分子変換することで増殖するジャイアントベシクルが見出されました.現在,生体高分子や高分子微粒子をジャイアントベシクルの内部に閉じ込めた人工細胞を構築し,人工細胞の内部や膜の分子の状態変化と人工細胞そのものの形態変化とのダイナミックな相互作用について,光学顕微鏡や細胞流れ分析装置(フローサイトメーター),マイクロ流体デバイスを用いて解析しています.

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図1 ベシクル構成分子(リン脂質)とジャイアントベシクルの光学顕微鏡像.球状だけでなく,赤血球形状やチューブなども形成できる.

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東京大学出版会「生命の起源をさぐる」(分担執筆)

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羊土社「細胞を創る・生命システムを創る(実験医学増刊)」(分担執筆)

油滴の遊走現象

水中のマイクロメーターサイズの油滴に,両親媒性分子である界面活性剤(例えば洗剤)を加えると,油滴は界面活性剤の乳化作用によってたちまち水に溶解します.しかし,その油滴に予め界面活性剤を分解できる触媒を仕込んでおくと,界面活性剤添加時に油滴は溶解せずに,むしろ界面活性剤を取り込み分解しながら水中を遊走するという現象が最近見つかりました(図2).興味深いことに,その油滴の内部では対流が誘起されており,その内部対流の合一や離散が油滴そのものの運動方向と連動していることが判明しましたが,そのメカニズムはまだ解明できていません.当研究室では,両親媒性分子の化学反応,油滴内部の対流,油滴の遊走,遊走する油滴の群れというダイナミクスの階層をつなげて理解することを目指し,油滴の分子や両親媒性分子の設計・合成をして,それら分子がみせる油滴の遊走現象を多角的に追跡・計測しています.また,この現象を利用してマイクロリアクターの開発を同時に進めています.

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図2 両親媒性分子の水溶液中で遊走する,粒径100 umほど(ゾウリムシと同じ大きさ)の油滴の光学顕微鏡像.油滴には両親媒性分子を加水分解する触媒が仕込まれている.

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技術情報協会「エマルションの特性評価と新製品開発、品質管理への応用」(分担執筆)

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Intech "Biodegradation"(分担執筆)

不均一な内部状態をもつ有機分子集合体のヒステリシス

生命らしさの特徴の一つとして,不均一な内部構造を形成し保持して,環境からの影響を時間軸に沿って内部へ溜め込み,内部状態の変化や書き換えにより,自身の環境応答を変化させる性質が挙げられます.一方で,有機物や高分子の薄膜や液晶,ゲルでは,外部から刺激(光,音,電場,磁場,熱,圧力,化学反応など)を受けると,その刺激の大きさだけでなく,過去にどのように刺激を受けたかに応じて不均一な内部構造が自然につくりだされて物性が変化する履歴現象(ヒステリシス)が知られています.そこで,細胞および多細胞体のサイズで不均一な内部構造をもつ分子集合体が示す物性のヒステリシス,柔軟性や塑性に着目し,研究を展開しています。

以上のように,私たちは生命のもつ“柔らかさ”や“しなやかさ”を有機分子や高分子が集合化して初めてあらわれる動的システムとしてとらえ,これを人工的にモデル構築し作動原理を解明することで,生命科学や物質科学の発展に貢献したいと考えています.

講義科目・学生実験

物質の状態変化を,微視的にも巨視的にもとらえる科学を学ぶための講義と学生実験を担当しています.身近にあふれる自然界の本質の解明,さらには最先端の高機能性材料の開発や新たな生命現象の発見まで,これらは原子や分子の性質や,分子間の相互作用を理解することから始まります.特に,分子の形と,分子間の反応および相互作用とをキーワードとして,分子が組織化したシステムとしての自然界をどう理解し,また新たな機能をもつ物質はどう創出されるのか理解を深めることを目的とします.

2024年度の講義では,「物性化学」で,原子・分子の電子の量子的ふるまいから,熱物性,反応性,光学特性,磁性,導電性,機械特性を理解する基礎的な考え方を解説します(学部2年生対象).「有機化学II」では,有機分子や高分子の構造や反応の理解を深め,超分子の構造と機能の概論を説明します(学部3年生対象).そのうち,分子性組織膜と生体反応を「構成・システム生物学」(分担;学部2,3年生対象)で,リズム・パターンの非線形現象および有機物性化学を「分子システム論」(分担;学部4年生対象)でそれぞれ専門的に解説します.「分子機能学II」(分担;大学院生対象)では,生命現象を実験物理・実験化学で構成的に理解する研究の先端を紹介したり文献を輪読します.学年を問わず,聴講は歓迎します(単位や成績評価については教務事務に問い合わせてください).

◇講義

    ◇実験・実習

    • 教養学部前期課程 1,2年夏・冬学期(全学ゼミ) 
      「生命の普遍原理に迫る研究体験ゼミ」
      "専門書の輪読や細胞再構成実験を通じて、細胞構造の成長分裂の物理・化学を学ぶ"
    • 教養学部前期課程 3年夏学期 
      「物質基礎科学セミナー」化学パート
      "有機化合物の基礎化学"
    • 教養学部統合自然科学科 3年夏・冬学期 
      「物質科学実験I・II」有機化学パート
      "有機合成・有機結晶化学・分子軌道法を学ぶ"
    • 教養学部統合自然科学科 4年夏学期 
      「物質科学実験III」「統合生命科学特別研究」
      "有機合成・光学計測を学ぶ"
    ◇俯瞰型講義

    • 教養学部前期課程 1,2年冬学期(分担) 
      「分子システムの化学」→学内専用システム(ITC-LMS)
      "分子集合体の形成原理、顕微鏡法を学び、原始細胞モデル研究の概要を解説する"
    • 教養学部統合自然科学科 2年冬学期(オムニバス) 
      「生命科学概論」
      "リポソームを基盤とする細胞再構成法の解説"

    ◇他学部・他大学

    • 2022-2024 法政大学生命科学部
      「計算機科学概論I」「計算機科学概論II」
    • 2015-2023 千葉大学大学院医学薬学府 系統講義(オムニバス)
      「生命情報科学(細胞構成の科学)」
    • 2017-2023 東京理科大学工学部 工業化学特別講義(オムニバス)
      「人工細胞型センサーを創る」
    • 2020 立教大学大学院理学研究科 集中講義(分担)
      「特別講義4(分析化学特論)」
    • 2019 早稲田大学先進理工学部 集中講義(オムニバス)
      「システム生物学」
    • 2017,2018 法政大学生命科学部
      「生命科学データベース論・演習」
    • 2017 広島大学総合科学部 特別講義
      「物理科学特論(細胞構成化学論)」
    • 2015,2016 法政大学生命科学部
      「情報処理技法」
    • 2014 法政大学生命科学部
      「蛋白分子設計(医用生体工学)」
    • 2012 東京工業大学大学院総合理工学研究科 特別講義(分担)
      「生命システムを創る・操る」
    • 2011 早稲田大学理工学術院 特別講義(オムニバス)
      「"細胞を創る"科学」

    Q&A

    • 細胞サイズにこだわる理由は何ですか?
    理由は3つあります.1つ目は、分子集合体のダイナミクスを光学顕微鏡でリアルタイムに観測できたりピペットなどで1つ1つをハンドリングできるためです。これは最新の計測技術やマイクロ加工技術と融合させることで、スピード感をもって進化し続ける刺激的な研究領域の1つになると豊田は考えています.2つ目は、細胞サイズの領域は、ナノメートルサイズで議論されてきた分子間相互作用と、ミリメートルサイズで扱われてきた界面張力などのマクロな相互作用との境界にあたり、分子集合体のダイナミクスに分子の個性が現れやすい(制御するのもチャレンジングで面白い)と考えているからです.最後の理由は、「分子が集合して、ユニット化し、分子1つ1つではみせない機能をもつ有機分子集合体」とされる"超分子"という概念に対し、さらに空間構造の階層が上がることで何がみえるのか、そこに生命らしさがあるのかもしれないという、豊田の直感があるからです.

    • 最終目標は本当の細胞をつくることなのでしょうか?
    これの答えはNoです.豊田は,人工細胞という位置づけで分子集合体を創成する研究に興味があり、これこそが生命科学や物質科学に貢献できる研究手法だと考えています。細胞そのものをつくるには、細胞の構成成分をバラバラにして、再構成することになります。現在の分子細胞生物学での知見では、細胞1つ1つをみると、同一の物質群で均質な成分比で空間的にきちっと相違なく詰まった有機分子集合体とはいえませんので、再構成するにしても、その実験の再現性はきわめてゼロといわざるを得ません。それでも、細胞のもつ”柔らかさ”や”しなやかさ”が、自己複製やホメオスタシス、進化など魅力のある高次機能に必須であることは確かです。したがって、細胞の柔らかさやしなやかさを追求するために、例えば自己複製というダイナミクスを示す分子集合体を定義し、それを再現性よく実現する構成論的アプローチが重要であると考えています.

    • 駒場で化学の研究をするメリットは何でしょうか?
    本郷キャンパスでも柏キャンパスでももちろん化学を研究できますが,駒場の化学,中でも本研究室では,合成化学(新しい物質を創る)と計測分析化学(新しい計測分析方法をつくる)を両輪として研究を展開するため,卒業後に研究機関や産業界などで通用するシナジー的思考力(新しい物質や機能をつくる→なぜその機能が現れるかを測る装置・手法をつくる→得られた知見から,さらに新しい物質や機能をつくる→・・・)を身につけることができます.これこそが基礎科学の武器だと思いますし,駒場で研究する大きなメリットです.また,一学年につき数名のみという非常に限られた規模で学生院生を受け入れますので,指導教員と多くの時間をディスカッションできるのも魅力ではないでしょうか.豊田自身も教養学部基礎科学科(統合自然科学科の前身)および広域科学専攻相関基礎科学系の卒業生です.同級生や後輩・先輩の多くは,大学・研究機関や企業の研究者となって活躍していますし,研究方面でない進路にすすんだ人たちも,会社を立ち上げたり,資格を取って独立したりと活発に活動しています.本研究室の卒業生もまた,研究生活を通じて得られる専門知識のみならず”ミクロとマクロな視点で階層を理解し問題解決する”能力をもって社会で活躍することを切に願っています.

    • 豊田研では何故共同研究が多いのでしょうか?
    共同研究とは,研究者どうしのコミュニケーションの産物であり,互いの学問的立場への理解があって初めて成立する研究活動です.だからこそ、オンリーワンをつくりだせる大きなきっかけになると豊田は考えています.異分野の研究者でも学生でも,理解しあえば,普段のなにげない会話の中にも何か面白いアイデアが潜んでいます.本研究室では,研究ミーティング,セミナー,研究交流会,懇親会など,普段から他研究室とコミュニケーションできるきっかけをつくり、異分野を通して自らの研究分野の基礎を理解する機会を多く設けています.その中で共同研究へと進展することがあれば,それは研究室主宰者としての喜びであるともいえます.

    • 豊田研では何を身につけることができますか?
    4つあります.まず,研究を楽しむマインドです.世界で初めての実験を行うのですから,ずっと正解というものがありません.したがって,実験結果を常に論理的に批判的に見通し,真摯に実験を続け,そして,研究の要点をわかりやすく将来展望(夢)とともに話す・書く,という積極的な活動を日々推奨しており,そのマインドこそ,高校や大学の学部では学べないものです.特に,本研究室での研究の醍醐味は,(i)世界で誰も行ったことのない実験をする,(ii)見つけた現象について,論理的に批判的に実験データを積み上げて解明する,(iii)短い時間(数分間程度)でテーマや現象の面白さを論理的にまとめて説明する,であると豊田は考えています.次は,仲間づくりです.実験や思考は多くの場合一人で行いますが,大学院生であっても,より大きな研究テーマには,チームという協力関係のもとで実験を進め挑戦してゆくことが必要になります.本研究室で展開されている共同研究に携わると,より広い仲間づくりや世代をまたぐ科学コミュニケーションを学ぶことができます.3つ目,いくつかの学問体系を同時に身に着けることができます.本研究室は,有機・高分子合成と光学計測が主軸です.研究室に所属する段階では,どちらか得意の(もしくは好きな)方から習熟してもらいますが、卒業時には双方,及び,研究課題によっては,他の学問体系(界面化学,電気化学,物性化学,分子細胞生物学,ソフトマター物理学など)も習得していることが期待されます.最後に,化学の実験系研究室ならではの特徴として,危険予測,事故等応急対処,ヒヤリハット,リスクコミュニケーションなど,安全に研究開発を行うメソッドも,卒業生がその後の人生で活用しうる重要なものと豊田は位置づけています.