手記
東原和成 ┃Univ. Hohenheim, Stuttgart (Breer's lab) and Ruhr Univ., Bochum ┃ 2005年6月16,17日
ドイツセミナーツアー
ストックホルムで開催されるノーベルシンポジウムに参加者として出席依頼をうけたのだが、時差と飛行機に弱い私にとって、ディスカッサントだけのための海外出張は辛い。そこで、貧乏性の私は、よし、どうせストックホルムまでの直行便がないのだから、ドイツ経由で嗅覚研究をやっているラボをいくつか回るかと思い、前から機会があれば来てくれと言われていたので、Heinz BreerとHanns Hattのところに寄ってセミナーをしてくることにした。公務としては、ノーベルシンポに出席することだけなので、ドイツに2日滞在すると日本学術振興会に言ったら、なんのための滞在ですか?と渋い顔をされた。まあ許してくれたが、お役人はやはり堅い。でも、スウェーデン滞在日程はシンポどおりで、観光の日のための延長を一日すらもできなかった。
さて、実は、ヨーロッパは初めてである。アメリカ大学院に留学していたし、アメリカは何十回も往復しているので、ヨーロッパにはいったことがないといったら私のまわりの人たちはみんなビックリしていた。だから私は内心どきどきであった。フランクフルト空港でも緊張である。柄にもないと思うかもしれないが、私は意外と緊張するのである。
ところで、各国には特有の「におい」がある。もちろん、そんなに数多くの国にいったことはなく、今まで、アメリカ、韓国、イギリスだけで、今回、ドイツとスウェーデンがそれに加わったのであるが、それぞれの国がどんな匂いがするかいつも楽しみである。ちなみに、アメリカは「アメリカの本がにおう、あの特有の甘いにおい」、韓国はもちろん「ニンニクとキムチのにおい」、そして、日本は「醤油のようなすっぱいにおい」とよく外人には言われる。ドイツで飛行機からおりたときににおった匂いは、「発酵臭が含まれたきなくさいにおい」である。発酵臭はおそらくパンやチーズやソーセージなどから発する匂いで、きなくさいにおいはよくわからないが、なんとなくイメージしていた匂いとそう変わらなかった。一方、スウェーデンにおりたときににおった匂いは「木のにおい」である。その原因はすぐわかった。なんと、空港建物内の床がフローリングなのである。もちろんすべてのエリアがフローリングになっているわけではないが、さすが木の豊富な国である。飛行機で上空からも緑の豊富な国だなと思いながら眺めていたのであるが、ところどころ森のなかに穴があいている。最初は、日本人的な感覚でゴルフ場かなと思ったら違う、木の伐採のあとである。ホテルでもいろいろなところで木をぜいたくに使っている。いつも、身体によい「木のかおり」に囲まれているので、スウェーデン人は精神的にも健康でいられるのだろう。また、25%の税金にささえられて、福祉国家として老人にもやさしい。そんな意味でQOLがリッチな国であることが実感できる。いずれにしても、それぞれの国の資源と食生活によって創成されるカルチャーが生み出す「におい」である。
Heinz Breer教授はFrankfurtからICEで1時間のStuttgartのHohenheim大学にいる。Breer氏の90年代前半の嗅覚情報伝達機構に関する研究は、Buck and Axelの推定上の嗅覚受容体遺伝子クローニング論文と同様に、私が嗅覚研究に興味をもつきっかけにもなっているので、今回、嗅覚研究者として訪問できたことは私にとっても感慨深いものである。Breer氏は、Hohenheim大学の副学長までやった大教授なのであるが、多忙のなか、Stuttgart駅まで自家用車で迎えに来てくれて、Stuttgartの市街地を案内してくれた。びっくりである。夕方着いたので、夜は、Hohenheim大学のビアガーデンで地ビールとドイツ伝統料理を肴にいろいろ語り、途中からは聴覚の研究をやっているBreer夫人も合流して、サイエンスにおける男女問題などにも話しは展開し、時差も忘れて楽しいひと時を過ごせた。次の日の午前中、Heinzは学部講義時間を私の講演時間にあててくれた。学部生から大学院生やファカルティーまで広い聴衆層に対して、カイコとマウスのフェロモンの話しを中心にセミナーをした。最後講演を終了すると、机をドンドンドンとされてちょっとびっくりしたが、これがドイツ式の拍手だとすぐわかった。セミナーのほうは時差のない時間帯だったのでうまくいった。Breerとは、ガの性フェロモン受容体の研究で完全に競合しているが、セミナーのあと、ラボメンバーの人達と有意義なディスカッションができてよかったと思っている。
午後3時にはStuttgart駅にもどり、Breer氏と再会を誓って別れ、美しいライン川沿いを汽車で北上し、Hanns HattがいるRuhr大学のあるBochumへ向かった。車窓から見たドイツの風景と生活空間は、意外と親近感を覚えるところがあり、どこかでほっとするような景観であった。
Hanns Hattとも嗅覚受容体の機能解析で競合している。私が嗅覚受容体の機能的クローニング論文をだした直後に、Hattらはアフリカツメカエル卵母細胞を使ってヒト嗅覚受容体のひとつのリガンドを決定している。一方、精子に発現している嗅覚受容体の機能解析に関しては彼らに少し先を越された。昆虫嗅覚受容体のヘテロダイマーの問題もニアミスである。そんなわけで、Hattたちも私の訪問とセミナーは楽しみにしていたらしく、部屋いっぱいの立ち見有りのセミナーであった。セミナーはうまくいき、またラボメンバーとのディスカッションも有意義なものであった。Hattラボはとても広く、ドイツの教授のパワーを感じさせる。また、何よりも圧倒されたのは、前日に訪問したHatt邸である。20世紀前半に建てられて戦争被災から逃れたという城のような庭つきの御殿である。また中がすごい。アンティーク、美術品などのこだわりがすごい。言葉で表現することはできないが、とにかくすごい。そんな御殿の庭で、とても美味しいワインとチーズとドイツハムで語り合い、途中からHatt夫人も合流して、ますます話しが盛り上がった。
大学院生としてアメリカニューヨークのストーニーブルックにいた4年間、いろいろな国出身者の同期の院生たちと仲良く過ごしたが、今思うと、ドイツ人とは「あうん」の呼吸が日本人と似ていると感じたことがあったが、今回のドイツセミナーツアーでその経験がまた蘇った。そして、アメリカしか知らなかった自分のなかに、新たな領域ができ、それが今後の自分の考え方の幅につながればよいなと感じている。(平成17年6月17日ストックホルムへの機内にて)