物質ベースに現象を理解する基礎科学研究の展開
生物化学研究室が化学第二講座として産声をあげて120年
さまざまな生物現象を解明する生命科学を展開します。
-
明治26年(1893年)
帝国大学に農科大学が設置され、農芸化学科が創設された。そのときに化学第一講座、化学第二講座、地質学・土壌学講座の三つの講座が発足したが、生物化学研究室の起源は、化学第二講座である。すなわち、植物栄養肥料学研究室(化学第一)と土壌圏科学研室(地質学・土壌学)とともに、農芸化学科の発足当時からある伝統のある研究室である。発足当時は、外国人教師オスカル・ロイブ氏が職務を担当した。ロイブ氏は、農業化学理論の祖ともいわれるリービヒに強く影響をうけた学者であり、生物化学研究室の基礎を築いたと思われる。
-
明治40年(1907年)9月
鈴木梅太郎先生が初代担当教授として就任し、生理化学とともに、日本で最初と言われている生物化学の講義を担当した。鈴木先生は、リービヒの学問系統に属するエミール・フィッシャーに師事し、後に、オリザニン(ビタミンB1)を発見するなど、酵素、タンパク質、脂肪、ビタミンなど広範囲の革新的研究を展開した。
-
昭和9年(1934年)12月
鈴木梅太郎先生の婿養子である鈴木文助先生が第二代の教授となり、引き続き、油脂、炭水化物、タンパク質などの研究を推進する。
-
昭和19年(1944年)4月
後藤格次教授が引き継ぎ、アルカロイドの研究を推進する。このとき、後藤先生は昭和21年まで化学第四講座(有機化学研究室の前身)の教授を兼任している。
-
昭和24年(1949年)11月
佐橋佳一教授が担当となり、オリザニンの構造決定、ビタミン類の合成研究などをする。佐橋教授も、一部の期間、化学第四講座を兼任分担する。
-
昭和29年(1954年)9月
舟橋三郎教授が担当となり、植物脂質生化学の研究をおこなった。このときに、農芸化学科は、研究教育体制の見直しをおこない、十講座制となり、化学第二講座は、生物化学講座に名称変更となった。(注:大正11年に生物化学講座が発足し、「生物化学」という名称が使われているが、これは現在の食糧化学研究室の前身であり、昭和29年の10講座制のときに、食糧化学講座と名称が変更となっている。)
-
昭和44年(1969年)10月
中村道徳教授が就任し、リン酸関係の分析・定量法などの開発をおこない、酵素化学研究を展開した。
-
昭和53年(1978年)7月
丸山芳治教授が担当となり、細菌の生育、酵素、硝酸還元系、窒素固定、さらには環境生化学など広範囲の研究をおこなった。
-
平成2年(1990年)6月
小野寺一清教授が担当となり、ヒト染色体21番上の遺伝子の構造と機能に関する研究をおこなった。
-
平成7年(1995年)3月
福井泰久教授が担当となり、ホスファチジルイノシトール3−キナーゼを中心とした細胞内リン脂質シグナリングに関する研究を行い、細胞のがん化や形態変化・運動の分子機構の研究へと展開した。
-
平成21年(2009年)12月
鈴木梅太郎先生が就任して以来102年、東原和成が第十代教授となる。
- (参考:東京大学百年史、岡本昭一郎(元農学部事務庶務係長)手記、熊澤喜久雄名誉教授私信)
研究室
初代教授の鈴木梅太郎先生ゆかりのサンプルや資料
生物化学研究室同窓会