研究内容

無機元素には様々な特性があり、生命はこれらを巧みに扱う機構を有しています。生命活動に必要な必須元素を体内で利用している一方で、生命活動を妨害する元素は体内から排除されます。無機元素の必須元素としての化学過程や毒性元素排除の分子機構を解明することは、生命活動そのものを理解することになると考えています。また、無機元素を鉱物化することで様々な性質を持つ素材を作りだす生物が存在しており、このような素材には真珠や金属ナノ粒子など産業的価値が高いものも存在しています。これらの生産機構の解明は新規素材の開発や低コスト化等に貢献できるものと考えています。そして、このような研究を推進していくために必要な、新たな分析法の開発も行っています。このように、当研究室では生物無機化学と分析化学という二つの柱を中心とした研究を進めています。

1. 生体鉱物化(バイオミネラリゼーション)機構の解明

生物は有機物を主成分に構成されていますが、様々な無機物質も含むことが知られています。ヒトの歯や骨、貝類の貝殻、エビやカニの外骨格などが代表的なもので、これらはカルシウムを含む鉱物を主成分としています。これらの鉱物はそこに少量含まれる有機基質と有機・無機の相互作用をしており、非常に緻密な構造を持つことから優れた強度や材料特性を有しています。しかしながら、このような生体における鉱物がどのような有機分子の調節を受けて形成されるのか、その分子メカニズムについては不明な点が多く残されています。この未知の分子メカニズムを明らかにすることで、新規の高機能材料の創成に貢献したり、生体鉱物を有する生物の有効利用に役立てていきたいと考えています。

バイオミネラリゼーション = 鉱物 + 有機基質

鉱物を制御する生体内の分子メカニズムを化学的視点から解明する →「Biomineralogical Chemistry」

最近の主な研究テーマ

アコヤガイ貝殻内の炭酸カルシウム結晶の形成を制御する有機基質に関する研究

アコヤガイは日本では真珠養殖に利用される貝として知られており、その貝殻は炭酸カルシウムを主成分とする様々な構造から構成されています。 貝殻の内側は光沢のある真珠層、貝殻の外側は稜柱層と呼ばれる構造から成ります。稜柱層のさらに外側には石灰化をしていない殻皮によって覆われています。 貝殻の蝶番部分は貝殻の開閉のために伸縮する構造である靭帯が存在します。

アヤコ真珠/アコヤガイ貝殻

アコヤガイの各層を顕微鏡を用いて拡大し観察すると、非常に緻密な構造をしていることが分かります。真珠層の光沢は、このような層状の構造が積み重なったところに光が入射し光の反射と干渉作用によってできるものです。このような微細構造は真珠層だけではなく、様々な生体鉱物において見られます。単なる無機化学反応によってはこのような精密な構造を形成することは難しく、そこに少量含まれる有機基質の働きによってその形成が制御されていると考えられています。有機基質と鉱物結晶は下に示す模式図のように階層構造をとると考えられております。すなわち不溶性の有機基質の骨格が結晶形成の足場を形成し、そこに不溶性の結晶外有機基質が結晶と有機基質の骨格の仲介を行い、結晶の核形成、結晶方位、多形の制御を行うと考えられます。そして、結晶内の有機基質が結晶の成長と形態の制御を行うと考えられます。

貝殻の微細構造

これまで私達はアコヤガイの真珠層から新規の基質タンパク質Pif、稜柱層からはprismalin-14、殻皮からはPPP-10、靭帯からLICPを明らかにしました。Pifは1つの遺伝子にコードされたPif 97とPif 80の二つのタンパク質から構成され、これらは翻訳後修飾であるdibasic siteの切断により二つのタンパク質になると考えられます。Pif 97はタンパク質間相互作用を行うVWAドメインとキチン結合ドメインを有しており、Pif 80は酸性アミノ酸と塩基性アミノ酸に富む配列を有しアラゴナイト結晶と相互作用しました。50年ほど前から真珠層にはアラゴナイト結晶と相互作用する酸性の有機基質分子があることが示唆されてきましたが、Pifは真珠層に特異的に含まれアラゴナイト結晶と相互作用する酸性分子として初めてその配列と機能が明らかにされました。

Pifの構造模式図

このように私達はアコヤガイの様々な貝殻微細構造から炭酸カルシウム結晶と相互作用し、微細構造を形成する有機基質の機能を明らかにしてきました。しかしながら、ナノ結晶のサイズや形態の制御、結晶欠陥の密度制御、有機基質ネットワークの局在化や結晶形成初期の不定形状態の持続機構など、未だ明らかになっていない分子メカニズムが数多く残されています。現在はアコヤガイや他の軟体動物、また軟体動物以外の生物種を用いて、有機-無機相互作用に関係する生体鉱物化現象について化学的視点から研究を行っています。

2. 微生物を用いたナノ粒子生成機構

金属や半導体などの無機材料は、粒子径をナノメートル単位まで小さくすると、バルクでは見られない物性を示します。この効果は量子サイズ効果と呼ばれており、特徴的な呈色や高い触媒活性などを示すことが知られています。このような微粒子は化学分野のみならず産業や医療でも広く利用されていますが、これらの生成には高温高圧下での反応などが必要であり、環境に大きな負荷がかかっています。近年、微生物を用いたナノ素材の生成が報告されています。この方法は温和な条件で生成反応を行うことができるため、環境に優しいナノ粒子生成方法として期待されています。

最近の主な研究テーマ

乳酸菌を用いた金ナノ粒子生成

金属ナノ粒子の中でも汎用性の高い金ナノ粒子 (AuNPs) は1-100 nmの粒子径を持つ金の微結晶であり、表面プラズモン共鳴 (SPR) により、そのコロイド溶液は鮮やかな赤色を呈します。古くはステンドグラスの染色材料として用いられ、透過型電子顕微鏡 (TEM) の免疫細胞マーカー、DNAの一塩基多型 (SNPs) の検出、インフルエンザなどの診断にとって、必要不可欠な光学材料となっています。
AuNPsは塩化金 (III) 酸溶液にクエン酸を添加し加熱することで生成されていますが、近年、微生物を利用した生産方法が報告されており、化学的手法と比べて温和な条件で行える新しいAuNPs合成方法として注目されています。AuNPsの合成にはAu (III) の還元剤、およびAuNPs間の凝集を抑える分散剤が必要だと考えられています。本研究室ではAuNPsを生成する微生物として乳酸菌L. caseiを用いて生成機構の解明を行っています。

L. caseiと塩化金 (III) 酸溶液を混合してインキュベートすると、赤色を呈しました。このサンプルを透過型電子顕微鏡(TEM)で観察すると、インキュベート前では観察されなかったナノメートルサイズの黒点が多く観察されました。すなわち、インキュベートによって電子密度が高い金ナノ粒子が生成し、そのSPRによって溶液が赤くなったと考えられます。現在この溶液を分析し、生成に関与する還元剤、分散剤の探索を行っています。

塩化金(Ⅲ)酸溶液(HAuCl4)を乳酸菌(L. casei)とインキュベートすると、赤色を呈する金ナノ粒子が生成する
24時間のインキュベートでは、ナノメートルサイズの粒子が生成している

3. 生命現象解明のための新たな分析法の開発

生物に含まれる物質はその化学的性質が多様であるだけでなく、存在量がごく微量しか含まれないものから大量に存在するものまで濃度域が広く、微量成分の分析は多量に存在する夾雑物質の妨害を受けることが少なくありません。すなわち、標準的な分析方法をそのまま応用したのでは、目的とする成分を効率的に分析することは困難です。本研究室では、分析のニーズに応じた新たな分析手法を確立し、それによって生命現象を解明することを目指しています。

最近の主な研究テーマ

HPLC-ICP-MSを用いた金属キレーター分析法の開発

バイオミネラリゼーション反応において有機分子は無機元素や金属と相互作用し、また重金属汚染土壌でのカドミウムや水銀、酸性土壌において溶出してくるアルミニウムなどの有害金属から身を守るため、あるいは鉄などの必須微量金属を効率的に取り込むため、生物は様々なキレーター(配位子)を合成し、蓄積あるいは分泌しています。生物と金属の関係を知るためにはこれらキレーターの分析が欠かせません。そこで、本研究室では、HPLCとICP-MSを接続したHPLC-ICP-MSのシステムを構築し、生体内に含まれる様々な夾雑物の中からキレーターだけを選択的に高感度で分析する手法を開発しています。

HPLC-ICP-MSを用いた金属キレーター分析法の開発

4. 有害金属に対する生物の解毒機構の解明

カドミウムや水銀などの重金属は多くの生物にとって有害であり、生育阻害が引き起こされます。それに対して植物や一部の微生物は「ファイトケラチン」と呼ばれるキレーター物質を合成し、無毒化をはかっています。一方、軽金属であるアルミニウムも様々な生物に対して悪影響を及ぼすことが知られています。こういった現象自体は以前から知られていますが、金属の毒性発現メカニズムや、それに対する解毒機構の詳細についてはまだわからないことがたくさんあります。本研究室ではこれらを明らかにすることにより、将来的に有害金属に強い植物の育種やファイトレメディエーションなどへの応用を目指しています。

これまでの研究成果