廃炉に向けて「千里の道も一歩から」というお話

「千里の道も一歩から」と申します。

野暮の極みですが、あえて数字を出せば、この格言、約4000 kmの道のりを1歩(約70 cm)からでも踏み出す、ということのようです。4000 kmは東京から台湾までの一往復の距離に相当します。いくら喩えとはいえ、そんなの何年かかるか分かりませんね。それでも最初の一歩が大事です。

福島第一原発で炉外に放出された放射性物質の代表的なものに放射性セシウムがあります。中でも137Csが主たる成分になります。あちこちで登場するやっかいな137Csですが、これってどのくらい放置すると「消えて」くれるのでしょうか。

仮に137Csが多くの検出器で見えにくくなる「1ベクレル」に到達したら「消えた」と、ここでは設定してみます。100ベクレルの137Csは何年後に「消える」でしょうか。

137Csの半減期は約30年ですから、30年後に半分の50ベクレル、60年後に25ベクレル...となります。では、1ベクレルに到達するのは...(簡単な高校の数学ですので、チラシの裏にでもやってみてください)...ざっと計算すると約200年後になります。6世代先のことですから、孫の孫の孫です。

次に、私が今手元に持っている酷く汚染されている土壌のひとつ、1000万ベクレルの137Csが「消える」には何年かかるでしょうか。100ベクレルで200年かかるんだから、相当な時間かかりそうですよね。では、計算してみますと...約700年です。あれ、意外に早いな、と思われたのではないでしょうか。

では、燃料デブリクラスではどうでしょうか。計算上、純粋な137Csは1 gあたり3.2兆ベクレルもの放射能があります。これが1ベクレルを下回るには、どれくらいの年月が必要でしょうか。計算してみると、約1250年必要です。現代から逆算すると奈良時代の末期、ちょうど阿倍仲麻呂が唐で亡くなった頃、あるいは桓武天皇が平安京に遷都するちょっとまえのころです。

現在でも桓武天皇が活躍していたその当時からの古墳などが現存されているところもあるわけで、そういった期間なら実際に保管できるじゃない、というご意見を聞いたことがあります。つまり「原子炉から燃料を取り出さずにそのまま閉じ込めてしまって自然に減衰するのを待つ」という戦略です。確かに放射性セシウムだけならこの(屁)理屈は通るかもしれませんが、私は後述の理由でこの意見には同意しません。

原子炉の炉内には、放射性セシウムよりも遥かに半減期の長い核種が多数存在します。代表的な核種に239Puがあり、その半減期は24000年です。加えて241Amなど長期間にわたって熱を出し続けるものもあります。

もっとも危惧することとして、使用済み核燃料が整然と並べられているような環境なら更なる重大事故が起きる確率は極めて低いのですが、溶け落ちた燃料がぐちゃぐちゃになってしまっている以上、核燃料の熱で爆発事故が起きるかもしれません(実際にロシアでこの事故が発生しています。ウラル核惨事といい、INESではレベル6に認定される重大なインシデントです)。さらに、何かの拍子で連鎖的に核分裂反応が起きてしまうとも限りません。万一そのようなことが起きれば目も当てられない大災害になります。

そもそも火山のリスクと地震の巣であること、そして気象災害の多い日本では、長期間にわたって安定して高いレベルの放射性廃棄物を保管できる条件が見定めにくいことは、「トイレのないマンション」の言葉に代表されるようにご周知のとおりです。管理下に置こうとしているものですら保管場所の確保が大変なのに、燃料デブリをそのまま長期間放置してよいわけがありません。

このような理由から、新たな核災害を起こさないためにも一刻も早く溶け落ちたすべての核燃料を100%人間の管理下に置くべきで、そのためにはありとあらゆる人類の英知を結集しなければなりません。

国際廃炉研究開発機構(IRID)などのお知らせによると、2022年から2号機の圧力容器内の燃料デブリを少しずつ、少しずつ掻き出す作業が計画されています。おそらくグラム単位での掻き出しになるでしょう。そして最終的に取り出さなければならない燃料デブリは合計で800トン程度と目されています。

この比率は、冒頭にあげた「千里の道も一歩から」の100倍のスケールに相当します東京-台湾間を徒歩で100往復以上。長い道のりです。が、少しでも加速してこの期間が早く終わるように、様々な工夫と研究を加えていかねばなりません。そのためにも今でさえ途絶えそうな人材育成は今後さらに重要な要素になります。

という文書をつらつら書いていたら、冒頭がゆりあん調、という評を周辺からいただきました。ああんそこじゃない...。

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