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年頭所感

┃ 令和5年元旦 ┃ 東原和成

令和5年新年にあたって

新年明けましておめでとうございます。

 昨年は、1月から体調が低迷して、体力が考え方に影響を与えるというのを改めて実感した一年でした。石原慎太郎氏の「死への道程」を拝読し、スティーブジョブスの末期の数々の言葉を思い出し、研究者・大学人としての自分の存在について改めて考えました。研究者の中には、純粋に自然の摂理の美しさを知りたいという動機で研究をしている人もいれば、トップジャーナルに論文を出して名声が欲しいという人間の欲から動いている研究者も少なくありません。しかし、前者であっても後世に残る論文はほんの一握りだし、後者であってもノーベル賞をもらうとかなければ名前は残りません。大学教育を通じて次の世代に影響を与えたとしても、100年もすれば、ほとんどの人は忘れ去られます。死が目前に迫った人は、トップジャーナル論文も、ノーベル賞も、師と言ってくれるひとが何人いようと、どうでも良いことなのかもしれません。新年早々になんか暗い出だしになってしまいましたが、人生を楽しんで走ってきた人であればあるほど、最後にもっと大切なことがあったのではと思うのでしょう。

ではサイエンスをやっていて大切なことってなんでしょうか。やっぱり、「欲」を捨てることかなと思います。10年前、新学術領域研究で「感覚と欲」というテーマで領域代表として申請しました。ヒアリングに回ったものの、「欲」という言葉の意味を突っ込まれ、うまく答えられなくて採択されませんでした。Wikiによると「欲とは、何かを欲しいと思う心。人間(ヒト)、動物が、それを満たすために何らかの行動・手段を取りたいと思わせ、それが満たされたときには快を感じる感覚のことである。生理的(本能的)なレベルのものから、社会的・愛他的な高次なものまで含まれる。心の働きや行動を決定する際に重要な役割をもつと考えられている」。申請書では、「情動」という言葉を素直に使えばよかったのかもしれませんが、その一歩先をいくのが「欲」という概念でした。先日、その時の申請書を見返してみましたが、手前味噌ですが、今から読んでも悪くないなと思います。いずれにしても、実験科学に「欲」が入ると、真実は導き出せません。

研究者としての存在の意味を考えたもう一つの理由は、今年は研究費の節目の時期で、昨年からいろいろな研究費を申請しているからです。20年前、まだ嗅覚研究で実績がない頃は研究費がなかなか取れなくて、民間財団含めて、年に10件以上の申請書を書いていました。論文も負けじと必死に書きました。いい研究をする時期は30から40代にかけてと言われますが、ドライビングフォース的にはその通りだと思います。ただ、そのストレスが自分を強くはしたけど、今となると何に動かされていたのかわからないのです。ただ、ある程度の「安定」が得られると、そんな貪欲さは歳とともに年々落ちていきました。そして、不必要な「欲」が削ぎ落とされていくと、素直な好奇心が残り、素直にサイエンスに対することができるようになりました。年々「欲」の種類が変わっていくような気がします。その変化に素直に対峙することによって、結果的に運気を引き寄せることになると信じています。

今年は、大学内外で責任のある役職につくので、身が引き締まる思いです。
研究室共々よろしくお願いいたします。 

東原和成 1月10日 七草粥を過ぎてしまった新春

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