LinkIcon牧原研究室のトップページ

東京大学牧原ゼミ「読み破る政治学ハイスクール編」2018年春期ゼミナールで行われたこと

(1)はじめに

 これは表記の高校生向けゼミナールで何が行われたかを記録したものです。大学が各分野に関心の強い高校生にエクステンション教育を行うことは少子化の中、遠くない将来に必ず課題になるものと思われます。そこで、このプロジェクトでは、教養学部1・2年生を対象にしたゼミでのメソッドを高校生向けに行うというエクステンション教育を目指しました。



(2)内容

 2018年3月の東京大学牧原ゼミ「読み破る政治学ハイスクール編」春期ゼミナールは下記の日程で開催されました。


①2/22(木) 17:30~18:30


 説明会




②3/15(木) 17:30~19:30


 イントロダクションとディスカッション


 課題文献:北岡伸一・御厨貴「経済教室 震災後の日本政治に緊急提言」『日本経済新聞』


 2011年4月9日




③3/22(木) 17:00~19:30


 課題図書:ジョージ・オーウェル『動物農場』岩波文庫




④3/29(木) 16:00~19:00


 課題図書:武田泰淳『政治家の文章』岩波新書




④4/5(土) 15:00~17:30


 課題図書:マックス・ヴェーバー『職業としての政治』岩波文庫








 このうち最初の説明会に出席した学生は2名で、全部で一時間近くやりとりをしました。高校生ならではと思いましたが、ゼミとは何か、ゼミでの議論とはどのようなものか、といった質問について答えました。その他はメールを通じて参加を希望してきた学生で、説明会に出席した学生2名と合わせて結果的に参加希望学生は8名となり、全員を受け入れました。学年としては新高校1年生から新高校3年生まで。うち首都圏の学生が4名、中京・東海圏の学生が2名、関西圏の学生が2名です。関西圏の学生は毎回先端研に来てゼミに出席しましたので、KUBIという遠隔操作の機器を使って参加した学生は2名でした(うち1名は1度先端研に来て直接ゼミに参加しました)。こちらで用意したKUBIは3台でしたので、学生の希望を満たすことができて、安心しました。全部で4回という短い期間で一人一人の個性を把握しながらゼミを運営するにはちょうどよい人数であったと考えています。


 学生への案内はHPへの掲載によりましたが、大学での牧原ゼミの参加学生のうち何人かは出身高校に案内を送ってくれました。後に参加者にアンケートを取ったところ、高校で掲示されていた案内を見たり、現役のゼミ生が直接出身高校に出向いて開いた説明会を聞いたりしたことがきっかけだったということでした。高校の中には先生がたまたまHPをご覧になり、学生に案内を出されたということもあったと聞いており、心より御礼申し上げます。 


 なお、ゼミの修了生が出身高校に送った案内の文章には、次のような一節がありました。この高校からは複数の参加学生がおり、この文章には相応の説得力があったものと考えています。




「政治・社会を考える視野が広がり、また同時に自分の読解力向上が確かに感じられる機会となること、間違いありません。一人で集中して本を読み、そして権威や常識にとらわれずテクストの前で“主権者”として振る舞うこと、は最も大切です。しかしそれは同時に、他者との対話、批判に開かれていなければなりません。このゼミで他の参加者と対話を重ねる中で、言葉のキャッチボールがやがて少しずつ足場を作り、自分だけでは決してたどり着けなかった、より洗練された光景が広がってゆく面白さを知ることになるでしょう。その経験が毎日の読書や勉強に豊かな奥行きを与えてくれることは言うまでもありません。このゼミの卒業生として是非推薦します。」




 ゼミを開始するまでに学生にはプロフィールを送ってもらい、志望した経緯や講読したい本などについてアンケートを取りました。ペーパーのやりとりをするためメーリングリストを用いましたが、いろいろと試行錯誤をした結果、学生一人ひとりにメールアドレスを配布して、個人用のメールアドレスを相互に参照しなくてすむような形を取りました。メーリングリストという仕組みは、やや旧式のもののようにも思いますが、学生同士が慣れるまでは、このような多少相互に距離感のある連絡方法の方が適切なように感じています。


 またKUBIについては、これを利用する学生2名に対して、事前に動作確認のテストを行い、操作に慣れてもらいました。比較的短時間のうちに操作に慣れたように見受けられました。


 初回のゼミの前日に全員から課題のペーパーが送られてきました。ゼミでは自己紹介の後、早速議論を始めました。以後のゼミも全てそうでしたが、すぐに挙手をする学生が出てきて、議論は中断することなく2時間続きました。KUBIによる参加者も、違和感なくゼミでの議論に溶け込んでおり、教室にいた学生たちからごく自然にともに学べたという感想を受け取りました。ただし、ときどき特に音声面で聞き取りにくいときがあったようです。このあたりは技術的に克服できるのかどうか、検討してみたいところです。


 2回ゼミを行ったところ、学生たちから2時間では短いという感想が出ましたので、第3回から開始時刻を早めつつ、3時間かけてゼミを行いました。やはりそれくらい時間をかけると、議論を尽くしたという手応えがあるとの感想でした。当初から3時間のゼミでは長いと高校生たちは受け取るのではないかと考えて、事前に設定した予定では2時間としたのですが、一冊の本について多角的に議論し、参加者一人ひとりの意見や感想を相互に咀嚼しながら互いの認識を深めるには、やはりこれくらいの時間が必要であることを改めて感じました。これは大学生向けのゼミと同様でした。


 最終回は、すでに学期が始まっており、学生たちの意見を確認したところ「ぜひもう一度やりたい」ということでしたので、土曜の午後に開催しました。学期が始まると学生たちの本務の学業がありますので、そちらへの支障がないように配慮しつつ行いました。


 課題図書は次第に難易度が上がっていく内容でしたが、学生たちの中には複数の専門書を読みこなしつつペーパーを作成する者もいれば、普段の学生生活の中で発見できる「政治」と重ねたペーパーを作成する者もいたり、ペーパーという形態を一新するような斬新なアイディアを出してきた者もいたり、とこちらが舌を巻くようなペーパーばかりでした。学年は違いましたが、ほぼ同じレヴェルでの議論に全員が参加していたと思います。ゼミの教員として本当に教えられるところが多かったというのが率直な感想です。学生同士は、学年も出身高校も出身地も違うのですが、すぐにうち解けたようで、ゼミの終了後いろいろしゃべりながら帰路についたようでした。またメーリングリストを使って、ペーパーについての議論をさらに続けた学生たちもいました。そうした雰囲気があったことを勘案して、最終回の終了時には「修了証書」を一人ひとりに手渡し(参加できなかった学生には後日郵送し)、一時間ほど軽食と飲み物で打ち上げの会を開催しました。


 全体として言えることは、4回という短い時間でしたが、学部のゼミで通常行っている授業と教員・学生間の交流を一通り高校生に体験してもらえたのではないかと考えています。どの程度の成果があったかは、学生たちの時熟にかかっているのですが、当面の成果としては、以下に掲載した参加学生の感想にゆだねたいと思います。




 今回のゼミの試みで相当の教育面での手応えを感じています。この経験を生かして、夏に同様のゼミを開催する予定でいます。予定などは後日HPに掲載します。



(3)学生たちの感想

(1)ゼミ生の感想①

 とにかく手当たり次第に本を読み、回を重ねていくうちに、なんとなくではあったが自分の考え方が自分の中ではっきりしてきた。考えを正確に把握し、的確な言葉で他者に伝えるというのがこれほど難しいことなのかと議論する中で驚きもした。少しずつ他の人の意見を理解できるようになって、よりたくさんのことを学べたと思う。私がこのゼミで学んだ中で、特に挙げたいと思うものが三つある。
 まず一つ目に、さまざまな考え方があるのだと身をもって感じることができたことだ。自分は考えもしなかったようなことを考えている人がいて、刺激を受けた。いろいろな視点で物事について考えていくことが、問題解決に少しでも近づくように思ったと同時に、自分もいろいろな発想をすることができるようになりたいと思った。
 二つ目として、文章を読むときは、文章が書かれた背景、著者の根底となる考え方についても学ぶことが大切だということである。それから、言葉の定義を議論のうえでは明確にしていく必要があるのだということも感じた。ひとつの単語でも、それが意味している範囲は人によって異なるため文章を読むとき、議論のときには意識することがとても重要であるのだ。これは今までわかっているつもりでありながら、しっかりとはわかっていなかったように思う。
 三つ目として、議論を深めることは楽しいということだ。議論のなかでいろいろな考えを聞くことができ、新たな発見があった。自分の意見が変わったこともあった。そして、自分の意見を言葉にして発信し、質問に答えていくことで(うまく答えられなくてもどかしいことばかりだったが)、自分の意見が深まった。充実感がある議論は、とても楽しかったと心から思える。
私はこのゼミで、初めてたくさんの人と政治などについて書かれた本で議論をした。新しいことだらけで、目まぐるしく政治に対する考えが変わっていく日々を過ごした。
今、ゼミを終えて、参加できて良かったと改めて感じている。もちろん一週間に本を読みペーパーを書くというのは私にとってかなりのハードワークだった。でも、そのちょっと大変な努力によって得られたことはこれからの生活にも大きく役立つことだと思っている。また次に参加できるときがあったら、もっといろいろな考えをもって参加したいと強く思っている。




(2)ゼミ生の感想②


 読み破る政治学ハイスクール編の最終回ゼミを終えて、いろいろなことを学びました。特に私は、正しい答えが特にない中でも質問を出して話し合い、全体として考えが深まっていくということはおもしろいことだと思いました。また議論を進めていくうちに、同時にゼミに参加した人たちが自分とは違うことを考えていたことを知ることもでき興味深かったです。議論が抽象的になっていて、難しく感じることもありましたが、自分がこれまでにあまり読んでこなかった本を多く読んでいる人や、多くの知識を持っている人がいることが分かりとても刺激を受けました。
 苦労した点は、いくつかの本で手に入れることに苦労したものもあったことです。なるべく自分で購入してじっくり読みたいと思っていたのですが、『動物農場』や『政治家の文章』は本屋や古本屋では見つけられず、図書館で借りて手に入れるまでに少し時間がかかってしまいました。また、一週間で1冊の課題図書を読み自分で興味を持ったことを調べたりしてペーパーを書くという作業だけでも正直なところかなり大変でした。私はとにかく自分が考えたことをそのまま書くようにしたために、まとまりがないものになってしまったと思いますが、それでもほかゼミ生の方が質問を出してくれて自分の考えを深めることができました。質問をされることによって自分の考えが深まるということを実感するとても良い機会になりました。
 また、もう少しできたのではと思う点もいくつか残りました。それは、積極的に質問を出すということです。ほかの人に質問をし、その答えから、また自分の考えを広げていくということができなかったと思いました。他の人の発言・議論を聞いているときも、質問をするときも常に考えていることが大事だと分かりました。
 今回のゼミで感じたことはこれからも忘れないようにしていきたいです。また、これから多くの知識を身に着けていろいろなことを考えられるようになりたいと思います。




(3)ゼミ生の感想③


 このゼミを初めて受けた時、正直なところ不安がありました。自分の論理が破綻していないだろうか、自分だけ見当違いなことを言ってしまうのではないかという不安です。しかし、実際にゼミに参加すると、それらは単なる杞憂であったと気づきました。というか、それらの普通とは違った意見、考え方が議論をより面白くするものであると気づいたのです。自分のレポートについて周りから質問が飛んでくるとき、他人のレポートについて質問をするとき、どちらも自分の論理的思考が試されます。自分の中では良い出来だと思っていたレポートでも他人からの質問の時に初めて論理の矛盾に気づくことさえあります。逆に、他人の意見を聞くことで自分一人だけでは思いもつかなかった考え方を知ることもできます。何より、ゼミの中にいる誰もが真剣に、そして独特に考えを展開しているため、とても面白いのです。4回のゼミという短い時間ではありましたが、自分の政治に対する考え方、議論の仕方を大きく成長させることができたと思います。


(4)ゼミ生の感想④

 僕が4回のゼミを通じて感じた所は、やはり自らの力不足でした。文章は良く読むほうだと自負していましたが、まだまだ全然です。書くにしても中々うまくは纏まらず、四苦八苦していましたが、これというのも、普段からの経験が無かったからだと思います。そして何より、楽しかった。普段知らない事を知って、体験するというのは、大変楽しいことです。こういうゼミがあるというのが、僕を大学へ駆り立てているように思います。一月間ありがとうございました。




(5)ゼミ生の感想⑤


 そろそろ将来の進路について具体的なビジョンを持たなければいけない時期にさしかかってきたように思います。そして、大学受験を意識する上で目的意識を持って大学に行きたいという願望があり、そのためにも高校生の間に大学と関わりを持つ機会があればと思ったのが今回のゼミに参加したいと思ったきっかけです。実際参加してみて、さまざまな成長がおこったと思います。
 まず、文章力が向上しました。それまではそもそも自分で文章を書くという機会が乏しかったです。また、文章を書いても客観性に欠け、筋の通らないようなものに収束していました。しかし、このゼミに参加するにあたって、たったA41枚のレポートといえども、自分が何を論じたいのかを考え、整理しました。そして、相手に効果的に伝わるように表現や順序を工夫するのに試行錯誤を繰り返すとなると、とても長い時間を要しました。しかしながら、このように推敲を重ねているうちに、知らず知らずのうちに論理的な思考が身に付いたように思います。
 次に、ほんの少しではありますが政治学という学問の性質を感じ取れたと思いました。それまでは政治に対してはニュースや新聞などで漠然としたイメージしか持っていませんでした。しかし、今回のゼミで学問として政治を学習し、マックス・ヴェーバーなどの古典的な図書を読むことで、政治が持つ普遍性を追求することができました。
 そして、読書に対してそれまでとは違う意識で向き合うようになりました。読書というのは孤独な営みであり、1冊の本とどう向き合うのかは人それぞれです。特に僕は今回のゼミのように本を読んでその内容について論じるというのは初めての経験だったので、おのずと今までとは違った意識で本を読まないといけないと思いました。具体的には、筆者は何を言いたいのか?や筆者の主張の根拠となっているのはどの部分なのか?といったようなところを適切に把握することです。本を読んだ上で自分の主張を展開するとなると、丁寧に題材となる本の内容を把握しておかなければならず、僕自身の読解力が試されたように思います。
 したがって、今回のような経験は僕にとって大変貴重なものになりました。読書は筆者→読者という二者のあいだの一方的なやりとりですが、ゼミのように他者を交えることでこんなにも見方が変わってくるのかと驚かされました。また、今回培ってきた議論する力や論理的思考などといったものは、AIなどが発達してきた現代社会においても、人の資質を決定する上でとても重要な役割を果たすものだと思います。その意味で今回の経験は、僕の中で大きな自信となりました。今回培ってきたものを、大学に入ったときに大きなアドバンテージに出来るようにこれからも維持していきたいです。



(6)ゼミ生の感想⑥


 春休みの一ヶ月を利用してこのゼミに参加して、様々なことを学び、尋常の高校生が決して得られない知的体験をしました。仔細に列挙すれば、書き尽くせないほどでありますし、何よりも言葉では定義できない内的な体験なので、ここには三つのことを紹介し、感謝を示したいと考えます。
 第一に、学術的なスキルを磨くことができました。本を明晰に読解すること、議論を精緻に展開すること、論理的な文章に思考をアウトプットすること、次から次へと発展する議論に参加すること、などなど、がありますが、とりわけ、本の読み方は劇的に転回しました。かつては読者として読んでいましたが、この度のゼミではもっと深く理解する必要があり、行間を読み、意図を探ること、つまり著者と一体になることが求められたのです。また、僕は二時間ほどの議論の最中、心を燃やしましたが、それは詩人の言葉を借りれば氷のように燃やしました。一方的な熱中や陶酔ではいられませんでした、なぜならば、自分の書いたペーパーの欠陥が露呈されたり、読解の不足を認識させられたりして、恐々とする機会が余りにも多いからです。通常はしないこのような徹底的な議論は怖いものでもありますが、四回のゼミで僕は確実に成長したと自負しています。
 第二に、広域的で多角的な見識を吸収することができました。普段の学校の授業には答えがあり、ひとつの正解を目指しますが、政治には答えがありません。答えのない事柄について懸命に議論するということは、楽しいことですが、難しいことでもあります。当然、全員がそれぞれの考え方や読解に従って持論を展開しますが、それは到底僕には思い付かない素晴らしいアイデアや独自の見地に基づいた議論ばかりでした。なるほど、と思わず唸ってしまうことばかりで、毎回の皆のペーパーが楽しみで仕方がありませんでした。もちろん、政治についての理解も深まりました、そしてこの理解は皮相の知識を吸収することではなく、根本的な理解です。政治について、この答えのない大切な問題を考えること、それも様々な考え方の人たちと考えることは、独善的に陥らず、かつ懐疑的に基底の部分まで遡って思考できる貴重な機会でした。
 第三に、普通の高校生活ではできない、他の環境からの知的な刺激を受けることができました。牧原先生、他校の皆さんと会話し、議論し、友達付き合いなどからは得られない経験ができました。一つの事柄について突き詰めて議論するゼミの時間も楽しいですが、それ以外のちょっとした交流も僕にはかけがえのないものです。大学受験を控えた僕にとって、皆さんとした将来や学問の話、その他とりとめのない雑談さえも、僕の内部の何かを動かす力があって、本や限られた世界からは得れないものに触れられました。
このように、僕は僅か一月の間でかなりの変化を遂げました。確かに、牧原ゼミには生半可な気持ちでは入れません。負担が多く、勤勉になることを求められます。ですが、このゼミにはそれほどの対価を払っても参加する価値があると僕は明言できます、自分の体験をもとに。高校生ゼミだといっても、高校の延長ではなく、機械的な高校の学習とはまるで異質なものです。その意味で、牧原ゼミハイスクール編は僕の高校生活に画然たる変化を与えてくれました。


(7)ゼミ生の感想⑦


 今回のゼミに挑んで見て、自ら考え自分なりの結論を出すということに対する楽しさを感じました。最終的にはどのような人生を送ることになるのか分かりませんが、自分の追求したいことを素直に追い求める、私の将来にそのような選択肢が生まれました。
また目的の異なった価値観の共有ですが、それは十分にできたと思います。それぞれ異なった考え方や切り口でペーパーを書いてきていて、共通の一つの本ではあれど異なったさまざまなテーマの意見に出会う事ができました。
考え方が違う故もちろん対立は起きるものであって、そのような自分で生み出した考えに、デメリット、メリットを挙げることができてもどちらが間違っててどちらが良いと優劣をつけることはできないのだなと改めて気づかされました。
この感想にあたり、先人が言ったことを、自分がそれにどう思うかに関わらず、今一度大切にしていきたいと思います。




(8)ゼミ生の感想⑧


 初回のゼミでは、集まった学生の多様な考え方、バックグラウンドに驚きました。初回はまだ 慣れてない所もありましたが、ぎこちないながらも、それぞれの専門分野や信条にそって(もしくは自分の意思とは関係なく議論を展開させるために)思い思いのペーパーを書いてきていて、同じ本を読んでのものとは思えないほどでした。
 学校では、得てして生徒の意見は先生のものや「模範解答」で示されたものに収斂しがちなものです。しかしこのゼミでは、そういった意味での「結論」や「落とし所」が無かった。牧原先生が所感を述べ、次回のペーパーに生かすための読み方・書き方のポイントや先生独自の視点を語られるところで、議論は終了する。そのやり方を説明会で聞いた時から、私はこのゼミに惹きつけられていました。
 私たちが拙いながらも議論した問いは、決して正解があるようなものではありませんでした。しかし、だからと言って自由奔放に自分の意見だけ述べればいいのかというと、そうではない。「テクストに足をつけた上で、いかに自分なりの問題提起をし、議論を展開させられるか」というこのゼミでの命題を解明するために学生の皆が奮闘したその痕跡が、一人一人のペーパーからはっきりと読み取れました。私が興味深いと思ったのは、その命題に対しての一人一人のアプローチの差です。私のようにひたすら関連する文献を読むものもいれば、自分の政治信条をベースにするものもいて、観念的なことを考えるのが好きなものもいれば、誰も思いつかなかったような斬新な切り口で問題提起をするものもいる。一人一人の思考プログラムは全く異なっていました。
 舞台をペーパーを書く自宅から先端研に移すと、前述した通り、個々人の思考形態が全く異なっているが故に、初めの方は質問に戸惑ったり、話が噛み合ってないこともあったかと思います。しかし私は徐々に「どうしたらペーパーの表面的な部分をなぞる問いではなく、本質に関わるような問いができるか」を学びました。それは単に私が課題図書を読み込んだというだけではなく、回数を重ねるごとに皆のペーパーの論点が明確になったということでもあると思います。
 思えば、ペーパーを書くことも、議論をすることも、「いかに実りのある問いを立てられるか」ということに尽きるのではないでしょうか。牧原先生は説明会で、「本を読むということは良い問いを立てること」と仰いました。当時の私はその先生の口調から「これは大切なことを言っているはずだ」と本能的に察知し急いでルーズリーフに書き留めたのですが、今となってその意味が深く解った気がします。
 最後に、私が最後までわからなかったことを書きたいと思います。それは「議論が進むようなペーパーとはどのようなものなのか」です。私は初めの頃、質問とは「相手のペーパーの論理の穴をつくこと」だと考えていました。しかし矛盾したペーパーは良いとは思えません。したがって自分のペーパーは論理に穴がないように、矛盾がないように細心の注意を払って書いていました。しかしある時参加者の一人から、「ペーパーが理路整然と完結してしまっていて、質問しづらい」と言われて私は驚きました。確かにその通りだと思いました。議論が進むようなペーパーは、自分の意見をのびのびと述べています。破綻を恐れずに、自分の世界を構築できています。私は最後までその境地には至れなかったなと思いました。しかし自分なりに最終回のペーパーで自らの到達点を示せたので満足しています。皆と違う頂に登った分、違う景色が見えるという利点があったのです。
 というわけで、私はまだまだ議論したいです。毎回ゼミの終了後に議論し足らずにその場をなんとなく離れられない皆と同じ気分をまだ味わっています。大学に入ってから、このような密な議論に参加したいと思います。
 最後の最後に、今回のテーマであったKUBIについて少し述べて終わりにしたいと思います。KUBIは、動作不良が稀に起こったものの、自然な議論をもたらしてくれた素敵なデバイスだったと思います。実際にその場にいるのと同じ感覚で議論できました。しかし、やはり一番嬉しかったのはKUBIの中でしか見たことのなかった人が先端研まで足を運んでくれた時であったことから、その場での生の議論が最上であることは認めざるをえないと思います。とはいえ、距離という困難を軽々と越え、リアルタイムでの議論を可能にするKUBIは画期的に感じました。これからも使い続けられることを望みます。