4) 将来展望-実空間と運動量空間の融合、および強相関効果とトポロジーの協奏
以上述べてきたように、私の研究の中心テーマはここ数年固体電子系における量子トポロジーであった。量子ホール効果と高温超伝導体の発見から、「バンド理論、一体近似を超えた物理」へ研究の中心は大きくシフトしたが、私の研究は2000年ごろからはむしろ「これらの研究で得られた知見を持って、再び一体近似が成立する“通常の系”を見直すという方向へ向かった」とまとめられる。例えば、高温超伝導ではドーピングによってスピンの長距離秩序が壊れた量子液体状態が主要テーマとなっていた。これに対応して、ゲージ場は熱的、量子的に揺らぎのダイナミクスを持つことになるが、これが問題を難しくしていた。対称性の破れに伴う秩序パラメーターが古典的に振る舞うという事実は、物性論において最も強力な原理の一つであるが、それは電子系と集団座標である秩序パラメーターを切り離して考え、前者を一体近似で扱えることを意味する。超伝導のGinzburg-Landau理論とBogoliubov-de Gennes理論はその典型例である。この“古典理論”の範疇では、ほとんどすべて調べ尽くされたと考えられていたが、Berry位相やゲージ場というアイデアをこの古典理論に応用することで、新しい側面を開拓して来た。圧倒的に多数の系がこの古典理論で記述できることを考えると、その重要性は自明であろう。そこでは、ゲージ場は静的なものでダイナミクスを持たない分、正確な予言が可能となる。異常ホール効果に始まり、スピンホール効果、トポロジカル絶縁体、光のホール効果、マグノンホール効果、などすべてこのアイデアに属するものである。バンド構造の中にこのような構造が隠れていたことは一驚に値する。一方で、秩序パラメーターの実空間の構造をトポロジー(ホモトピー)によって分類することは、系の「剛性」を抑える機構として相転移現象とも関連して議論されてきた。私の研究は、そのトポロジカル構造を電子物性と関連付けることに新しさを求めたと言える。もちろんその萌芽は、例えばポリアセチレンにおけるソリトンとギャップ内状態を指数定理と結びつけたSchriefferらの仕事や、Jackiw によるparity anomaly などに見ることができるが、時間依存性まで含めて電子・スピン結合系のダイナミクスを調べたのが上述のスキルミオン研究の新しさだと考える。
私は、この流れの先にある次の発展方向は以下の3つにまとめられると考えており、同時にそれが理研における残りの期間の研究計画でもある。
A. 強相関効果とトポロジーの研究
強相関電子系では、ほとんどの場合磁気秩序をはじめとする長距離秩序が生じ、その秩序パラメーターの時間、空間依存性を古典理論の範囲内で取り入れることが次の重要テーマとなる。すでに、2-2.のスキルミオンにおける創発電磁誘導や、3-2.で述べた2重交換模型の光誘起絶縁体・金属転移の研究はその範疇に入るが、この方向性をさらに拡張してゆくと、一体近似を超えた多体効果を段階的に取り入れることが可能と考える。場の理論において、非摂動的な効果はほとんどすべて半古典論によって議論されている。つまり、ソリトン、インスタントン、モノポール、ダイオン、など作用積分の停留解を出発点にして、その周りの量子揺らぎを摂動的に取り入れるのが最も強力な手法を構成している。この考えを物性論にも適用すると、実時間・実空間ダイナミクスを古典・量子ハイブリッド系(前者は秩序パラメーター、後者は電子系)に対して調べることは、停留解に対応する。そしてこれに、$\hbar$に関する展開を加えて順次量子補正を考察することが強力な方法論を与えると考えられる。
一例として現在考えているのは、MnGeにおけるモノポール結晶である。スキルミオンは3次元においては、ひも状の構造となるが、その端点はモノポール、アンチモノポールに対応する。その近傍では創発磁場が非常に強くなるので、その運動はやはり大きな創発電場を誘起することになる。電子系と結合したそのダイナミクスを調べることを計画中である。
この際に理論的な手法として重要になるのは、Keldysh Green関数法であろう。Keldysh Green関数は2つの実空間・実時間座標の関数として$G(r_{1},t_{1};r_{2},t_{2})$と書けるが、重心座標$R=\frac{r_{1}+r_{2}}{2}, T=\frac{t_{1}+t_{2}}{2}$と相対座標$r=r_{1}-r_{2}, t=t_{1}-t_{2}$を定義し、後者についてはフーリエ変換を行うことで波数・周波数$k,\omega$を導入する。このWigner表示によって、自然に実空間・実時間と運動量・周波数の双方が統一的に扱えると考えられる。この8次元空間(あるいはパラメーター空間を含めたより高次元の空間)のトポロジーを考察することで、固体電子の新しい描像が描けるものと考えている。
B. 非平衡量子ダイナミクス
熱平衡から遠く離れた非平衡状態は、高い励起状態が関与するために問題が格段に難しくなり、特に量子多体系に対しては小さな系に対する数値的な研究に限られてきた。私は、この問題にトポロジーという観点を持ち込むことを考えている。本来、Berry位相の概念は、低い量子状態群の構成するヒルベルト部分空間を多様体として捉えることなので、電子・正孔対を作るような高いエネルギーの励起が起きる場合は無力になることが予想される。ところが、単一周波数の光励起下での非平衡定常状態に限ると、Floquetバンド状態を考えることができる。このFloquetバンドのトポロジーを調べることで、多くの現象が解明できると期待される。このアイデアの萌芽は、最近のOka-Aokiの論文に見ることができる。彼らは、グラフェンに円偏光の光を当てたときのFloquetバンドを考え、光誘起ホール効果を議論した。また、我々は最近、最近高効率の太陽電池として期待されているぺロブスカイト酸化物の機構として提案されている“シフトカレント“もこの観点から理解できることを示した。これらの考察は、一体近似の範囲内に限られているが、これに多体効果を取り入れることでより現実に近い理論構築を目指す。近年非平衡量子多体系の分野でもいくつかの進展があり、中でも動的平均場近似を適用して実時間量子モンテカルロ法でKeldysh Green関数を計算することが可能となっているので、これらの手法を活用することを考えている。
C. 応用へ向けて
物性物理学の研究を行う上で応用を意識することは極めて重要であり、それは理論についても同様であると考えている。本来基礎研究と応用研究は互いに矛盾するものではなく、互いに刺激しあう関係にあると信じるからである。実際に、今まで理研において強相関太陽電池やスキルミオンを用いたエレクトロニクス(スキルミオニクス)に関する特許を16件申請してきた。その基本的なアイデアは、多数の要素が協力し合って初めて発現する「創発現象、創発物性」を用いて省エネルギー、高効率機能を発現させるということであり、これは創発物性科学研究センターのミッションそのものである。私は、このミッションに理論の立場から寄与することが自分の役割であると考えている。この観点から上に含まれていなかった重要なテーマは、熱の有効利用である。膨大なエネルギーが熱として排出され、それを仕事に転換できれば持続性社会の構築に多大の寄与ができると考えられる。もちろん熱力学の第二法則は破ることができないが、外からのわずかなエネルギーあるいは情報注入を用いて熱エネルギーを有効に活用できる方法を開拓することを計画している。これは、生体において神経細胞輸送や脳の機能など、揺らぎを積極的に利用していることを物理系において設計しようとするもので、ラチェット的なものの一般化に相当すると考えている。
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