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犬の壊死性髄膜脳炎(パグ脳炎)の病態解析

2008.4.17 松木直章

はじめに

 壊死性髄膜脳炎(Necrotizing meningoencephalitis:NME:別名パグ脳炎:Pug dog encephalitis)は パグ、マルチーズ、ヨークシャー・テリアなど限られた小型犬種に発生する疾患です。東京大学動物医療センターでは年間およそ30-40例の犬をNMEと診断または仮診断しており、症例数は少なくありません。NMEは原因不明であり、確実な治療法も知られていません。多くの症例が死に至ります。当研究室では、NMEの原因究明と治療法確立のために研究を進めています。

シグナルメント

 これまでNMEの自然発症が報告されているのは、パグ、マルチーズ、ヨークシャー・テリア、シー・ズー、ペキニーズ、チワワ、ポメラニアン、パピヨン、フレンチブルドッグのみです。この他には悪性腫瘍に随伴したNMEのゴールデン・レトリバー1例のみが報告されています。このためNMEはかなり犬種特異的であり、遺伝的素因に影響されやすいと考えられます。NMEは4ヶ月-10歳以上で発症しますが、多くは1-3歳です。発生率に性差はありませんが、雌では発情後に発症する例が多いようです。

症状

 NMEの初期病変は大脳皮質に発生し、次第に大脳基底核、小脳、脳幹へと進行します。これに伴って臨床症状も進行します。初期症状は発作、運動失調、視力障害など大脳皮質の異常によるものですが、次第に旋回運動、斜頸、昏睡、摂食障害、遊泳運動などがみられるようになります。最終的には重積発作や誤嚥により死亡するか、それ以前に安楽死が選択されます。

パグ写真
NMEを発症して昏迷状態に陥ったパグ犬

画像診断

 MRI(またはCT)で特徴的な脳病変を観察できます。初期病変は大脳の髄膜直下または皮髄境界(灰白質と白質の境界)に起こります。これらの病変は数日-数週間で軟化・壊死し、大脳皮質は萎縮します。NMEの確定診断は病理検査によりますが、現実的には犬種や特徴的なMRI所見から、高精度で(仮)診断できます。

パグ脳MRI 
NMEのMRI像:大脳皮質の軟化が激しい

臨床病理

 血液検査、一般的な脳脊髄液(CSF)検査では特徴的な異常は現れません。

病理

 NMEの病変は灰白質に限局されており、白質や脊髄が冒されることはほとんどありません。初期病変の特徴は細胞障害性T細胞を主体とするリンパ球浸潤で、続いて実質の壊死、マクロファージ浸潤、グリア増生が認められます。病変には免疫グロブリンや補体が沈着します。

NMEの病理
NMEの病理組織

治療

 治療法のコンセンサスはまだありません。我々は初期治療として免疫抑制量のステロイド剤(プレドニゾロン 2-4 mg/kg/day)を用いており、少なくとも6カ月間は1 mg/kg/day 以上の用量で継続するようにしています。維持が難しい症例ではシクロスポリンAを5 mg/kg, sid-bidで使用しますが、まだエビデンスといえるものはありません。

予後

 NME の予後は大きく二分されるようです。免疫抑制治療で脳の壊死がコントロールできなければ症状が急激に進行します。このような症例は1日-数週間で死に至るか安楽死が選択されます。一方、治療によく反応する症例は数年以上の生存が見込めます。

遺伝的素因

 限られた犬種に発生することから、何らかの遺伝的素因が関与していることは間違いないと思われます。しかしながら、血縁のない同居犬が相次いで発症する場合もあるため、環境因子の存在も否定できません。

パグ脳炎の家系図
NMEが好発したパグの家系の例

抗GFAP自己抗体:診断マーカーとして

 NMEの犬では、脳脊髄液中にグリア線維性酸性蛋白質(GFAP)に対する自己抗体が認められます。2001-2005年の我々のデータでは、NME症例の97%(57/59例)が自己抗体陽性であり、疾患に対する感度は非常に高いです。抗GFAP自己抗体の検査は(株)モノリスで受託していますので、獣医師の方はこちらをご利用ください(抗GFAP自己抗体検査のページ)。

IFA写真
培養アストロサイトを用いた自己抗体検査(IFA)

イムノブロット
ウシGFAPに対する脳脊髄液の反応
(1-9: 症例, C: 健康犬, N: 二次抗体のみ, mAb: 抗GFAPモノクローナル抗体)

脳脊髄液中GFAP

 健康な動物の脳では、GFAPはアストロサイト(星状膠細胞)の細胞内にのみ認められ、細胞外には存在しません。しかしアストロサイトに障害が起きるとGFAPが漏れ出し、脳脊髄液に出現します。NME症例の多くでは脳脊髄液中にGFAPが検出され、他の疾患に罹患した犬や健康犬では検出されません。興味深いことに、健康なパグ5頭の脳脊髄液を検査したところ、4頭でGFAPが認められました(下図)。したがって、健康なパグもアストロサイトが脆弱であり、そこから漏出したGFAPに対する自己免疫がNMEの原因の一つだと考えられます。

GFAP定量
犬の脳脊髄液中GFAP濃度

人間のラスムッセン脳炎との類似性

 犬のNMEと人間のラスムッセン脳炎は、病理組織像、自己抗体が検出されることなどの点でよく似ています。一方、人間のラスムッセン脳炎は片側の大脳のみが障害をおこすのに対して、犬のNMEは両側の大脳半球が冒されます。犬のNMEは圧倒的に症例数が多いので、とくに治療について人間のラスムッセン脳炎のモデルになるかもしれません。

関連する我々の論文

英文
  1. Matsuki, N., Fujiwara, K., Tamahara, S., Uchida, K., Matsunaga, S., Nakayama, H., Doi, K., Ogawa, H. and Ono, K. Prevalence of autoantibodies in cerebrospinal fluids from dogs with various CNS diseases. J. Vet. Med. Sci. 66(3): 295-297, 2004.
  2. Shibuya, M., Matsuki, N., Fujiwara, K., Imajoh-Ohmi, S., Fukuda, H., Pham, N.-T., Tamahara, S., and Ono, K. Autoantibodies against Glial Fibrillary Acidic Protein (GFAP) in Cerebrospinal Fluids from Pug Dogs with Necrotizing Meningoencephalitis. J. Vet. Med. Sci. 69: 241-245, 2007.
  3. Toda, Y., Matsuki, N., Shibuya, M., Fujioka, I., Tamahara, S., and Ono, K. Glial fibrillary acidic protein (GFAP) and anti-GFAP autoantibody in canine necrotizing meningoencephalitis. Vet. Rec. 161: 261-264, 2007.
  4. Fujiwara, K., Matsuki, N., Shibuya, M., Tamahara, S., and Ono, K. Autoantibodies against glial fibrillary acidic protein in canine sera. Vet. Rec. 52: 592-593, 2008.
  5. Pham, N.-T., Matsuki, N., Shibuya, M., Tamahara, S., and Ono, K. Impaired Expression of Excitatory Amino Acid Transporter 2 (EAAT2) and Glutamate Homeostasis in Canine Necrotizing Meningoencephalitis. J. Vet. Med. Sci. 70: 1071-1075, 2008.
  6. Matsuki, N., Takahashi, S., Yaegashi, M., Tamahara, S., and Ono, k. Serial examinations of anti-GFAP autoantibodies in cerebrospinal fluids in canine necrotizing meningoencephalitis. J. Vet. Med. Sci. 71: 99-100, 2009.

和文
  1. 松木直章,「パグ脳炎-病態、病理、疫学、そして臨床像」インフォベッツ(アニマル・メディア)7巻4号(2004)
  2. 松木直章,「壊死性髄膜脳炎(パグ脳炎)における自己免疫」SA MEDICINE (インターズー)8巻4号(2006)
  3. 松木直章,「イヌの特発性脳炎:壊死性髄膜脳炎と壊死性白質脳炎」CAP(チクサン出版社)2009年6月号, 2009.

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