概要:
統計力学において拡散現象は重要なトピックである.最も素朴な拡散現象は「通 常拡散」であり,典型的にはブラウン運動で記述され,その変位はガウス分布に 従う.ブラウン運動を統計力学として理解することは古くから試みられてきたこ とであり,例えばニュートン力学を出発点に,ボルツマン方程式,ランジュバン 方程式を漸近的に導く運動論に基づく数理的な枠組み[1]や,射影演算子法に基 づく導出[2]などがよく知られている.
一方,通常拡散の枠組みに当てはまらない「異常拡散」と呼ばれる拡散現象も存 在する.異常拡散の典型例の一つはLévy flightと呼ばれるモデルであり,変位 幅が冪分布に従うため,間欠的に大きなジャンプを示す数理モデルとなってい る.Lévy flightは非平衡のモデルであり,乱流,生物,経済などの幅広い分野 で観測され大きな着目を浴びてきた.
それではLévy flightを統計力学として導出するにはどうすればよいだろうか? 講演者の調べた限り,ミクロモデルの動力学から出発して体系的にLévy flight を導出する試みは殆どない.Lévy flightは本質的に非平衡系のモデルであり, 非平衡状態の多粒子系動力学を出発点に取ることは理論的に容易でないからだ. そこで講演者は生物物理の非平衡系に対して運動論の枠組みを拡張すること で,Lévy flightをミクロモデルから体系的に導出する研究を行った[3].
講演者は流体中の遊走微生物系をモデルケースとして研究した.この設定では遊 走微生物が流体力学相互作用を引き起こすことで,非熱的な揺らぎを流体に伝播 させる.ここで水中にトレーサ粒子を入れると,流体を伝播した非熱的な揺らぎ によってトレーサが変位を示す.講演者のグループはこのトレーサの変位がLévy flightに従うことを,そのミクロ動力学を出発点に統計力学として示した[3]. ここでの基本的なアイディアは分子運動論の数理を拡張することである.遊走微 生物の分布が希薄になる極限では,トレーサの動きはカラード・ポアソンモデル として近似的に記述できる.ここでのノイズ中に含まれる力の関数や,ノイズの 発生頻度は,非平衡2体散乱過程の力学を解析的に解くことによって求める.こ のカラード・ポアソンモデルを解析することで,長時間の振る舞いとしてLévy flightが現れることを示した.またこの解析の副産物として,Holtsmark型の静 的分布関数論に基づく現象論的アプローチが短時間極限で正当化されることも示 された[4].
[1] N.G. van Kampen, Stochastic Processes in Physics and Chemistry, 3^rd ed. (North-Holland, 2007)
[2] 川崎 恭治,非平衡と相転移―メソスケールの統計物理学 (朝倉書店,2000)
[3] K. Kanazawa, T.G. Sano, A. Cairoli, and A. Baule: arXiv:1906.00608 (2019)
[4] T. Kurihara et al. Phys. Rev. E 95, 030601 (2017)