年頭所感
┃ 平成20年元日 ┃ 東原和成
平成20年新年にあたって
新年あけましておめでとうございます。
年末年始の休みに、のばしのばしにしていた仕事をやろうと思っていたところ、寝込んでしまいました。いきなり出鼻をくじかれましたが、これが厄落としになってくれればと思う次第です。そんなわけで、横になりながら紅白を見て、新年を迎えたのですが、最近だんだん紅白が面白くなってきたのは、私が年をとってきたせいでしょうか、それとも紅白視聴率挽回のためのNHKの努力の結果でしょうか。
箱根駅伝を見ました。マラソンというものはテレビでやっていると、ついはまってしまうような魔力がありますね。今年は昨年王者の順天堂大学にしょっぱなからアクシデントがあり、心臓破りの箱根の坂でついに途中棄権。私はあまり映画とかでボロ泣きとかはしないタイプなのですが、こういったシーンではつい涙がでます。悔しい気持ちに同感するのでしょう。
振り返れば、私の大学でのテニス部時代は悔いだらけで、最後は、奇しくも順天堂大学とのリーグ戦で勝敗がかかった試合で惨敗した試合でした。ヘルニアを背負っていたというのは言い訳にすぎず、最後の最後で踏ん張れなかった自分の甘さに、20年近くたった今だに夢にでてきては苦しい思いをします。なぜ、走るのか。なぜ、テニスをするのか。それは、なぜ山に登るのか、という質問と同じくらい愚問なのかもしれませんが、一方で、なぜサイエンスをするのか、なぜ研究者をやっているのか、という質問にも共通のものがあるのではと感じます。
厄年のせいか、体力の過渡期を迎えた今、体調を崩して寝込むたびに、自分がやってきたサイエンスと、これから自分がやっていくサイエンスを今一度考え直す時間が多々あります。今までは、自分のために良い仕事をしようと走ってきました。それは自分のやりたい仕事ができるポジションを得て、研究費にも不自由なく思い切って仕事ができる環境を得るためです。でも、たぶん、これからは、自分のためだけでなく、私について来てくれる周りのみんなの将来のためと、そして何よりも人類の福祉のためにと考える必要があるのではと感じています。
いくら素晴らしい仕事をしても、教科書に残るような仕事をしても、50年後100年後には、自分がやったという事実は消えていきます。では何のために身を粉にしてサイエンスをやるかというと、それは生き甲斐という言葉にくくってしまえば簡単なのですが、やはり、その根底にある「真理」そしてそれを支える「論理」、これが素晴らしいのです。そしてそれが大好きなのです。そのベールがはがされる瞬間とその美しさを経験したものは、社会にでてどんな職種についても必ず良い仕事をします。そんな学生達を送り出したい。
そして、現在、温暖化に伴い、食と環境という大問題に人類は直面しています。そんな深刻な問題に関わる基礎研究をしたい。私達のやっている嗅覚研究は、動物が食べ物を探して食べて生きて、そして異性と交尾して子孫を残すために必須な感覚機能を解明するという、基礎の基礎の「生命科学」であるとともに、人間にとっては、「食」と「環境」に密接に関連した重要な研究領域のひとつで、すなわち、香りでより美味しく食材や料理を食べて至福を味わい、生物間コミュニケーションに使われるフェロモンなどの信号を利用してよりよい環境を目指す。これはまさしく「生命」「食糧」「環境」を三本柱とした「農芸化学」の分野でもあります。私は卒論生のときに農芸化学から飛び出し、基礎生命科学をずっとやってきましたが、また最近農芸化学の精神がむくむくと頭を持ち上げてきました。現在、私は農芸化学の専攻にはいませんが、やはり最初にどんな教育をうけたかというのは重要ですね。
情報社会で忙しい毎日のなかで、時折、自分のやっていることを振り返ってみる機会は大切だと思います。月並みですが、木々ばかりを見ていなく、たまには森全体を見渡せと。そして温故知新。こんな年寄り臭いことを考えるのも、厄年の体調不良がくれた恩恵なのかもしれません。そんなことを年始に思いながら、今年もがんばっていきたいと思います。年末年始予定していた仕事が全くできなかったので、こんな雑談を書いていずにそろそろ挽回しなければ(笑)。
本年も、嗅覚グループともどもよろしくお願い申し上げます。
東原和成
平成20年元日