熱レンズ顕微鏡による円二色性キラル検出

1.はじめに

 マイクロ化学チップの発展に伴い、環境分析・臨床診断・食品分析・単一細胞分析などの分野で光学異性体を区別できる検出法が求められている。
従来、光学異性体の定量には円二色性分光法(CD分光法)などが用いられてきたが、マイクロチップ中では検出体積が小さいために適用できなかった。 そこで、当研究室で開発した熱レンズ顕微鏡(TLM)を応用すれば光学異性体の識別が可能になると着想した。

2.原理
 
 TLMの原理を図1に示す。まず励起光を対物レンズでサンプル溶液に集光すると、光吸収によって熱が放出され、焦点近傍の温度が上昇して屈折率が変化する。 この屈折率変化を熱レンズ効果と呼ぶ。 次にプローブ光を入射すると、熱レンズ効果によってプローブ光が屈折し、ピンホールを通過する光の強度が変化する。 ここで励起光のONとOFFを繰り返せば(強度変調)、プローブ光の強度は周期的に変化する。この変化をロックインアンプを通して取り出したものが熱レンズ信号である。 このとき、変化量は溶液の濃度に比例するので、信号値は濃度に比例する。
 一方、CD-TLMの原理を図2に示す。励起光はポッケルスセルという光学素子を用いて偏光面をスイッチングし、更にλ/4板を通すことで円偏光の向きを交互に入れ替える(位相変調)。 ここで、サンプルの光学異性体(+)体が左円偏光を吸収し、(-)体が右円偏光を吸収するとすれば、 吸光度の違いから発生する熱レンズ効果の度が変わり、ピンホールを通過する光量が周期的に変化する。この変化をロックインアンプを通して取り出したものが熱レンズ信号である。 このとき、(+)体と(-)体の信号の位相は反転するから、信号の位相から光学異性体の種類が、信号値から濃度を知ることができる。

図1. TLMの原理図2. CD-TLMの原理


3.実験

 トリスエチレンジアミンコバルト錯体を合成し、(+)体と(-)体を分離した。 それぞれの構造を図3に示す。
 まず、(+)体、(-)体およびラセミ体溶液のTLM信号およびCD-TLM信号をそれぞれ測定し、CD-TLMの原理を確認した。 次に、純粋な(+)体と(-)体の検量線溶液を作成して従来のCD分光計と性能を比較した。 更に、(+)体と(-)体の割合を変えてこれらを混合し、鏡像体過剰率(ee)について検量線を作成して従来のCD分光計と性能を比較した。


図3. (+)および(-)トリスエチレンジアミンコバルト錯体の立体構造


4.結果と考察

 得られた錯体の光学純度を市販のCD分光計で測定すると、(+)体が85.5%、(-)体が92.1%であった。
 まず、(+)体、(-)体およびラセミ体溶液の測定結果を図4に示す。通常のTLMで測定した場合、3種類のサンプルの位相と信号値に違いは見られなかった。 一方、CD-TLMで測定した場合、(+)体と(-)体の信号の位相は180°反転し、信号値は光学純度に比例した。 また、ラセミ体の場合では位相は不定値、信号値はほぼ0となった。 つまり、光学活性を持つ(+)体と(-)体では互いに逆位相の信号が得られたのに対し、ラセミ体ではそれらが打ち消し合ったために信号が消失したといえる。


図4. (+)および(-)トリスエチレンジアミンコバルト錯体の熱レンズ信号
(a) TLM (B) CD-TLM

 次に、純粋な(+)体と(-)体それぞれの検量線を図5に示す。信号値は濃度に比例し位相は互いに反転しているので、信号値から純粋な鏡像体の定量が可能で、 位相から(+)体と(-)体のどちらであるかを判別することができる。また、検出限界を求めたところ従来のCD分光計に比べて250倍以上高感度であることが分かった。
 更に、図6は(+)体と(-)体の混合物について、鏡像体過剰率(ee)を横軸にとって作成した検量線である。eeは以下の式で表される。
ee (%) = (C+-C-)/(C++C-) x 100
この結果より、CD-TLMの信号値からeeの定量が可能であり、位相から(+)体と(-)体のどちらが過剰であるかが決定できることが分かった。 また、eeの検出限界を求めたところ1.7%で、これは従来のCD分光計よりも1桁以上優れていることが分かった。
 本研究はマイクロチップ中で非蛍光性の光学異性体を識別、定量する技術を初めて開発したものである。開発したCD-TLMは、純粋な光学異性体の測定において従来法の250倍以上、 混合物の測定においても1桁以上の高感度化を達成しており、今後マイクロチップを用いた環境分析、臨床診断、製薬などの分野で活躍するものと期待される。

図5. 純粋な(+)および(-)体の検量線図6. (+)および(-)体の混合物の検量線


【関連文献】
  1. Circular Dichroism Thermal Lens Microscope for Sensitive Chiral Analysis on Microchip
    Masayo Yamauchi, Kazuma Mawatari, Akihide Hibara, Manabu Tokeshi, and Takehiko Kitamori
    Anal. Chem., 78, 2646-2650 (2006).