改めて「測定と公開は大事」というお話

放射線の数値の「ひとり歩き」

放射線に関係する数値、たとえばベクレルとかグレイとかシーベルトとか。聞いたことはあってもその定義や意味は分かりにくいですよね。それでも私の感覚では原発事故発生から10年を経て、だいぶ社会でも認知されてきたかなぁという印象があります。とはいってもまだまだ理想には程遠い。私の考える理想とは「(放射性物質の)数値がひとり歩きしても大丈夫」な環境です。どういうことでしょうか。


たとえば、体温計で測る体温、これはもう社会の中でもひとり歩きできていると思うんです。もし体温計が「50度です」なんて表示をしたら、「それ、壊れているよね」と誰もが指摘できます。きちんと測定できていたとしても、37.0度や35.5度が平熱という人もいるでしょう。炎天下の中、汗だくで帰ってきた直後の体温がいつもよりも高くても、それは今、一時的に体温が高い、ということもわかるでしょう。このように、数値一つ出されても、その背後にある文脈まで追うことができる。これと同じようなことが放射性物質や放射線についてもできたら、いわゆる「風評被害」も解決の糸口になるのではと考えています。


何度も測って公開することの大切さ

さて、このくだりもう少し掘り下げてみたいと思います。

体温を示す温度、その1度の定義は古今東西、誰にとっても変わらないものであり、「あなたの1度と私の1度は違う」なんてことはないし、水なら0度で凍って100度で沸騰するのは誰もが認めることであって、同時にそのことを誰もが確かめることができます。これが「the科学」ってもんです。


むろん、科学だから出てきたものがみな正しい、いきなり盤石ってことは全くなくて、たとえば、体温計を不適当に使用したがために、「本当は熱発しているのに、平熱と表示されてしまった」というような問題ももちろん存在します。ただ、それでも公表された値を他者が確かめたりすることによって、より正しい値へと修正することが可能です。


その一方で、エアコンの設定温度論争に代表されるように、「同じ温度でもそれをどう感じるか」は人や状況次第です。加えて「37.5度以上だと、あのイベントには参加できないんだ」とか「体温40度なら体がピンチだから病院行った方がいいよ」という(科学に議論のスタートを置いたのかもしれないけども)社会的合意に基づいたルールや各個人の経験から派生した人間社会の中で培われてきた側面も存在します。こちらにも問題はあって、「体温が37.4度だったから「(イベント参加に)問題がなく」て、37.5度だから「問題がある」」、といった閾値を何かの絶対防衛ライン、金科玉条のように扱ってしまうということもあります。

ただ、私の考えでは両者の問題のレベルは対等ではなくて、社会が科学を内包する関係にあると考えています。科学が機能していても実社会に問題が生じることはままあるにしても、科学がきちんと機能していない場面では、必ず実社会で問題が生じると思うのです。特に放射線問題。


たとえば、オリンピック開会式直前の7月21日には、こんなニュースがありました。

五輪=韓国代表団、食材の放射線スクリーニング実施へhttps://jp.reuters.com/article/olympic-2020-fukushima-food-idJPKBN2EQ05Z

記事によると、韓国の選手団はオリンピックで提供される福島県産の食材を不安視して、韓国独自のスクリーニングを行う、ということのようです。相手国の社会における放射線の取り扱い(戦略かもしれません)ですからその是非はさて置いたとして、私は、日本がホスト国として、復興五輪を掲げて、被災地からの食材を世界中のアスリートに提供するという方針を採ったのであれば、事前に嫌というほど放射性物質の濃度を測って公開して、かつ、相手からも確認、検証に耐えられるようにしておかなければいけない科学の営みを省いていたように思うのです。「あれだけの核災害から、ほら、こんなに汚染されていないおいしい食材ができるようになったんだよ」ということを国が全世界に示したいんですよね。

国が測定を行ってきたことは承知していますが、本当にそれを世界中に「繰り返し」「きちんと」「発信して」きたでしょうか。

食材に限らず、サーフィンの会場の海水注の放射性物質は?あづま球場の汚染度は?水球のプールの水質は?海外向けのオフィシャルガイドブック(英文)を読む限りでは、「安心・安全」という呪文のような言葉しか記載はありませんし、オリンピック組織委員会の(英語版)サイトにも「radiation」のひとこともありません(下図を参照ください)。むろん、COVID19と異なり、対策のための時間は十分にあったはずです。

きちんと準備しておけば、原発事故後10年の様子を世界中に伝えることができる機会でもあったのに、ただただ残念な思いです。

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