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東京大学牧原ゼミ「読み破る政治学ハイスクール編」2019年春期ゼミナールで行われたこと

(1)はじめに


 これは表記の高校生向けゼミナールで何が行われたかを記録したものです。大学が各分野に関心の強い高校生にエクステンション教育を行うことは少子化の中、遠くない将来に必ず課題になるものと思われ、高大連携への取り組みもまた進みつつあります。そこで、このプロジェクトでは、2018年3月と同様、教養学部1・2年生を対象にしたゼミでのメソッドを高校生向けに行うというエクステンション教育を目指しました。





(2)内容




2019年3月の東京大学牧原ゼミ「読み破る政治学ハイスクール編」春期ゼミナールは下記の日程で開催されました。




①2/21(木)17:30~18:30




 説明会




②3/14(木)17:30~19:30




 イントロダクションとディスカッション




 課題文献:丸山眞男「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」(『丸山眞男集 第15巻』岩波書店、所収)




③3/20(水)17:30~19:30




 課題文献:三島由紀夫『宴のあと』新潮文庫




④3/28(木)17:30~19:30




 課題文献:ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』岩波現代文庫




⑤4/6(土) 15:00~17:30




 課題文献:ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』白水Uブックス




 昨年の経緯を踏まえて、今年度は以下の点に配慮しました、一つには教養学部ゼミの修了生に母校に対して、高校生向けゼミについて案内を送るよう依頼しました。校内に周知して頂くことで、高校側の了解をある程度確保した方がよいという判断です。二つには、文献の選定にあたって、高校の教科書等で登場する人物や出来事についての本を選定するというものです。いずれも現役ゼミ生と話し合う内に、彼ら/彼女らからのアドバイスを取り入れたものです。




 もっとも学生への案内については、HP、Facebook、twitterでも発信を図りました。高校とは別に個人としての関心から受講を志す学生も受け入れようという判断がありました。




 説明会では、学生2名の他、高校の教諭の方がいらっしゃいました。当日出席できない学生に代わって、ゼミの様子を聞き取るために出席したとおっしゃっていました。またこの間に、高大連携を積極的に進めている高校から教諭の方が研究室を訪問し、高大連携の授業に協力できるかどうか打診がありました。学生にご紹介いただいた高校の先生方には、趣旨をご理解いただき、お取りはからい頂いたことに、心より御礼申し上げます。




 エントリーした上で最後まで受講した学生は全部で8名でした。首都圏から5名、中京・東海圏から3名です。説明会で教諭の方が出席した高校から3名、その他高校の案内で受講を決めた学生が2名、Facebookを見て受講を決めた学生が1名、友人の紹介で受講した学生が2名です。これに、東京大学の入試結果が判明した段階で、2018年3月に本ゼミの受講経験があり東京大学に入学が決まった学生が本人の希望で加わり、結果として9名で文献の講読と討論を行いました。なお、現役の高校生の中にも昨年受講した学生がおり、9名のうち、2度受講した学生は2名となりました。このことは継続してゼミを続けることで学生の読みや議論がどの程度変わるか、深まるかというゼミの教育効果が問われるものとなったように思います。9名ですと、4回のゼミの間に、全員のペーパーをそれぞれ2回ほどとりあげることができるという意味で、このゼミの形としては適正な規模でした。




 ゼミを開始するまでに学生にはプロフィールを送ってもらい、志望した経緯や講読したい本などについてアンケートを取りました。ペーパーのやりとりをするためメーリングリストを用い、学生一人ひとりにメールアドレスを配布して、個人用のメールアドレスを相互に参照しなくてすむような形を取りました。メーリングリストという仕組みは、やや旧式のもののようにも思いますが、学生同士が慣れるまでは、多少相互に距離感のある連絡方法が適切であると思われます。




 またKUBIについては、これを利用する学生2名に対して、事前に動作確認のテストを行い、操作に慣れてもらいました。比較的短時間のうちに操作に慣れたように見受けられました。




 初回のゼミの前日に全員から課題のペーパーが送られてきました。ゼミでは自己紹介の後、早速議論を始めました。基本的には、学生のペーパーを一つ取り上げて全員で議論し、次に別のペーパーを取り上げて全員で議論するというスタイルを繰り返していきます。以後のゼミも全てそうでしたが、討論の時間に入るとすぐに挙手をする学生が次々と出てきて、議論は中断することなく2時間続きました。KUBIによる参加者も、違和感なくゼミでの議論に溶け込んでいました。特にKUBIから積極的に質問を発する学生には、他の学生も注目するなど、教室にいた学生たちからごく自然にともに学べたという感想を受け取りました。もっともKUBIを操作する側からは、パソコン画面からの参加であったことについて、もう一歩踏み込みたい気分もあったようです。また、音声面で聞き取りにくいときがあったようです。機器の置き方などいろいろと改善を試みてきましたが、さらなる工夫はこれからも続けていきたいところです。




 講読文献は全体に量も多く、難易度が昨年より高いものとなっています。もっとも難易度は実はさほど問題ではなく。学生が意欲的に読むかどうかでゼミでの議論は変わってきます。今回はどの本についても学生たちは強い関心を持ち、読もうと努めていました。学生は『宴のあと』で一番苦労したようでしたが、毎週読みを重ねていくと、最終回でルソーの『社会契約論』を講読する際にも、それぞれの切り口を見つけて論を展開するようになっていました。




 初回のゼミでは、すでに学術論文の検索サイトであるciniiを用いて、関係する文献を渉猟して文献を読み、ペーパーを書いてきた学生がいました。そうであるならば、高校の図書館以上に大学レヴェルの図書館を用いた準備を促してもいいような気もしたほどですが、これは居住地にもよりますので、今後の課題としたいと思いました。質問は絶え間なく出て、2時間のゼミはあっという間に終了しました。今回は遠方から新幹線を使って通学する学生がいたため、帰宅が遅れないよう、終了時刻は19:30を守り、2時間というゼミの時間を延ばしませんでした。




 最終回は、すでに学期が始まっており、学生たちの意見を確認したところ「ぜひもう一度やりたい」ということでしたので、土曜の午後に開催しました。ここでは、ゼミの時間が2時間ではやや未消化のまま残る傾向があることを勘案して、2時間30分まで延ばして行いました。




 今回は前年の経験を下に、学生には初回から「どのような文章を書いてきても、ダメだということはないし、恥ずかしいということはないと思って下さい。それがゼミというものです。少なくとも『読み破る』ためには私は必要だと思っています。」とのメッセージを送りました。型にはめようとはせず、まずは考えるところをペーパーにするよう促しました。




 昨年もそうでしたが、学生それぞれがふとした瞬間に見せる鋭い洞察や、それに向けて理解が切り替わる瞬間から、大学生とは異なる新鮮なひらめきをこちらも感じ取ります。人がいかにして理解を深めていくかという問いのそれぞれなりの応答を感じ取ったことで、研究・教育を行う者にとっては、私自身今後の研究に対する数多くのヒントが得られました。それは今後のゼミでの教育にも確かにつながるだろうと考えています。




 学生同士は、学年も出身高校も出身地も違うのですが、すぐにうち解けたようで、ゼミの終了後いろいろしゃべりながら帰路についたようでした。そうした雰囲気があったことを勘案して、最終回の終了時には「修了証書」を一人ひとりに手渡し(参加できなかった学生には後日郵送し)、一時間ほど軽食と飲み物で打ち上げの会を開催しました。このときはKUBIでゼミに参加した学生2名も懇談に加わり、2台の機器に映る遠方の学生に向かって代わる代わる他の学生が話しかけたりして、ヴァーチャルな空間を含めて会話を楽しんでいました。




 また、ゼミを開くにあたって、私の信頼する現役の大学のゼミ生2名に、傍聴者として出席してもらいました。機器の接続で人手が必要なこともありますが、ゼミという対面の場でコミュニケーションに支障がないようにするには、教員と高校生との間をつなぐことができる人がいるという万全の態勢で臨んだ方がよいと考えていたからです。高校生にとっても、大学生とコミュニケーションをとる機会となったのではないかとみていますし、大学生の側からは「普段の教養学部のゼミよりも質のよいペーパーが提出されていた」という感想もあり、高校生の議論を傍聴することは大学生にとってもまたとない教育の機会となりました。




 全体として言えることは、4回という短い時間でしたが、学部のゼミで通常行っている授業と教員・学生間の交流を一通り高校生に体験してもらえたのではないかと考えています。最終回のあと、学生には次のようなはなむけの言葉を贈りました。「普段のゼミならば、ここからいろいろと注文を出したりします。もっと構成感のあるペーパーを書いたらどうかとか、逆に、もっと破綻した・はちゃめちゃなペーパーを書いてみるといいんじゃないかとか、詩や小説として書いたらどうか、とか言いながら、半期・一年かけて本と取り組んでもらうのです。とはいえ、今回はここまでです。こうした経験は必ずこれからに生きてくると思います。残りの高校生活・さらにその後に向けての糧になればというのが私の願いです。」


 本来このようなゼミの教育効果とは、徐々に学生の中で読みの深まりが起こることにあると私は考えています。無理に成長を求める姿勢は教員としてはとらず、ある種の「きっかけ」になれば当面は十分だと判断しています。そうした当面の変化については、以下に掲載した参加学生の感想にゆだねたいと思います。


 こうしたゼミは継続が大事であると改めて感じており、また来春に開講することを計画しています。






(3)学生たちの感想




(1)学生の感想①




 東大に通っている知人の紹介で今回の「読み破る政治学」の高校生ゼミに申し込んだのですが、初回のゼミの前はどんな人が来るのか分からず勉強しかしないようなめっちゃ頭のいい人しか来ないんじゃないかと心配していました。


 しかし、実際に行ってみると自分の意見をしっかり持っていて、それでいてそれを主張することにアクティブで明るい子ばかりでした。初回の帰りに駅まで一緒に帰って、すぐ仲良くなれたので2回目以降はほんとに毎回のゼミが楽しみだったし、次はどんなペーパーを書いてくるんだろうと刺激を受けていました。


 そんな中、驚いたのは「KUBI」です。自分が話すと画面が動いてこちらの方を向いてくる。そして何のストレスもなくコミュニケーションを取ることができる。そのどれもが新鮮でした。今回のゼミでは普段は読まない本を読んで自分の視野が広がったと共に何と言っても素晴らしい同志に出会うことができました。政治に関して自分より知識のあるみんなに対して自分はどの部分で差別化を図れるだろう、埋もれないペーパーが書けるだろうと考えた上で、課題文献を読んで感じたことと自分にしか書けないスポーツを結びつけてペーパーを書くことにしました。私は打ち込んでいる分野ではオタクだと自負しているのでその部分では負けないという自信があったのですが、それが確信に変わりました。ゼミを通して自分の武器をどう発揮するか、そしてそれをどのように前提知識がない人たちに分かりやすく伝えるかを学ぶことができたと思います。




(2)学生の感想②




 今回のゼミを通じて学んだこととしてまず挙げたいのは、文章の読み方についてです。私は今まで、専門的なことを取り扱った本や筆者の主張が書いてある本などに疑問をもって向き合ったことがありませんでした。書いてあることを理解しようとして、すべてをそのまま受け入れるという姿勢になっていたのだと思います。そのため、前半のゼミでは、疑問を追及することよりも、自分の文章をうまくどこかに着地させることを目標としてペーパーを書いていました。しかし他の参加者の方の持った疑問を改めて考えてみると答えが出ず、自分が本の内容を理解できていなかったと気づきました。引っ掛かりを覚えた箇所について考えること、また他の人の意見を聞くことによって、より本質的な理解が進むということを学べたとても有意義な体験でした。これは課題図書だけでなく他の人のペーパーの内容、また教科書に書いてあることに対しても言えることであり、今後に生かせる財産になったと思います。


 上記のことと関連して、同じ文献に対する様々な意見を知ることができたことも良かったです。あらかじめ用意された解釈に向かって進んでいくような学校の授業とは異なる、それぞれの視点から考えたことを基に議論が進むという形式が新鮮でした。予想だにしなかった方向に話が広がることもあり、自分の知識の甘さやニュースへの疎さを痛感する機会ともなりました。もっと広い分野の話についていけるように知識の幅を広げていきたいです。


 私が今回のゼミを通じて得たものはまだまだたくさんあるのですが、ペーパーの作成やレベルの高い議論、そしてこのゼミに参加して様々な方と出会えたことは貴重な体験であり思い出であると記して、この文章は終わりにしたいと思います。




(3)学生の感想③




 私が今回のゼミに参加しようと思った理由は、ただ何となく同年代の人々と読書をして議論をすることが面白そうだと思ったからというそれだけの理由である。そして、その考えは正しかったとゼミを振り返って思うのである。外国の思想に関する知識や、文章力に自信がない自分が、一所懸命に本と向き合ったエッセイをゼミの人々が読んで質問や議論が始まる。そんな時間を過ごすことができたのはとても楽しく、有意義な時間だった。


 今回のゼミを通して学んだことの一つとして、「質問は相手の矛盾点を探す行為ではない」ということがあげられる。ゼミの初めにはそのような質問が多かったのだが、最終回のゼミの質問では抽象的な言葉の意味や、結論に達した理由や、結論を基にした現代の問題点など一つのエッセイを幅広く質問したりされたりといったことができるようになった。それ以降学校の授業でも自分の意見を述べることが楽しくなった。


 もしこの文章を読んでいる高校生がいるのなら、牧原ゼミに参加するべきだと強くお勧めしたい。政治に関する知識がなくても、文章を書くのが下手でも勇気をもって飛び込んでみてほしい。暗記のようなインプットの学びではなく、話して書くというアウトプットの学びは貴重な経験になるだろう。




(4)学生の感想④




 私はゼミを通して、たくさんの人や本との「対話」が自分の考えをより深いものにしていく過程を、身をもって感じることができました。ペーパーを書くなかで課題図書や自分自身と向き合い、一度書いたペーパーに対して自分で疑問をぶつけ、論理の弱い部分を推敲し、そうして完成したペーパーをもとに他の方の意見を聞き、議論しながら、さらに考えを深めていきました。1週間で1枚のペーパーを書くこと自体はそこまで大変ではありませんでしたが、それ以上にどのような切り口、視点から述べるのか、そして斬新な考えにどうやって説得力を持たせるのかが難しさであると感じました。その点において、他の参加者のみなさんは独自の視点を持っていて、大きく刺激を受けました。自分自身の考えと、また自分にはなかった意見と真剣に向き合えたことは、非常に有意義であったと感じています。私は昨年もこのゼミに参加したのですが、その時とは大きく雰囲気が異なっていました。他の参加者のみなさんのペーパーの視点や性格が違っていたのです。人それぞれ独特の意見があり、書くプロセスも違っていて、他の人のペーパーを読めることが、自分がペーパーを書くことの大きなモチベーションになっていました。また、自分なりに試行錯誤してペーパーを書くことによってさらに議論を楽しめるようになり、いくら時間があっても足りないくらい、こだわればこだわるほど奥深さが見えてくるものだと感じました。


 また、前回参加したときにも感じたことではありますが、今回もう一度参加して、やはり「読書はここまで深いものに発展していくことができるのか」と驚愕しました。想像もしなかったところに自分の考えがストンと落ちていく感覚は言葉では表せないほどに不思議で、どうやら私はそのとりこになってしまったようです。前回は議論についていくことで精一杯で、心から楽しめていなかったように感じましたが、今回は少し自分に自信をもって程よくリラックスできたことで、議論の中でふと生まれた心や考え方の変化を、ありのままに受け止められていたのかなと、今となっては感じています。


 最後に、お世話になった遠隔操作機器について述べようと思います。今回のゼミも前回と同じように遠隔操作機器を使わせていただきましたが、今回は一度だけ先端研に直接伺ってゼミに参加することができました。やはり機械を通さずに話せるというのはもっとも楽しく、心が躍るものです。周りのようすも360度容易に見ることができ、議論に入りやすかったことは否めません。しかしながら、音声の聞き取りやすさや話しやすさは本当に自然の状態に近く、機器を通しても十分に楽しく参加することができました。会場から遠くても気軽に参加することを可能にしてくれるこれらの機器は、非常にすばらしいものだなと今回改めて感じました。とても画期的で、使いやすい機器を今回使用させていただけたこと、本当にありがたく感じています。


 感じたことがあまりにも多くて一つ一つを消化していくにはもう少し時間がかかるような気がしますが、ゼミでの新たな仲間、本、意見、アドバイスしてくださった大学生のみなさんとの出会いは私にとってとても貴重なものとなったことは確かです。本当に楽しく、充実した1か月を過ごすことができました。




(5)学生の感想⑤




 春休みの一ヶ月このゼミに参加し、議論することの楽しさと物事を深く掘り下げて考えることの良さを改めて感じました。普段あまり校外の人と関わることがなく、比較的同じ環境で同じような思考を持った同じようなメンバーで議論をしてきたので、性別も地域も学校も違う人との意見のぶつけ合いがとても楽しかったです。また、自分の中でこれが答えだと思っていた考えも、他の人から反対意見を出されて結局結論が出なかった、などの出来事によってもう一度考え直すことができました。思考し考えを深めることには終わりがないのでもっと時間をかけて議論を深めたかったのですが、時間がそこまでなかったのが残念です。


 4枚のペーパーを書いてみて特に感じたのは、「破天荒な」ペーパーを書くことの難しさでした。私のこれまでの経験では誰もが思いつきそうな平凡なペーパーにしかたどり着かず、それによってもしかすると議論が進まないペーパーになってしまっていたかもしれません。私は同じ本を読んだはずなのに私が到底思いつかないようなテーマでA4一枚を埋めてきた人を見て、素直に尊敬の念を抱きました。これまでの経験から最近のニュースに至るまで議論に使える武器は日常にたくさん転がっていることに気づき、これまで以上に自分の身の回りに気をつけるようになったことで自らの意見が以前よりもするりと出るようになったように感じましたが、結局平凡なレポートの域は抜け出せなかったように思います。自らの可能性を広げるために、今後は「破天荒な」レポートもかけるようになることを目標にしていきたいです。


 また、議論においては、相手の意見に賛成するよりは多少意固地になっても自分が正しいと信じる考えに基づいて反論する方が面白く、またより深く考えることができるということに気づきました。相手の意見に賛成して議論が終わってしまう場面が自分を含め多々あり、むしろ反論してみてもよかったのかなと思っています。意見をまとめることだけが議論ではない、むしろまとまらないまま終わる方が終わった後にもさらに考えが深まると気付かされ、気を楽にしてゼミに挑めるようになったと感じました。


 政治学についても少し考えが深まったように思います。政治について語る上で多くなりがちな抽象的な言葉、それこそ「政治」という言葉の定義からもう一度調べ直したりしたことで、正確に言葉を使うことの重要性に気づきました。この頃政治家の失言が問題になっていますが、話し合いによって物事が決まる政治と自分の意見を細かい言葉の意味を考えながら討論したこのゼミは、その討論によって何かが決まるか決まらないかの差はありますが通ずるものがあるのではないでしょうか。


 ゼミの癖がまだ抜けずまとまらない文章になってしまったかもしれませんが、今回のゼミはまとまらない文章を書けるようになっただけでも参加した意義があったなと感じます。これまで文章を書くときはまとまりを何よりも重視していたので、書き方の新鮮さに文章を書くことの楽しさを再発見することができました。次回も参加できるかはわかりませんが、ゼミに入りたいほど楽しかったです。




(6)学生の感想⑥




 2回目の参加となる牧原ゼミハイスクール編を終えて、議論に対する私の考え方は前回と比べ大きく転換することとなりました。今までは城を建てるようなものだと捉えていた議論というものは、橋を架けるようなものだと思うようになったのです。ここではそのことについて少し詳しく書こうと思います。前回のゼミで私は「どうすれば説得力のある議論ができるか」ということを主に考えていました。相手に議論の穴を指摘されたくないがために、自分の中では完璧と思えるペーパーを作成し、他人のペーパーの矛盾点は余念なく指摘していたのです。それはまるで自らの思考体系を設計図とし、文献をその建材とした城をより強固なものにしていくような作業でした。難攻不落の城こそが最高の議論であると思い込んでいた私は、相手に有無を言わせないような内容・形式を自ら選んでいました。


 しかし今回の参加によって私はその考えから脱却することとなりました。それは議論の最中で飛び出した何気ない質問に考え込まされた時のことでした。いつもの自分なら文献を引き合いに出して自らの正当性を主張するところでしたが、その質問はあまりに思いもよらない視点から発せられていたため、私はどうしてそのような発想に至ったのかと驚くばかりでした。その質問を皮切りにして議論は深まり、私は自らの見識の浅さを知ったとともに、今までは恐れていた意外な質問に楽しさを感じはじめていました。


 ペーパーを書くということは、一方ではテキストに寄り添いながらも、独自の視点から巡らせた思索を思う存分表すということではないかと思います。思う存分というところが肝心で、どうしたら自分の考えを奔放に表現し、かつ他者が実感できるように構築できるか、という課題は常に大きいものでした。テキストと、そこから離れた新たな世界に橋を架けることにより読みの可能性は飛躍的に拡大し、ペーパーを読むと他の学生が架けた橋を渡って様々な世界に行くことができます。しかし重要なことが二つありました。一つは、どんな橋を渡っても必ずテキストに帰るということです。「著者の目にこの状況はどう映るのだろうか?」と考えることでいつでも私たちはテキストに帰ってくることができます。もう一つは、良い橋というのは決して強い橋ではないということです。相手の議論に崩れない橋というのは確かに安心感があるかもしれませんが、強い橋ほど想定外の衝撃の前では脆い可能性があります。私が考える最上の橋は、しなやかな橋です。新たな視点に対し柔軟にふるまい、その視点を取り入れることでまた別の読みに誘ってくれるような議論がこのような橋を築くのではないかと思います。そのためには、風穴となる予想外の質問を呼び込むような魅力的なペーパーをテキストから生み出さねばならないと感じました。


 牧原ゼミは、一回ごとに私に新たな発見をもたらしてくれました。それは、本を読み文章を書いて人と議論するという、断片的には身近な行為が有機的につながるこのゼミの形態の奥深さゆえだと思います。このゼミに参加することで、必ず一度は「良いペーパーとは何か」という問いに突き当たることでしょう。その問いに画一的な答えは存在しませんが、その問いに腰を据えて考えるだけでも大きな成長が得られると思います。私が出した現時点での答えを綴ってきましたが、これからこの考えがどのように変わっていくか楽しみでもあります。




(7)学生の感想⑦



 まず始めに、このような機会を設けていただき有難うございました。
 私には、ゼミを通じて気がついたことが4つあります。


 1つ目は、自分の意見の土台がしっかりしていないと、相手への質問を考えることすら難しくなるということです。私は議論という場が苦手なのですがその苦手意識に甘え続けてきた自分がいかに未熟だったかをとても感じました。同年代の皆が自分の意見を強く述べていることは、自分にとって刺激がありました。まずは、今回のゼミ如く考えを文章にすることから始めていこうと思います。


 2つめは、自問自答を繰り返すことの大切さです。自分の意見というのは不動のものに見えて常に他方に揺れていることを身をもって感じることが出来ました。


 3つめは、一見難解に見えることがらも、身近なことや経験と照らし合わせると格段に分かりやすくなることです。意外に規存の知識だけでも十分に対応できることには驚きましたし、物語中心の読書から視野が広がった気がします。今後は、興味のある分野の本にチャレンジしていきたいです。


 そして最後に4つ目は、自分の意見を文字化出来ることは本当に楽しいということです。高校では与えられたものを忠実にくりかえしていくという形式が多いので、ただただ自由に論理を展開していくのはとても楽しかったです。