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報告記

以下は、2007年Aroma Researchに掲載された学会報告を一部含みます。

東原和成 ┃Keystone symposium: Chemical Senses: from Genes to Perception ┃ 2007年1月21-25日

2007 国際キーストーン学会
(Chemical Senses at Snowbird, Utah)

 嗅覚や味覚など化学感覚の研究は、1991年の嗅覚受容体遺伝子の発見以来、分子生物学の手法の導入により飛躍的に進み、最近ではイメージング技術の発展によって、その感覚経路が可視化できるようになり高次神経ネットワークまでもが明らかになりつつある。一昨年は嗅覚受容体遺伝子を発見したLinda BuckとRichard Axelがノーベル賞を受賞し、ますます盛り上がりを見せている。

 さて、ゴードン会議やキーストーン会議は、それぞれの領域のせいぜい百人から二百人程度研究者が集まり、数日間ディスカッションするという合宿形式の学会である。趣旨としては、未発表の結果をふんだんに織り込むことによって、お互いの研究動向をシェアーし、共同研究などを積極的に推進することを目的とする。会議を開催するためには、2年程前に企画書を提出し、提出された企画のなかから選ばれる必要がある。嗅味覚領域では、ゴードン会議が3年おきに開催されてきており、1998年大会は私がはじめて嗅覚研究をもちこんだ思い出のある学会である。しかし、2003年大会の評判がすこぶる悪く、そのため、嗅味覚のゴードン会議は開催中止となってしまった。そんななかAxel研出身のMombaertsやVosshallが中心になって、キーストーン会議をやろうかという話が数年前からもりあがり、2年前に企画書申請、そして今回開催にこぎつけたというわけである。つまり、嗅味覚研究の記念すべき第一回大会である。

 会議が開催されたスノーバードはユタ州ソルトレークシティーから車で30分ほどのスキーリゾート地である。標高約2400mに位置して気圧も低く空気も薄いので、ほとんどのひとが高山病(頭痛など)にかかる。しかし一方でスキー場はすばらしく、圧巻の風景とサラサラとした極めの細かい雪が最大の魅力だ。ところで、私の大学院時代の恩師であるGlenn D. Prestwich氏が現在ユタ大学にいるので、会議前に彼を訪問した。私が大学院生だったころは、彼は昆虫や情報伝達の研究をやっていたが、その後昆虫分野から足をひき、また最近は彼が立ち上げたベンチャー企業が軌道にのっていることもあり、本格的な大学教育研究からフェードアウトしていくようである。有機合成を武器に昆虫化学生態学に切り込みをいれ、合成研究を機軸に細胞生物学から臨床医学分野まで渡り歩き、最終的にビジネスを立ち上げ金儲けをして老後設計をするという、まさにアメリカ式のフットワークの軽さとドリームカムトゥルーの世界を見せられた。こういう生き方もあるんだなぁと感心するばかりである。会議の前には、彼の4人乗りの自家用飛行機にのせてもらい、ユタ州からアイダホ州にかけての豪快な自然を目の当たりにして、自分のなかの小さい何かが膨らんでいくような感触を感じた。一方で、空港で私をピックアップしてくれ、20年以上もPrestwich氏のスーパー秘書をやってきたMarieが、今年一杯で去るということを聞き、とてもさびしい気がした。私のつたない英語をいつも直してくれたり、教えてくれたりしたMarieも今年で60歳だという。小さくなったMarieと別れのハグをして、そして、基礎研究から去りつつある元ボスを見つつ、そして、夜観戦にいったジムナスティックでアメリカ国歌三唱を聴き博士卒業のグラジュエイションの風景がフラッシュバックしたとき、自分の心のなかでどっかでうろうろしていた私のアメリカでの大学院時代にも一区切りがついたような気分になった。そして、今、ボスになった自分がいる。

 さて回顧録はこの程度にして、会議はというと、20人の招待講演者のうち9人が、そしてショートトークとして選抜された18人のうち7人がAxelとBuck研出身者であるという、悪く言えばAxel mafiaの同窓会を兼ねているようなものであった。このグループに属さない昔から地道に嗅味覚の生理学的研究をやってきている研究者には声がかかっておらず、極めてレベルが高い会議であった一方でかなりの偏りがあったのも事実である。そんななか、日本から招待されたのは東大理学部坂野仁教授と私の二名で、日本代表として、そしてなによりもAxel mafiaに属さない数少ないグループとして注目を集めた。また、坂野研と私のグループからはそれぞれひとつづつのショートトークも選ばれた。私のグループからは博士課程3年の岡君が選ばれ、つい最近Neuronに掲載された内容に加えて未発表結果をあわせて発表をおこなった。10分という短い発表であったが、技術的に高い研究成果であるので、注目された。また、坂野研からはポスドクの小早川君が未発表のデータを発表し、内容的にも面白かっただけでなく、「坂野研が未発表の仕事を海外で発表した」と話題になった。坂野先生自身は会議の前半で話をしたが、私のほうはまたもやclosing remarkをやるRichard Axelのすぐ前に発表順番をいれられた。単なる偶然なのか意図的なのか、去るコールドスプリングハーバー会議、ノーベル賞受賞記念シンポに続き、Richardの前座は3度目である。今回は、現在進行中のマウス涙由来のフェロモンペプチドファミリーの話をした。前回ほどの手ごたえはなかったが、一応、良くも悪くも定位置を獲得したなという感じである。

 キーストーン会議の決まりとして、参加者が未発表のデータや話をもとにディスカッションをできるように、写真やビデオ撮影はもとより、会議の詳細を外で報告したりするのを禁じられている。今回の会議の報告は、EMBO reportという雑誌に掲載される予定だが、未発表の話やデータに関しては細心の注意がされて掲載される。ということなので、本報告でも、詳細な報告をすることはできないので、あくまでも差し支えない範囲での報告となることを了承いただきたい。逆に言えば、それくらい最先端の嗅味覚研究の情報が得られる会議であるということで、実際、発表されたデータのレベルは極めて高かった。L. Buckがオープニングをやり、最近彼女たちが見つけた新規のchemosensory receptor familyであるTAARについての話などをした。B. TraskとS. Firesteinは嗅覚受容体(OR), 鋤鼻受容体(V1R, V2R)についてのバイオインフォマティクスの最新データを紹介した。またL Zwiebelは米国家プロジェクトになっているマラリア蚊のORの研究についての最新情報を提供した。Buck研出身の松波氏は、ORのシャペロンであるRTPを使った大規模リガンドスクリーニングの進捗状況を発表した。C. Zukerは最近発表した酸味受容体の話に加えて、塩味受容体の展望についてふれた。B. DicksonとH. Amreinはハエのmale-male courtshipに関わるフェロモン受容体についての発表をした。Dicksonの話はNatureにin pressだそうだ。L. VosshallはハエのCO2センサーについての話、M. LuoはマウスのCO2センサーの話をした。C. Bargmannは線虫の化学走性についての話をした。その他、ポスターセッションから口頭発表に選ばれたもののなかには、最近Natureにでた刺激臭を受容するTRPチャネルの話や、鳥の嗅覚受容体についての話や、これまた最近Nature Neurosci.にでたヒトの嗅覚による匂いトラッキングの話など、分子から行動まで興味深い話が盛りだくさんであった。そして、最後にclosing remarkとしてR. Axelが話したが、二光子をつかってperiform cortexの細胞レベルでの匂い応答を見る試みなど最新のデータも紹介された。

 Nature Neuroscience, Neuron, Current Biologyなどトップジャーナル編集部からもエディターが取材にきていた。最終日のレセプションで彼らと話す機会をもてたが、嗅味覚分野でやっている研究者の仕事の質はとても高く、いつも注目しているとのことであった。日本での嗅味覚分野の研究も評価されており、どんどん質の高い論文は送ってくれとのことである。昨今ジャーナル数が増大しているなか、ジャーナル側としても質の高い論文を獲得するのに必死である。いろいろ話してみると最近刻一刻とジャーナルの体制やポリシーも変化していっているようである。エディターとして一番大変なのは、良い査読者を見つけることであるらしい。著名な研究者でも、査読となると感情的でピアーレビューになっていないなど、フェアーにリーズナブルで質の高いレビューをするひとをいつも探しているようである。私もときどき上記の雑誌から査読の要請がくるが、手抜きはできないなと身が引き締まる思いをした。

 全体として、Axel & Buck mafiaの同窓会のような会であった感はぬぐえないが、トップレベルの研究を目の当たりにして、分子生物学と生理学と神経行動学・心理学が融合した新たな嗅覚研究の時代に入ってきていることが実感として感じられた。あなたの専門分野はなんですか?というような質問が愚問の時代に突入しているということである。私は科研費をだすときにどの領域にだすか迷うだけでなく、分野の枠に当てはめたがる日本ではサポートが得られにくいが、逆に言えば、領域横断的であるところが嗅覚研究の魅力であり、まさに学融合あるいはトランスレーショナルリサーチの拠点にもなるようなサイエンスである。次回のキーストン会議は2009年に予定されている。そのときにまた招待されるように良い仕事を出し続けたいと思わせるような学会である。

招待講演者:Linda Buck, Leslie Vosshall, Hiroaki Matsunami, Peter Mombaerts, Hitoshi Sakano, Stuart Firestein, Barbara Trask, Laurence Zwiebel, Minmin Luo, David Anderson, Cori Bargmann, Mark Zoller, Charles Zuker, Dennis Drayna, Robert Margolskee, Kristin Scott, Barry Dickson, Bill Hansson, Kazushige Touhara, Richard Axel(計20名)

ポスターから選抜された口頭発表:James White, Lisa Stowers, Haiquing Zhao, John Laughlin, Lindsey MacPherson, Alex Chesler, Ko Kobayakawa, Yuki Oka, Bart Kempenaers, Christian Margot, Jessica Porter, Cory Root, Jae Kwon, Huber Amrein, Zhihua Zou, Scott Waddell, Bettina Malnic, Richard Benton(計18名)

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