研究

生物システムは、様々な環境変化や内部状態の揺らぎの下で機能し続けられる頑強性(ロバストネス)を持つ一方で、 環境変化などに対して柔軟に内部状態を変化させる可塑性を持っています。このロバストネスと可塑性が両立できるという点は、 生物システムと人工システムの本質的な違いの一つですが、 どのようにして複雑な化学反応のネットワークがその両立を可能とするか、メカニズムの理解は進んでいません。一方で、大規模な生物実験データが取得できるようになり、 そうしたデータに基づいてシステムの状態遷移やそのロバストネスを議論できるようになりつつあります。我々の研究チームでは、微生物の適応進化や、多細胞生物の発生過程などを題材として、細胞状態のロバストネスと可塑性について、 理論研究と実験研究の双方からの理解を目指しています。

【研究1】細胞モデルを用いた適応進化ダイナミクスの解析
【研究2】大腸菌進化実験における表現型ー遺伝子型の定量
【研究3】発生過程における状態可塑性と安定性
【研究4】細胞内化学反応における少数性現象の解析
【研究5】分子モーター多体型に現われる協同現象

ここで挙げた研究の他にも、免疫システムや代謝システム,生態系などについて理論と実験の両面からの理解を試みています。単に現象に似せるモデルや理論を考えるのではなく、システムが持つ一般的な性質を抽出する理論体系の構築を目指しています。詳しくは、論文リストを参照してください。


研究1 細胞モデルを用いた適応進化ダイナミクスの解析

簡単な化学反応ネットワークを内部に持つ細胞モデルを用いて、進化シミュレーションを行い、 表現型の可塑性と進化過程の安定性がどのような性質を持つかを調べました。結果として、 表現型可塑性(同じ反応ネットワークが生み出す状態の多様性)が進化過程の安定性に重要であることや、 その進化ダイナミクスが比較的少数のマクロ変数によって記述され得ることが示されました。 こうした結果から、適応進化ダイナミクスを記述する熱力学のようなマクロ状態論の構築を目指しています。



この研究の詳しい情報は、以下の文献を参照して下さい。
Global relationships in fluctuation and response in adaptive evolution, Chikara Furusawa, Kunihiko Kaneko, Jour. Roy. Soc. Interface 12(109):20150482 (2015)

Universal Relationship in Gene-Expression Changes for Cells in Steady-Growth State, Kuhiniko Kanekko, Chikara Furusawa, Tetsuya Yomo, Phys. Rev. X 5:011014 (2015)


研究2 大腸菌進化実験における表現型ー遺伝子型の定量

大腸菌のように世代時間が短い微生物を用いると、実験室で進化過程を観察することが出来ます。 そこで、様々なストレス環境や抗生物質などを添加した環境で、大腸菌の進化実験を行い、 そこでの表現型と遺伝子型(ゲノム配列)の変化を定量しました。その結果として、 様々に異なる環境に対して適応進化した大腸菌においても、その遺伝子発現パターンの変化は比較的少数の自由度で記述できることや、 ゲノムの変化に依らない長い時間スケールを持つ表現型のメモリー機構の存在が明らかになりました。 こうした結果と、【研究1】の結果を統合することにより、適応進化ダイナミクスを記述する理論体系の構築を試みています。



この研究の詳しい情報は、以下の文献を参照して下さい。
Prediction of antibiotic resistance by gene expression profiles, Shingo Suzuki, Takaaki Horinouchi, Chikara Furusawa, Nature Comm. 5:5792 (2014)

Development of an automated culture system for laboratory evolution, Takaaki Horinouchi, et al., Jour. Lab. Automation 19(5):478-82 (2014)


研究3 発生過程における状態可塑性と安定性

多細胞生物を内部ダイナミクスを持つ細胞が相互作用する系として捉え、 その発生過程における状態の多様性と安定性について計算機シミュレーションを用いて解析しました。 結果として、非線形の内部ダイナミクスを持つ細胞が相互作用するという単純な仮定のみで、 多様な状態への分化や発生過程の安定性を説明できることを示しました。特に、分化能を持つ幹細胞が、 分化能を失った末端細胞と比較して、高い自由度を持ち複雑な振動をする遺伝子発現ダイナミクスを持つという予言を提示し、 最近になってそれが実験的に確認されています。さらに詳細な実験データとの対応を解析することにより、 発生過程での細胞状態遷移と、細胞集団レベルでの安定性を説明することを試みています。



この研究の詳しい情報は、以下の文献を参照して下さい。
A dynamical-systems view of stem cell biology, Chikara Furusawa, Kunihiko Kaneko, Science 338(6104):215-7 (2012)

Oscillatory protein expression dynamics endows stem cells with robust differentiation potential, Narito Suzuki, Chikara Furusawa, Kunihiko Kaneko, PLoS One 6(11):e27232 (2011)


研究4 細胞内化学反応における少数性現象の解析

細胞小器官などの非常に微小な体積で起こる化学反応では、しばしば反応に寄与する分子の数が非常に少数になるといった状況が起こりえます。こういった状況で現れる新しい現象を理論的に研究しています。 分子の数が少なくなる効果は、平均値の濃度ダイナミクスのまわりの単純なゆらぎとして現れるにすぎないと思われがちですが、特定の化学反応系においては、分子の少数性によって化学反応に新たな協同性が生まれ、系の性質を質的に変えてしまう現象(双安定性 の出現 : 図 (a),(b) など)が出現します。また図(c)(d)に見るような、分子の数依存で化学反応フローが逆流するといった現象も報告しました。このような”少数性現象”が細胞内で何らかの機能を担っているのではないかと考え、理論的な解析を行っています。



この研究の詳しい情報は、以下の文献を参照して下さい。
N. Saito, Y. Sughiyama and K. Kaneko, "Motif Analysis for Small-Number Effects in Chemical Reaction Dynamics." Jour. Chem. Phys., 145, 094111 (2016)

N. Saito and K. Kaneko, "Theoretical analysis of discreteness-induced transition in autocatalytic reaction dynamics." Phys. Rev. E, 91, 022707 (2015)

研究5 分子モーター多体型に現われる協同現象:方向性スイッチ現象の理論解析

分子モーターに駆動される細胞骨格ダイナミクスは真核生物にとって普遍的なプロセスです。例えば紡錘体形成過程における微小管ダイナミクスは非常に複雑に制御されていますがその詳細はほとんどが理解されていません。我々は多数の分子モーターが協同的に働くことで初めて出現しうる現象(協同現象)に注目し、こういった現象が細胞骨格ダイナミクスの緻密な制御にどのような機能を果たしているかを理論・シミュレーションを通して研究しています。 近年、kinesin5ファミリーのCin8というキネシンは、微小管に同時に結合する同種分子の数に依存して進む方向性をスイッチさせることが実験的に明らかになりました。しかしそのメカニズムや生体機能は全く分かっていません。我々は数理モデルを用いてこの方向性のスイッチを協同現象として説明することに成功しました。



この研究の詳しい情報は、以下の文献を参照して下さい。
N. Saito and K. Kaneko, "Embedding dual function into molecular motors through collective motion" Sci. Rep., 7 (2017)