研究内容

 微生物代謝工学研究室は、「微生物」と「代謝」をキーワードにユニークな発想に立脚した独創的な研究を最先端の解析技術を用いて強力に推し進め、日本の応用微生物学研究の新たな分野を開拓することを目指して、令和2年(2020)年4月に協和発酵バイオ株式会社の寄附部門として東京大学生物生産工学研究センターに開設されました。当研究室では微生物におけるアミノ酸・核酸のような栄養シグナルに応答した代謝調節機構を探索し、その分子機構を解明することを通じて、微生物ひいては生物普遍的な代謝コントロール・活性化の鍵を見つけることを目指しています。近年、細菌からヒトまで生物に普遍的な代謝調節酵素として知られるようになった「グルタミン酸脱水素酵素」に着目した研究を展開しています。

微生物のグルタミン酸代謝調節に関する構造生物学的研究

 グルタミン酸ナトリウムはうま味調味料として広く用いられていることは言うまでもありませんが、その工業生産はコリネ菌(Corynebacterium glutamicum)による発酵生産により行われています。コリネ菌は、生育必須因子であるビオチンの制限、脂肪酸エステル系界面活性剤の添加、抗生物質であるペニシリンの添加によってグルタミン酸を過剰生産することが知られています。上記の刺激は細胞表層に作用して機械刺激依存性チャネルを開口させ、そこからグルタミン酸が排出されますが、それと同時にグルタミン酸生産へ向かうような大規模な代謝フラックス変化が起こることが近年の研究により明らかにされています。グルタミン酸脱水素酵素GDHはTCA回路のα-ケトグルタル酸からグルタミン酸を生成する反応を触媒する酵素ですが、コリネ菌のGDHはバクテリアとしては珍しく補酵素としてNADPHを使うことに加え、グルタミン酸を合成する活性が非常に強いという特徴をもち、このことがグルタミン酸発酵の成立に不可欠です。我々はコリネ菌由来のGDH (CgGDH)の結晶構造を決定し、それに基づく分子シミュレーション解析からグルタミン酸高生産機構に関する知見を得ました。

 多くのバクテリア由来のGDHは50 kDa程度のサブユニットが会合したホモ6量体構造を有し、触媒ドメインとヌクレオチド結合ドメインからなる比較的シンプルな構造であり、アロステリック調節は存在しないと言われています。一方、ほ乳類由来のGDHはヌクレオチド結合ドメインの中に軸ヘリックスとアンテナヘリックスと呼ばれる挿入配列が存在し、これらを介してヌクレオチド (GTP, ADP)による調節を受けます。その調節はさらに複雑であり、他にもNADHやロイシン、パルミトイルCoAによるアロステリック調節、さらにはサーチュイン(SIRT4)によるADPリボシル化によっても調節を受けることが知られています。ほ乳類のGDH (GDH1)は多くの組織で発現しており、肝臓ではグルタミン酸の代謝によるアンモニア産生に関わる一方、すい臓ではATP感受性カリウムイオンチャネルを介しインスリン分泌の促進にも関与しています。これらの事実は高インスリン・高アンモニア血症がGDH脱制御の遺伝子変異により引き起こされることからわかってきました。一方、ヒトや大型類人猿の高等動物は遺伝子重複により生じたもう一つのGDH (GDH2)を持つことが知られています。GDH2は主に脳で発現しており、脳内で神経伝達物質であるグルタミン酸の分解・再生に関わると考えられています。

 先に述べましたように、バクテリア由来のGDHにはアロステリック調節は存在しないと考えられてきましたが、最近私たちは好熱菌Thermus thermophilus由来のグルタミン酸脱水素酵素(GDH)がロイシンにより顕著に活性化を受けることを発見し、結晶構造解析によってロイシンが新規なアロステリック部位に結合していることを明らかにしました(図3)。興味深いことにT. thermophilusのGDHは典型的なホモ6量体構造ではなく、触媒活性を有するGdhBサブユニットとロイシンによる活性化に必要なGdhBサブユニットから構成されるヘテロ6量体構造を取ります。さらに私たちは、T. thermophilusのGDHがアデニンホスホリボシルトランスフェラーゼのホモログAPRThと相互作用しており、このAPRThにAMPが結合することによってGDHがさらに活性化されることを見出しました。現在、それらの低分子エフェクターを介したシグナル応答機構の生物学的重要性やクライオ電顕を利用した構造基盤の解明を目指した研究を展開しています。

最近、Caulobacter crescentusという非対称的な細胞分裂を行う特徴を持つバクテリアにおいて、GDHが細胞分裂において中心的な役割を果たしているFtsZタンパク質と直接相互作用し、その機能調節を担うことが別グループにより明らかにされました。この調節においてGDHに基質が供給されて細胞内で酵素として働いていることが重要であり、GDHが細胞内の栄養状態を感知して、細胞分裂の調節を行っていることが示されました。このGDHはコアとなるGDHドメインの他にN末端、C末端側に大きな機能未知ドメインを持つことからこれらがFtsZとの相互作用を介した細胞分裂調節に重要な役割を持っていることが予想されます。 

このようにGDHは他のタンパク質や融合ドメインとの相互作用を介して、従来考えられていなかったような生命にとって重要かつ多様な調節機構および細胞内機能を有することが明らかになりつつあります。私たちは、多様なバクテリアにおけるGDHの新しい調節機構を探索し、分子・原子レベルでの細胞内機能解明を行うことを通じて、今まで明らかにされてこなかった代謝中枢の調節機構の解明、さらにはそれを利用した微生物の生産性の向上を目指し研究を行っています。

好熱菌Thermus thermophilusの機能未知タンパク質による代謝制御機構に関する研究

T. thermophilusは非常に高温の温泉源泉のような環境でも生育できる高度好熱菌です。通常タンパク質は熱に対し不安定で失活してしまいますが、T. thermophilus由来のタンパク質は熱や有機溶媒等に対し非常に安定で頑丈な性質があります。この性質は応用上非常に有利であり産業用酵素のソースとして重宝されてきましたが、同時にタンパク質が安定であるということは細胞内現象の生化学研究にも有利であることを意味しており、これまで様々な普遍的現象の生化学的解析、構造解析等が先駆的に行われてきました。さらに形質転換能が高く、遺伝子操作が非常に容易であるという性質も兼ね備えています。そのような背景から全ゲノム解読が早期に行われ、自律複製できる生命としてはかなり少ない約2200個の遺伝子が存在していることが明らかになりました。さらに国家プロジェクトとして細胞内全タンパク質の網羅的な立体構造解析も実施されてきました。これにより細胞内現象のほとんどが解明されることが期待されましたが、現在でも全遺伝子のうちの約40%は機能未知であり、細胞内現象の完全解明には程遠いのが現状です。

 先述した通り私たちはT. thermophilusのグルタミン酸脱水素酵素GDHはGdhA, GdhB, APRThの三者から構成されるヘテロ複合体であることを発見し、触媒活性を持たない機能未知タンパク質であったGdhA, APRThがGDHの複雑な調節に関与するすることを示してきました。また、タンパク質間相互作用を利用した同様の手法により、アミノ酸結合ドメインとして知られるRAM (Regulation of amino acid metabolism)ドメインのみからなる機能未知Stand aloneタンパク質 (SraA)がトリプトファン生合成経路の酵素と相互作用し、トリプトファンによるフィードバック阻害を仲介しているということを発見しました。これらの結果から、機能未知タンパク質と触媒機能を有するタンパク質との相互作用を探索することを通じて、多くの未発見の代謝調節機構の発見につながることが期待されます。私たちはこのような探索と分子・原子レベルでの代謝調節機構の解析を通じて、細胞内現象の全貌解明へ貢献することを目指しています。