コラム
以下は、「ワイナート」2009年11月号に掲載されたコラムです(京大伏木先生と見開き連載第4弾)
東原和成 ┃ ワイナート ┃ 2009年11月号
造り手によってブドウの香りは変わるか?
私たちが何気なく感じている生活空間の匂い。匂いは無作為に空間をただよっているだけのようだが、多くの生物にとっては、生きていくうえでの重要な情報源である。食べ物の匂い、仲間の匂い、敵の匂い、異性の匂い。匂いを発して自分の情報を仲間に伝え、匂いを頼りに相手の状況を知る。仲間の匂いが、一転、捕食者にとっての餌の情報にもなる。生態系においては、目に見えない匂いのネットワークがはりめぐらされている。
匂いを情報手段として使うのは、動物だけではない。植物も、匂いを発するだけでなく、匂いを感じることができる。葉は、虫に食べられると、ある特定の匂いを発し、その匂いでその虫を食べる天敵が呼び寄せられる。また、食べられた葉だけではなく、食べられた葉の近くにいる別個体の植物も、その匂いを感知すると、天敵を呼び寄せる同じ匂いを発する。微生物に感染しても違う匂いを発する。例えば、貴腐ワインの貴腐香は、ブドウがある程度完熟した際に、ボトリシスシネレア菌に感染すると生成される香りである。匂いのSOS信号である。このように、植物は、動物のように動けないからこそ、空間を飛ぶ匂いをコミュニケーションの手段として使っている。
さて、私の研究室の大学院生が、植物の葉に匂いを嗅がせてみた。すると、葉の細胞のなかで、防御に関わる様々な遺伝子由来の産物が増えた。植物細胞が、匂いに反応して、防御反応をおこしたのである。ところが、この現象はそのときそのときの実験によって結果が異なった。植物細胞は、ちょっとした人間の操作や実験環境の違いなどに、敏感に反応していたからである。なぜこんな話を紹介しているかというと、ブドウも、気候や土地環境だけでなく、刻一刻と変わる周りの空間の匂いの変化に影響されている可能性があるからである。
雑食である人間は、実は、アルデヒド類など多くの匂いを発している。人間同士では人間の匂いを感じないが、他の生物にとっては、人間はとてもにおう動物である。また、動物は、体調や気持ちによって発する匂いが変わるが、人間もそうである。犬が人間の足跡を追えるのも、飼い主の体調がわかるのも、匂いなのだ。つまり、ブドウにとっても、人間はにおう生物である。人間が近寄っていくと、ブドウは匂いですぐに人間だとわかるだろう。ブドウ園でも、生産者がどれだけブドウに接しているか、つまり、どれだけ人間臭を振り撒いているかによって、ブドウの木のなかの代謝も影響されるだろう。
体臭は、食生活や文化に影響されるが、民族による違いもあるし、男女差もある、さらには、個人個人で違いがある。それは、遺伝子によるものであり、例えば、一卵性双生児は基本的には体臭は同じで、警察犬にも区別がつかない。つまり、遺伝子が違えば、ひとりひとりみんな違う体臭を発している。科学的根拠はまだないが、生産者ひとりひとりが発する匂いがブドウに与える影響も違うだろうし、同じ生産者でも体調や気持ちの持ちようで発する匂いも変化しブドウへの影響も異なるだろう。ブルゴーニュのビオディナミで有名なアンヌ・クロード・ルフレーヴは、造り手がストレスを感じていないほうが良いワインができると言ったという。生産者を思い浮かべながらワインを楽しむというのも理にかなっているのはないか。
地産地消というが、その土地でとれた食材の料理には、その土地で造られたお酒が合う。特に自然派ワインにはその傾向が強い。今回紹介した、匂いの空間コミュニケーションという視点から、私は、日本の土地で日本人が手塩にかけて育てたブドウから作られたワインには、ある種の民族共通の力が潜んでいると思っている。そんなことを感じながら、舶来の物まねではなく、国外に日本のワインだと誇りをもっていえるようなワインとの出会いを求めて、輸入ワインだけでなく、日本のブドウから造られたワインも飲み続けている。