池田グループの研究対象は、現在のところ、ガラス、エマルション・泡、粉体、ゲルの四種類に大別されます。 一見、適当に選ばれた物質たちのようですが、実はいくつかの共通点があります。 (1) 構成要素が乱雑な構造をとっている。 通常の物理にあらわれる固体相(低温相)は、何らかの秩序変数で明快に定義できます。 しかしこれらの物質は、固体っぽいときですら明確な秩序を持ちません。 (2) 固体性と液体性が共存している。 マヨネーズの例から良く分かるように、これらの物質は、粘弾性や塑性流動といった固液両面の性質を示します。 (3) 新奇な臨界性を示す。 これらの物質は、固体状態から液体状態に切り替わるとき、平衡物理では見たことの無いような臨界性を示します。
この共通性を反映して、上記の物質の理解は、ある程度の普遍性を持ちます。 すなわち、ガラスの理解がエマルションの理解に有用であったり、粉体の理解がガラスの理解に有用であったりします。 対応して、池田グループのメンバーは、上記の物質群について横断的な研究を行うことも多いです。 以下、我々の研究を概観してみます。

ガラス

液体を急冷あるいは急圧縮すると、粘性が発散的に増大し、ついには構造が乱雑なままで固体になってしまう。 この固体をガラスと呼び、液体がガラスになることをガラス転移と呼びます。 代表例はケイ素と酸素からなるシリカガラスですが、その他にも小分子がガラス化した分子性ガラスやコロイド粒子がガラス化したコロイドガラスなどがあり、適切に冷却・圧縮すればほぼ全ての物質がガラス転移を示します。
ガラス転移の理解は、長年の物理の未解決問題ですが、近年、その研究は大きく進展しています。 特にエポックメイキングな進歩としては、ガラス転移の平均場理論が完成してガラスのエネルギー地形の構造がわかってきたこと1、そしてガラスの低エネルギー励起の性質がわかってきたことがあげられるでしょう。 我々はこの両者について研究成果をあげてきており、特に後者についてはガラス特有の空間局在した低エネルギー励起の発見2 、その物理的起源の解明3など、重要な成果をあげました。 また、分子性ガラスの複雑エネルギー地形の解明4や、アクティブマターのガラス転移の研究5など、ガラスに関する幅広い問題でも成果をあげています。
[1] G. Parisi et al., "Theory of Simple Glasses" (Cambridge University Press, 2020).
[2] H. Mizuno et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA 114 (46) E9767-E9774 (2017). プレスリリース
[3] M. Shimada et al., Phys. Rev. E 98, 060901(R) (2018).
[4] K. Shiraishi et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA 120 (14) e2215153120 (2023). プレスリリース
[5] N. Oyama et al., Phys. Rev. Research 1, 032038(R) (2019).

エマルション・泡

エマルションは液滴が液体中に分散した系であり、泡(フォーム)は気泡が液体中に分散した系です。 マヨネーズはエマルションの代表例で、油滴が水に分散した系です。 これらの系では、構成粒子が大きいため、往々にして熱運動が無視できます。 このような非熱的な系が、高密度で乱雑固化する現象をジャミング転移と呼びます。 ジャミング転移を起こした系では、粒子間接触のネットワークが剛性を生み出しますが、 このネットワークがギリギリの安定性しか持たないことから、非自明な臨界性が現れます1
ガラス転移は熱的な系の乱雑固化であり、ジャミング転移は非熱的な系の乱雑固化です。 「この両者の関係は?」というのは、最も素朴な疑問でしょう。 我々は、ガラス転移とジャミング転移が異なる転移であり、ひとつのモデル内で別々に起こることを確立しました2。 むしろジャミング転移は、ガラス相内にある臨界点であり、ガラスの力学物性の異常性が極致に至る点なのです3
エマルションや泡は、固体性と液体性の共存を特に容易に観察できる系です。 我々は、これらの系の外力下での流動化(塑性流動)の研究4や、弾性と粘性の共存である粘弾性の研究5でも成果をあげています。 特にエマルションの粘弾性については、その異常に強い粘性が、ガラスの低エネルギー励起の理論で説明できることを見出しました。 ガラスの理解によりマヨネーズの理解が深まったわけです。
[1] M. Wyart, Ann. Phys. 30, 3, 1-96 (2005).
[2] A. Ikeda et al., Phys. Rev. Lett. 109, 018301 (2012). Physics Synopsis
[3] 池田昌司、水野英如 「解説:アモルファス固体の物理」 日本物理学会誌, in press (2025).
[4] N. Oyama et al., Phys. Rev. Lett. 127, 108003 (2021). プレスリリース
[5] Y. Hara et al., Nat. Phys. in press (2025).

粉体

粒子直径がミリメーター程度以上のような、巨視的な粒子の集団を、粉体と言います。 典型例は砂山で、目で見える程度に大きな砂粒が、多数集まって乱雑な構造のまま固化しています。 粉体は、熱運動が無視できて、粒子の接触ネットワークが重要という意味では、エマルションや泡と似た系です。 しかし、慣性運動や、粒子間に働く強い散逸(非弾性衝突・摩擦)が、粉体を独特の系たらしめています。 粉体については、非平衡物理や工学の観点からの長い研究史1がありますが、近年はジャミング転移の観点からも活発に研究されています。
我々は最近、粉体の研究に力を注ぎ始めました。 特に散逸の役割に注目して、ガラスと粉体の普遍性や相違性を明らかにする研究を進めています。 直近では、粉体の低エネルギー励起における散逸の役割を研究し、粉体とガラスの大きな違いを見出しました2
また、粉体のような摩擦のある系の興味深い挙動として、スティック・スリップ運動があげられます。 これは、スティック(固着)状態とスリップ(滑り)状態が間欠的に移り変わる運動であり、そのもっとも巨大な現れが地震です。 我々は最近、地震と類似した間欠的動力学が、熱揺らぎに駆動されるガラスにも現れることを発見しました3。 粉体とガラスをめぐる研究領域には興味深い問いが無数にあり、さらなる発展が期待されます。
[1] ジャック・デュラン 「粉粒体の物理学」(吉岡書店, 2002).
[2] S. Koyama et al., in preparation.
[3] Y. Takaha et al., arXiv:2409.15775 (2024).

ゲル

多くのガラスや粉体では、粒子間の斥力が重要であり、粒子たちは互いに押し合いへし合いしながら固化しています。 しかし粒子間に強い引力が働く場合は、この状況は一変します。 粒子は互いに「結合」を形成して、結合ネットワークが系の剛性をささえることになります。 このような物質群を、ゲルといいます。 この「結合」が化学結合の場合は化学ゲル1、van der waals力のような引力の場合は物理ゲル2と呼ばれます。 ソフトコンタクトレンズは、高分子からなる化学ゲルで出来ています。
ゲルとガラスやエマルションは、乱雑固体という意味では似ていますが、結合ネットワークの性質は大きく異なります。 我々は、この構造的相違が物性にどのような影響を与えるかに興味を持ち、物理ゲルの研究を進めてきました。 例えば、ガラスは局在化した低エネルギー励起を持つ一方で、ゲルは同様の励起を持たないことを見出しました3。 これは、巨視的な極限では、物理ゲルは欠陥のない連続弾性体になることを意味しており、ガラスと大きく異なる挙動です。 最近では、化学ゲルにも興味を持っており、研究を始めようとしています。
[1] P. G. De Gennes, "Scaling Concepts in Polymer Physics" (Cornell Univ Press, 1979).
[2] E. Zaccarelli, "Colloidal gels: equilibrium and non-equilibrium routes", J. Phys. Condens. Matter 19, 323101 (2007).
[3] H. Mizuno et al., J. Chem. Phys. 155, 234502 (2021). プレスリリース

興味を持った方へ

大学院生として、あるいはポスドクとして、この分野の研究をしてみたいという方は、お気軽に池田までご連絡下さい(メールアドレス:atsushi.ikeda [at] phys.c.u-tokyo.ac.jp)。 学内・学外の志望者を歓迎いたします。 一緒に物理の最先端を押し広げ、ありふれた物質の理解を塗り替えて行きましょう!

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