コラム
以下は、「化学」2009年5月号に掲載されたコラムです(連載第5弾)
東原和成 ┃ 化学 ┃ 2009年5月号
美しい論文は必ず通る
一昔前は、図書館での購読率の高いジャーナルにだすことに意義があったが、最近はネットの普及でどんな雑誌にだしても世界中のひとが読んでくれる。そんなご時世でトップジャーナルを目指すのはなぜかと聞かれたら、私はいつも次のように答える。低レベルの雑誌の査読コメントは理解できないひどいものがあるが、良いジャーナルと言われている雑誌では、レベルの高いピアレビューがおこなわれていて、論文が改善される良いコメントが返ってくる場合が多いから。
でも、いわゆるNatureやScienceなどでは、General interestやnoveltyがないといわれて査読にすらまわらないときが多い。オリジナルで新規な発見だと自分達は思っていても、より専門雑誌に送れと言われる。なぜだろう。どんな論文も今まで発表されていない結果をだすわけであるから新規であることは事実であるが、新規性にもレベルがあるのである。トップジャーナルにとっての新規性とは、その分野の本質的な問題、すなわち一般人が疑問に思うようなクエスチョンに答える明確なメッセージがあるものであり、学術的意義のみならず社会的意義もあるものなのである。トップジャーナルに限らず、論文を書くときに大事なのは、前面にだすメッセージ性はなにかといつも問いかけることである。
次に論文作成に必要なのは、ロジックの強いストーリーを構築することである。論文構築は、絵を描いたり彫刻を造ったりするようなものである。まず、図を作って大まかな流れをデッサンすることからはじまって、結果の細部を描く過程で、おさえておかなくてはいけない実験や、結論をサポートする多角的アプローチからの実験を塗り重ねていく。そして、間違った解釈をせずに良いディスカッションをするためには、次にやるべき実験の結果がでているとよい。そして、最後に、英文校閲にだし、英語独特のロジックと文体を補強し色づけを鮮やかにする。作品のメッセージ、ストーリー性、そこから湧き上がるロジックをだすために、いつも美意識を忘れないようにすることである。美しい自然の摂理を描くのだから。
さて、査読結果が返ってきたら、レフェリーに言われたことは基本的にはすべてやる。逃げない。Reviseの論文につける手紙をRebuttal letter(反論の手紙)と言うが、ただ反論すればよいというわけではなく、追加実験することによって論文の質が改善されるコメントであればやるべきである。もっとも、同じ研究をやっている査読者にまわって、無理難題を言われて論文の引き伸ばしをされることもある。こんなとき、英語が母国語ではなく、ディベートも苦手な日本人には戦いたくてもなかなかうまく戦えない。こういうときの極意は、やはり海外留学して学ぶものである。私はデューク大学のポスドク時代のボスからかなり学んだ。具体的に何かを教えてくれたわけではないが、論文の書き方、レフェリーとのやりとりの仕方などを身体で学んだ。外国でラボをもつ日本人のところに留学してもこういうことは学べないので、英会話は不安かもしれないが、論文作成の仕方と通すための極意を学びに、ネイティブのところへいくことを是非お勧めする。読んでよかった、美しいと感じる論文を書くひとのところに留学するのがよい。