細胞機能・運命制御に向けた人工増殖因子の開発

最新の研究成果はこちら(ケミカルタイムズ 2020 No. 2 にて紹介されました)

 私たちの体を構成する細胞は、外界からの情報伝達分子を細胞表層の受容体で受け取り、多様な応答を引き起こします。そのような機能発現に関連する分子の一つに「増殖因子」があります。増殖因子が示す生理活性は、現代医療に貢献する大きなポテンシャルを秘めています。例えば、再生医療において傷ついた臓器の修復を促したり、ES細胞・iPS細胞などの多能性幹細胞を目的の細胞へと分化させるなどの応用が進められています。しかしながら、天然の増殖因子はタンパク質から構成されるため、その安定性・品質管理などの観点において問題を抱えています。そのため、天然の増殖因子の機能を肩代わりする「人工増殖因子」を作り出すことができれば、ライフサイエンス分野への大きな波及効果が期待されます。

 このような背景から、私たちは標的分子に選択的に結合する機能性分子を利用した人工増殖因子の開発を進めています。一例として、化学合成可能なデオキシリボ核酸(DNA)に基づいた人工リガンド分子に着目して研究を進めています。DNAは生体内では遺伝情報の担体として機能していますが、1990年代に開発された試験管内進化法(SELEX法)によって任意の物質に結合するDNAアプタマーを創出することができます。
 当研究室では、受容体を認識する人工リガンドに基づいて天然増殖因子の機能を模倣する人工増殖因子を開発可能であることを実証しています(研究例1・2)。この人工増殖因子は、熱的に非常に安定であるため保存や輸送条件の制限を受けず、使いよい増殖因子代替物としての応用が期待されます。また、単に天然増殖因子の機能を模倣するのみでなく、外界の環境に応じて活性をスイッチさせるスマートな増殖因子など、これまでにない新たな生理活性分子を作り出せることも実証しています(研究例3)。最終的には細胞の機能・運命を意のままに制御する分子技術への飛躍を目指しています。

            

研究例1 人工増殖因子の開発(Angew. Chem. Int. Ed. 2016, “Hot Paper”)

 HGF(肝細胞増殖因子)は肝細胞の増殖やiPS細胞の肝臓への分化に用いられる因子として知られています。この論文ではMetと呼ばれるHGFの受容体に結合するDNAアプタマーを用いて、人工HGFとして機能する機能性核酸を開発しました。HGFはMet受容体に結合するとMetの二量化を引き起こし、細胞内へシグナルを伝達します。そこで、この作用機序を再現するアプタマー二量体を数種類設計し、高い活性を示す分子をスクリーニングしました。この人工HGFは天然HGFと同様にヒト正常細胞の増殖や、培養細胞の遊走を促すことが確認されています。本研究により、受容体アゴニストアプタマーが再生医療分野における新たな分子基盤となり得ることが実証されました。

研究例2 人工増殖因子による幹細胞培養(Chem. Commun. 2019)

 ヒトES細胞やiPS細胞を培養する際には塩基性線維芽細胞増殖因子(bFGF)と呼ばれるタンパク質を培地に添加する必要があります。しかしbFGFは熱的安定性が低く、そのままの状態では培養環境で長期間活性を保つことが困難であることが問題となっています。本論文では、FGF受容体を活性化可能なDNAアプタマーの開発に成功しました。この人工FGFアプタマーは、市販のiPS細胞培養培地においてbFGFの代わりに添加することで、iPS細胞の未分化維持培養に応用可能であることが示されています。

研究例3 遺伝子改変を要さない細胞シグナルのリプログラム(J. Am. Chem. Soc. 2017)

 増殖因子が引き起こすシグナル伝達は、細胞の増殖を誘起したり、細胞死を防ぐ効果があることが知られており、再生医療の分野で大きな注目を集めています。一方で、上記の作用は細胞の無秩序な増殖によって引き起こされる発がんの過程にも関与していると考えられています。この論文では細胞外環境に存在するバイオマーカー依存的に受容体の活性化を引き起こすDNAスイッチの開発を報告しています。下の動画では、特定のバイオマーカー分子に応答し、細胞遊走を引き起こすDNAスイッチの作用を示しています。この細胞は、本来バイオマーカー分子に応答しませんが(動画左下)、DNAスイッチの存在下ではバイオマーカー分子の存在に応答して細胞遊走を引き起こします(動画右下)。この概念を応用すれば、疾病箇所でのみ活性を発揮する安全な人工増殖因子や、特定の環境に応じて細胞の増殖・分化などの機能を人為的に制御できる化学ツールが開発できると期待されます。