プロフィール

英語プロフィールへ

書籍掲載

以下は、文藝春秋に掲載されたものです

東原和成 ┃ 文芸春秋 ┃ 2013年8月号

においの風景

空間の心地よさとは何だろう。自然があり、建物があり、人間がいて、そこには五感による対話がある。その五感のうち、失ってもいい感覚の筆頭にあがるのは、嗅覚(きゅうかく)である。臭覚(しゅうかく)と間違えるひとも多い。しかし、人間以外の動物にとっての嗅覚は、天敵や危険を察知したり、食べ物を見つけたり、異性を区別したりするのに必須で、五感のなかでも失うことの出来ない感覚である。これと比較して、高度な生活を営む人間は、嗅覚を生命維持の手段としてではなく、もっと贅沢なことに使っている。例えば、料理を美味しく食べたり、ワインを楽しめるのは、香りがあるからだ。道端でふと薫る花の香りに季節を感じて幸せになるのも、嗅覚によるものだ。普段はあまり意識されないが、人間にとっての空間の心地よさに、においは欠かせない。

 においの語源は、「丹秀ひ」「丹穂ひ」という説がある。「丹(に)」は赤色のことなので、においは元々美しく鮮やかな色合いを示す視覚的な意味で使われた。光り輝くかぐや姫は、嗅ぐや姫でもある。さらに、死絵にお香がたかれたり、ミイラを香草に包埋したり、においは現世と来世を架け渡す神秘的な力をもつと考えられてきた。最近、五感のなかで嗅覚だけが、情動や記憶に直結する脳神経回路をもつだけでなく、内分泌ホルモン系にも作用することがわかり、においの神秘的なパワーが科学的に解明されつつある。また、においは低分子の化学物質で、空間には数万種類以上も存在し、これらが鼻のなかにある数百種類のセンサーの組み合せによって認知されることもわかり、生物が有する美しい嗅覚のしくみも解明されつつある。

 日本人は、陰翳礼讃の文化をもつとともに、香道など独創的かつ繊細な嗅覚礼賛の能力も持っている。薫物合せや残り香のあやしさを演出する源氏物語の世界はその代表例であろう。日本は風味豊かな食材にも恵まれているからこそ、食材の香りを大切にする日本料理が生まれた。四季があり、湿気の高い気候のなか、欄間を造り通気性を確保するなど、心地よいにおいの空間を造る建築技術も日本独特である。そんな日本人が作り出す日本ワインが最近注目されている。香りはフランスのワインのように強くないが、日本人の心にしみわたる、やさしい香りを呈している。日本ワインは、魚も肉も選ばない。醤油にも出汁にも寄り添い、繊細な日本料理とマリアージュし、食卓のにおいの風景を引き立たせる。日本料理を世界無形文化遺産にしようという動きがあるが、これは日本の香りの文化が世界に誇れることを示唆するものであろう。

ところで、においというと臭いにおいの悪いイメージもある。くさいという言葉はいじめの原因にもなる。しかし、誰かがくさいと感じるにおいも皆がくさいと思うわけではない。足の裏のにおいはある意味くさいが、それをたまらなく好きなひともいるし、くさいにおいというのは、なぜかもう一度嗅ぎたくなる性質がある。独特の香りを呈する発酵食品もやみつきになる。すばらしい香りをもつワインのにおいのなかには、くさいにおいもたくさん入っている。そもそもにおいは、動物や微生物が作り出すものが多い。人間の体臭もそうである。つまり、においがある空間は、生きている生物がいるという証拠である。普段はあまり意識していないが、人間にとって大事なにおいの風景に、体臭は欠かせないのだと思う。緊張しているとき、すっと自分の手を鼻にあてるような動作をするが、それは何気なく自分のにおいを嗅いで安心するためのしぐさだともいわれている。

消臭消臭と過敏にならず、われわれの衣食住の空間で、においの存在と役割をもう一度感じてみると、生きていることがより楽しくなるに違いない。小さな子供たちが色々なものをくんくんするのは、汚いことでも失礼なことでもない。においがあるからこそ、人間らしい生活を送ることができているということである。実は、いまイタリアに向かう飛行機のなかである。空港にたつと、それぞれの国に特徴的なにおいを感じる。そして、今回はどんな食とワインの香りのマリアージュの風景を発見できるか楽しみである。

TOPページに戻る