生体分子と「会話」する
 ~ ATP 合成酵素の機構解明を目指して~

[PDF]  2011年10月号 [第44号]化学・生命系3学科特集 
[化学]  [バイオ・メディカル]  [ナノ]  [応用化学科] 

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 一つめのインタビューでは、工学系研究科 応用化学専攻・野地研究室でナノスケールの生体分子機械の研究をされている野地博行先生にお話を伺いました。私たちのエネルギー産生に必須なATP合成酵素の機構解明に向けての取り組みを語っていただきました。




Q.研究内容について教えてください


ATP合成酵素はH+の流入による回転の
エネルギーを利用し、ATPを合成する
(図は野地先生提供)

 ナノメートルサイズの生体分子機械、特に私たちのエネルギー産生に重要なタンパク質の一つであるATP合成酵素の研究をしています。私たちの体内では、膜を介した濃度勾配に従いH+が流れ、そのH+の流れがATP合成酵素の反応中心であるF1部分を機械的に回すことでADPと無機リン酸を結合させ、私たちのエネルギーの源であるATPを作っています。

 こう説明するとシンプルで分かりやすいですが、力学的操作が化学的変化を起こすというこの働きは、化学的変化により力学的エネルギーが生まれるという今までの生物物理学の観点からすると非常に奇妙で面白い。そのメカニズムを解明するのが私たちの中心課題です。


Q.具体的な研究の進め方は


磁気ピンセット。基板に固定したATP
合成酵素に磁気ビーズを付ける
ことで自在に回転させられる
(図は野地先生提供)

 磁気ピンセットという道具を使ってこの分子をいじり倒しています(笑)。磁気ピンセットとは、分子に直径が数十倍程度の磁気ビーズをくっつけて、外から磁場を加えることで分子をくるくる回せるもので、適当なところで止めて角度を決めたりできます。
コンピューター上の操作で分子を動かし、分子がどう応答するかを調べているわけです。「力学操作で分子と会話する」といったところでしょうか。

 ATP合成酵素は逆にATPを加えて回転させることもできるのですが、その時の回転の力の測定も行ってきました。生体分子機械くらいの微小スケールでは、粘性抵抗が大きくほとんど慣性が効きません。ですので、回ったり止まったりを繰り返しても、磁気ビーズを付けたATP合成酵素は常に粘性抵抗と釣り合った等速運動をしています。


 この場合、分子に付けた粒子の形と回転の角速度から簡単に回転の力が計算でき、そこからATPの持つ化学エネルギーを回転の力に変換するときの効率を算出できます。実際に計算すると、驚いたことに変換効率はほぼ100 %だということが分かりました。そうするとこれを人工的に模倣できたら、と考えますよね。既に光エネルギーで構造変化する分子を使って一方向に動くモーターが作られているので、それをATP合成酵素のF1部分に付けて逆に回してATPを作れば、これはもう光合成です。そういった応用ができれば、というのも一つのモチベーションですね。

Q.その他の応用技術は


 まず自分たちが面白いと思うことを一生懸命やって、その間に生み出したものを世の中の役に立つようにアレンジして出す。これが私たちの工学のスタイルです。なので応用技術はATP合成酵素のメカニズム解明に必要な技術の開発過程で生まれたものなんですね。

 その一つがデジタルELISAです。ELISAとは試料に含まれる特定のタンパク質の量を測る方法ですが、それを高さ、直径が数ミクロン、体積にして数フェムトリットル(フェムトは10-15)の小さな試験管を100万個並べたデバイス上で行うというものです。試料中にたった数個しか目的タンパク質が含まれない場合でも測定できるという強みがあります。この技術、もともとはF1部分を実際に逆に回してATPが本当にできるかを調べるために開発したものなんです。F1部分の回転でできるATPはごく微量のため通常の方法では検出できません。

 そこで小さな試験管内で測定を行うことでATP濃度を高め、検出感度を上げようとしたわけです。

Q.研究の面白みは


磁気ピンセットを備えた顕微鏡。
四つの磁石(緑)で回転を制御する

 研究対象を直に操作できるところでしょうか。論文にまとめようと思うと統計処理や数学的な処理が必要になりますが、実験の現場ではもっと直感的に、目の前で反応が見られるんですね。私は応用化学の分析という分野にいますが、分析って基本的に「見る」だけですよね。対象に操作を加えたりはしない。でも、解析の結果成り立った仮説を検証するには、計測条件を変えなければならない。


 例えば温度、培地、pHを変えるという方法もありますが、生物のシステムは多様な分子が組み合わさった構造をしているので、そうした均一な条件変化よりもむしろ局所的に非対称な操作を加える方が適切な場合が多いです。「操作する」というのはこれからの生物学の一つのキーワードになると私は思っています。私自身としては今後もっと局所的に、例えばATP合成酵素の部品を一つだけつまんでこうひねるとATPができます、みたいなところまでやりたいですね。そこまでやればもう私は「理解した」と言えるのかなと。

Q.研究の難しいところは


 一番素直で楽しい研究の進め方は、方向をあまり決めずにとりあえずころころ転がして、最初の予想と違うところに結果が出たら、それはそれで意味を読み取って面白く仕上げる、というもの。でも実際はそんなことばかりもできなくて、やらなくちゃいけない研究というのが確かにあります。

 私の研究室も10年近く止まっている大きなテーマがあります。それはATP合成酵素のもう一つのモーターであるFOという膜タンパク質に関するもので、どのくらいのスピードでどのように回るのか、ということがまったく分かっていないのです。

 私たちが最初にF1部分を回した時から、次はFOだと周囲に言われていたんですが、F1と同じようにはいかず、今のところ成果は出ていません。私たちがやらなければ後世しばらく誰もやらない研究だろうと思っているので、やらなくてはという使命感はあります。

Q.最後に読者に向けてのメッセージをお願いします


 自分が理屈抜きでシンプルに面白いと思えることをやりましょう。これは私たちの研究スタイルにも共通するんですが、こうやったら成功するはず、なりたい自分になれるはず、という風に計算すればするほど失敗した時の後悔が大きいです。

 それはやはり過程ではなくて結果だけでしか楽しめなくなるから。やること自体が面白いと思えることをやれば、どんなに失敗したって面白いですよね。


野地研究室のHP

(インタビュアー 本田 信吾)

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