メッセージ・教育方針
研究室に入ろうと考えておられる方々へ、私の研究や教育についての考えをお知らせしたいと思います。
その前に、私のこれまでの歩みを私なりにお話したいと思います。というのも、現在の私の研究や教育に対する考え方を理解していただく上で、これまでの私の経験の概略を理解していただくことは大切だと思うからです。
私のこれまでのこと
植物が好き
私は小さい頃から植物が好きでした。小学校の頃から畑を耕して野菜を育てたりすることが好きでした。植物はよく耕し、肥料を与え、手入れをすると必ず良く育ち、おいしさを提供してくれます。当時は研究者になろうと強く考えていた訳ではありませんが、進学先として農学部を選んだのも、卒業研究に植物栄養学研究室を選んだのも、植物が好きだったからだと思います。
役に立つ研究をしたい
当時(1980年代の後半)、植物の分野では、遺伝子レベルでの研究が進められ、タバコなど限られた植物種には遺伝子を導入できるようになっていました。遺伝子導入の開発は植物に新たな機能を与えることができる画期的な進歩でした。
一方、植物栄養学などの生理学の分野では、植物の生理を調べることは行われていましたが、調べたことをどう活かすのか、という展望は必ずしも明確ではありませんでした。大学院生となって研究を進めるうちに、私は研究の面白さ、植物だけでなく様々な生物が見せる興味深い現象やその仕組みに魅了されると同時に、同じ研究をするなら、面白いだけでなく、いつかは役に立つ(植物の生育改善に結びつく)研究をしたいと考えるようになりました。
とはいうものの、その当時は何をどうすれば植物の生育改善に結びつくのかという明確な考えを持っていたわけではなく、当面の研究テーマをいかに発展させることができるのかを自分なりに考えては試行錯誤するだけでした。
様々な環境や異なる背景を持つ人たちの間に身をおくことの意義
私は大学院生の5年間に、国内、国外の4つの研究室で一定期間、研究する機会を持つことができました。異なる研究室で実験すると、自分が今まで疑問に感じていたことが氷解したり、様々な分野の異なった研究への考え方やアプローチをする多くの人に接することができ、とても有意義な経験でした。特に、セントルイスのワシントン大学では、様々な国の様々な境遇の人が、研究のために集まって議論しつつ闘いつつ研究を進める中に身を置くことができ、二度と得ることのできない貴重な経験ができたと思います。
シロイヌナズナの変異株からホウ素トランスポーター遺伝子を同定
一方で、研究はといえば、植物の栄養に対する反応について興味を持ちつつも、役立つ植物を作る、という具体的な展望が見えていたわけではありませんでした。そんな中、私の大学院生時代の恩師が研究中にあるシロイヌナズナの変異株を偶然発見しました。この変異株は野生型の植物(普通の植物)に比べてホウ素を沢山与えないとうまく育つことができない、という不思議な性質を持っていました。
この変異株の原因遺伝子を数年後に同定したところ、生物界ではそれまで知られていなかったホウ素のトランスポーター遺伝子であることが明らかになり、Natureに論文を出すことができました。この論文は当時の大学院生の研究が主な内容ですが、Natureから受理の電子メールが来たのは日本時間の夕刻で、当時ドイツに滞在していた大学院生からの電話で受理されたことを知り、ひとけの無い研究室で一人大騒ぎして喜んだのを思い出します。
土壌のホウ素量に適応する植物を作ることに成功
その後、優れた大学院生やポスドクの人たちの研究で、ホウ素の輸送を担う複数のトランスポーターを同定し、さらにこれらのトランスポーターを使って、ホウ素が少ない土壌でも、逆に多すぎる土壌でも(ホウ素は多すぎると毒です。ゴキブリのホウ酸団子のように)生育できる植物を作ることができるようになりました。また、真核生物で初めてのモリブデントランスポーターを同定することもできました。
様々な人に支えられて
振り返ってみると、これまでの研究の歩みは、研究としての面白さと役立つという両面を追い求めながらも、当初は手探り状態であったものが、あるきっかけから研究が発展した、ということになるのでしょう。もっと重要なこととしては、この過程で私は様々な人に支えられてきているということだと思います。大学院生時代に様々なチャンスを与えていただいたり、外から来た学生を快く受け入れていただいたりしました。現在のホウ素の研究のきっかけを与えて下さったのも恩師の先生です。その後の発展を支えるだけでなく、自らの考えに基づいて進めた多くの大学院生や博士研究員の努力無くしては、このような発展はあり得なかったと思います。国内外の多くの研究者の方々に材料を提供していただいたり、議論していただいたりしてきました。この間の研究はほぼ全てが税金からの研究費でまかなわれてきたことも忘れてはいけません。