古田ゼミを知るための16問
[2008年9月2日更新]
古田先生、古田ゼミ、そして古田ゼミのメンバーについて、古田ゼミのゼミ生に質問しました。
古田先生を知るための6問
- 古田先生の著作のうち、あなたにとって最もインパクトが大きかったものを1つだけ挙げるとすればどれですか。また、それはどのようなインパクトですか。
- 「アンダーソン『想像の共同体』」(1992年)。難解な『想像の共同体』をとても明快に解説しているだけでなく、『想像の共同体』を(著者の意図によらず)よりよい明日のためにいかに人々に「誤読」させるかという「古田マジック」を冴えさせている点で。(山本)
- 「過去を閉ざし未来を志向する」(『歴史の文法』1997年)。研究活動を行うにあたっての基本的な取り組み方―歴史を語るのは未来を切り拓くためである、といったことや、調査を行なったり記述したりするときに自分の立場は常に問われるものなのだ、といったこと―が丁寧に示されていた点で。(西)
- 「ベトナム―インドシナの民族的諸相」(『東洋文化』1984年)。ある国家の内部に何らかの文化的共通性を根拠として集団性を維持している人びとがいる場合、その国家は政治的統合が阻害されやすく、ひいては人びとの安寧・安全にかかわるような社会的安定をも阻害しうるという見方が従来一般的であり、現在でもそのような見方はかなりの程度存在すると思う。私が研究対象としているマレーシアは、様々な集団が自分たちの独自性を主張し集団性を維持しようとしているが、上記のような見方でマレーシアを見るとその歴史は負の側面が強調されがちであり、実際にそのような指摘もなされてきた。これに対して上記論文は、人びとが集団性を維持しようとすることは他者と共存するための関係性を構築する試みであり、そのような中で自らの置かれた状況を改善しようとする試みであると指摘しており、マレーシアを肯定的に捉えうる多くの可能性を示していると思った。(篠崎)
- 『ホー・チ・ミン 民族解放とドイモイ』最終章「直弟子の「最後の闘争」」。控えめな言葉ながらも先生のベトナムに対する大胆な「提言」がある。ベトナム研究者としてこうした「提言」をすることは、例えそれがよりよい未来への思いであっても、色々な意味で非常に勇気がいる。ベトナムに対する思いと自分の言葉への覚悟が伝わり、自問自答を繰り返すときに読み返す。(古屋)
- 「第Ⅳ章 世界にとってのベトナム戦争」(『歴史としてのベトナム戦争』1991年)。学部3年の頃に初めて読みました。中でも第2節「ベトナム戦争と日本」を読み、第2次世界大戦後の日本の「平和」や「繁栄」はベトナム戦争と結びついていたという先生の指摘から、日越関係、そして日本・東南アジア関係を見る際の視点をいただいたと思っています。(田中)
- 『ベトナムの現在』(1996年)。なかなか窺い知ることが難しいベトナム共産党内部の論争状況について、詳細な分析をされていて、不勉強ながらもドイモイ期ベトナム政治研究でここまで議論状況を追った研究はまだきわめて少ないと感じていた私にとって、大変な衝撃でした。邦語でも、ベトナム語でも、あまり役に立たない資料、論文がたくさんある中で、重要なものを的確に見つけ出す洞察に感銘を受けました。(藤倉)
- 「アンダーソン『想像の共同体』」(1992年)。難解な『想像の共同体』をとても明快に解説しているだけでなく、『想像の共同体』を(著者の意図によらず)よりよい明日のためにいかに人々に「誤読」させるかという「古田マジック」を冴えさせている点で。(山本)
- あなたの研究は、古田先生の研究の特にどの面を最もよく受け継いでいますか。
- エスニシティとは、人々が自分たちのあり方を言葉で規定する営みであり、それは文化的属性によって人々の行動が縛られるということではなく、人々が自分たちのよりよいあり方を構想し表明したものが表われたものであると捉え、そのあり方を読み解いてそこに意義を見出そうとする対象への臨み方。(山本)
- 人が自分自身を位置づける場や社会は多元的に存在しているのであって一つに限定されないという世界観。
また、特定の地域で観察された事例の中に人類社会にとっての意義を見出し描くことを通じて現実の社会に対し積極的な貢献を行なおうとする志。(西)
- ある地域の人びとの言動について、それが一般的に批判されうるようなもの、あるいは批判されているものであっても、その人たちなりの論理を読み取り説明しようとする面。(篠崎)
- ネーションやエスニシティは時代や状況により変容するものであるという解釈。(古屋)
- 古田先生の研究のひとつの特徴は、ある地域(ベトナム)に対する緻密な研究を大きな世界史的枠組みの中に位置付けることにあると思います。私自身もそのような研究をしたいと思っていますし、また他の方の研究を読む際にもそのような視点を心がけています。(田中)
- 共産主義の問題がセンシティブで、言論界、マスコミにおいもバイアスが強い日本においても、冷静に現存社会主義国を分析しうる研究者として姿勢(を受け継ぎたいと努力しています)。(藤倉)
- あなたの研究が古田先生の研究と意識的に異なる方向を目指しているのはどの点においてですか。
- 「人は、理屈で正しいと思った通りに行動する」という前提で考えないこと。理屈で正しいと思っても、それを実際に行動に移すのは古田先生ほかきわめて少数の人々であり、(自分を含めて)ほとんどの人は理屈では正しいと思ってもそれを行動に移すとは限らない。人々のそういう側面を肯定的に描きたい点で。(山本)
- (もしかしたら古田先生もそう心がけているのかもしれないが)崇高な目的のために一同が一斉に声をあげて心を一つにする、といった情景に心を動かされないように心がけている。そうした情景は美しく、私もその中にいたい、と思いもする。ただ、「心が一つ」という解釈は未来の選択肢を狭めると考えるので。(西)
- ベトナム共産党の定義する「ネーション(Dan Toc)」の解釈。(古屋)
- ある物事を動かす原動力になるのは必ずしも「理念」ではなく、現実における一人一人の「行動」であるという視点から現象を捉えたいと思っています。
また、人間とは絶えず、集団に属しながら個々の利益を最大化させようとする企みを持っている存在だということを忘れないでいたい。(伊藤未) - 私は、日越関係を研究対象にしていること、また1975年に消滅してしまった「南ベトナム」を対象地域としていることの2点が古田先生と方向を異にしていると思っています。(田中)
- 現代ベトナムにおける政治経済的「支配層」とその支配構造を、より突っ込んで同定・分析しようと試みていること。(藤倉)
- 古田先生の発言や行動のうち、あなたの印象に最も強く残っている古田先生らしいと思う発言・行動はどれですか。
- 駒場の学生自治会がストライキを決議したとき、自分たち大学院生は関係ないという顔をしていたら、古田先生が「ストライキの意義を考えずに安易に休講だと喜ぶ態度はいかがなものか」という趣旨のアジビラを授業で配ったこと。(山本)
- 「時間は守れ」。古田先生は学生に対して滅多なことで「だめだ」とは言わない。その古田先生が「だめだ」と厳しい口調で学生に伝えた場面は十数年で数回しか目撃していない。そのひとつが、複数名の報告者による合評会の場で、ある報告者が報告時間を守らずに話し続けたとき。どんなに内容が優れた研究報告であっても与えられた時間を越えて話をするということは他人の時間を奪うことであり、研究者として身を立てるつもりがあるならば絶対にしてはならないことだ、と話を聞き終えた後に諭した。(西)
- 世界の中心だったベトナムが、カンボジア侵攻などのために一転して悪者扱いされるようになったことを、その地域を研究している者の責務として正面から捉え、説明をしなければならないと思ったという発言。(篠崎)
- 古田先生から頼まれた通訳で大きな失敗をした。翌日状況説明とともにお詫びをしたら、責めずに自分が若かった時の通訳失敗談を笑い話にして下さった。(古屋)
- 常に時間厳守で行動されるところ。来日されたベトナム人のお見送りをしたとき、出発時刻がかなり早朝だったのだが、私が待ち合わせ場所に着いたら古田先生がすでに先に到着されていた。(伊藤未)
- 「この問題って平たく言えば…ですよね」。先生がよく口にされるこの言葉のあとには、非常に分かりやすい解説が期待できるので、いつも注意を払っています。(田中)
- 外語大の学部のとき、毎回配られるレジュメが時間通りに五分―十分前くらいに終わるのが、とても印象的でした。何年か出席させていただいたのですが、毎回いろいろな内容で、でも時間通りに終わる授業がとても不思議でした。(神田)
- 東アジア4大学フォーラムのハノイ大学代表団を成田空港までお迎えに行ったとき、横1メートル超の巨大な金星紅旗を到着ロビーにお持ちになったことです。先生のベトナムに対する無上の愛を感じるとともに、その旗をカートの上のスーツケースにかけ、古田先生との再会を祝していらしたハノイ大学の先生方と古田先生の絆に感銘を受けました。(渋谷)
- 1990年代ベトナムの労働問題を扱った修士論文の構想について相談しに伺ったところ、第一声に「どうするつもりかねぇ」といわれました。自分の論文構想に対する苦言かと思い一瞬血の気が引けましたが、先生の口からは続けて「ベトナムは・・・」という声が漏れました。私への苦言でなくてほっとしましたが、それ以上に、昨今のベトナムで起きている社会的諸問題を親身になって心配している先生の真摯な姿勢が伝わってきました。(藤倉)
- あなたが研究以外に古田先生から(あるいは古田ゼミで)学んだことにどのようなものがあるか、1つ挙げてください。その後の生活の中でどのように役立っているか/いないかもあわせて教えてください。
- いろいろなことがらについて説明するとき、そのことがらのさまざまな側面のうちどれを取り上げて説明するかによって、よりよい将来を作る方向に向かう説明とそうでない説明があるということ。そのため、世の中に積極的にかかわるためにはそれにふさわしい説明をすべきだということ。その後の生活では、他人を説得するよりも自分自身を説得する上で多く役立っているような気がする。(山本)
- 一般的な基準からすると規格外であると思える側面も、そこに積極的な意義を見出すことで普遍性が与えられて「使える」存在になること。いろいろな場所で仕事をするにあたって、自分をその場にどのように位置づければよいのかいつも考えさせられるが、そのときに、自分の弱点も含めて「自分らしさ」を自覚するとよいアイディアが浮かんだりする。(西)
- ある地域の論理を読み解く時に、「自分がその人と同じ状況に置かれたらどうするか?」を自問することになるのだが、それによって自分についてあまり意識することがなかった考え方や感情に気付かされることが多くなった。そのような物の見方は、研究をしているからこそ得られるものであるというわけではなく、各人がそれぞれの経験を通じて得ていくものであると思うが、自分にとっては古田ゼミにかかわったことがそうした見方を遅まきながらも身につける大きな契機となった。小説の読み方や映画の見方が変わった。(篠崎)
- どのような局面でも、相手を信頼し、必要以上に口は出さないが必要な場面ではフォローをして成功や前進に導く態度。日常生活で心がけていますが……(古屋)
- 異なる要素を持った人々が集まってひとつの「場」を創り、共有することの大切さ、かけがえのなさ。(伊藤未)
- ゼミを通じて知り合った先輩方との交流です。研究分野、動機、留学、キャリアなどの面で幅広い方々がいますので、研究やそれ以外の面でも多くの刺激を受けました。(田中)
- 渋谷駅で発車間際の井の頭線に駆け込み乗車したら、すぐ後ろから先生も乗ってきました。けれども駆け込み乗車した人にありがちなあせりも殺気も、先生からはまったく感じられませんでした。巷では日々あせり、殺気だって行動している私は、あの時の先生の穏やかさを日々の生活態度において実践したいと思いました。(藤倉)
- 古田先生の態度や考え方を真似しようとしてうまくいかなかったことはありますか。
- 駒場の助手に着任したてのころ、学科スタッフに連絡のメールを送ることになり、張り切って古田節で文末をすべて「~でございます」と書いたところ、「それは古田先生が書くから納得するのであって、人格が伴わずに表現だけ丁寧なのはかえってよくないのでやめるように」と先生方に窘められたこと。(山本)
- 気がついたことをその場で全て指摘するのではなく、適切な時期が来るまで言わずにおくこと。(西)
- ……しょっちゅうです。(古屋)
- まだそのような大それたことはしようとしたことがありません。あえて言えば、先生のような「人柄」でありたいということぐらいです。(田中)
- 初めて先生にお会いしたのは2002年だったと思いますが、そのとき先生は、「5年必死でがんばれば、何とかなるよ」とにこやかに言われました。あれからかれこれ6年目になります・・・。(藤倉)
古田ゼミを知るための6問
- あなたの考える「古田ゼミらしさ」とはどのような点ですか。他のゼミと比べて特徴的だと思われる点を挙げてください。
- 古田先生がストレートなものの言い方をしないため、毎回のゼミが終わったあとでゼミ生が集まり、古田先生が伝えたかったであろうことをあれこれ議論していたこと。言葉だけでなく仕草などから読み解こうとする深読み派なども登場した。(山本)
- 先生が自分の考えを押し付けようとしないところ。自分で考えて自分なりの答えにたどりつくことが強く求められる。(西)
- ゼミに参加している人たちの対象地域や時代、ディシプリンが異なっていても、お互いに説得的な説明の仕方を追求しようとする点。普遍的な価値観に繋がるよりよいあり方を研究対象地域に見出し、その論理を説得的に説明しようとする点。これらの点を共有して率直に意見を言い合う点。(篠崎)
- 大団結の精神。(古屋)
- 現役生として現在のゼミに出席する学生と、すでに博士論文を執筆して「卒業」した先輩たちが、おなじ研究者という立場で結びつく「場」として古田ゼミが存在し、人によってその強弱はあっても、何らかの形で将来的に向けて継承、共有していこうとする意識が生まれているところだと思います。(伊藤未)
- 古田ゼミには、まだ2004年度の1年間と今年(2007年度)しか在籍していませんのでよく分かりませんが(間の2年間はベトナム・ホーチミン市に留学したため)、発想、発言、研究方法などについて非常に自由であることではないでしょうか。裏返していえば、自己責任が強く求められるのだと思います。(田中)
- 短い時間の中で濃密な議論がされる点。修士論文構想発表でも1人あたりの発表時間は45分程度が多いのですが、それでいて終了時間には多くの問題点や課題が明らかにされることが不思議です。(渋谷)
- 先生は教師としての自分の発言が学生にとっていかに強い力を持っていることに気を配っておられるようで、ゼミは先生の考え方に沿ってまとめられ指導されているというよりか、学生たちのかなり自由な議論を許しながら、適宜、先生が適格かつ端的な発言をするというように進められています。(藤倉)
- 古田先生を中心に求心力のあるゼミだと思いました。ゼミ生一人ひとりが充実したゼミにして行こうと努めていると感じます。それと同時に外部の学生(私もその一人ですが)に対しても門戸を開いてくれるオープンさも。(平澤)
- 古田ゼミで特に印象に残っている場面はどんな場面ですか。
- 「まとめ返し」。古田ゼミでは、学生たちが議論を戦わせ、ゼミの終わりの時間が近づくと最後の5分程度で古田先生がその日の議論をまとめて終わりとなることが多かったが、古田先生のまとめに満足しなかったのか、あるゼミ生は古田先生のまとめの後に自分なりのまとめを披露することがしばしばあり、そのうちに古田先生も「まとめ返し」を見越してゼミ終了時間の5分ぐらい前にまとめを終えるようになったこと。(山本)
- 「名づけ」。たとえば、古田ゼミ合宿の準備の際に、幹事役が「私の見る○○くん/○○さん」というノリの簡単な紹介文をつけた参加者名簿を作成したことがあった。紹介された当人がむっとしかねない突っ込んだコメントも中にはあり、大胆な試みだと思ったが、こうしたやりとりをきっかけにしてゼミの中のコミュニケーションが活発になった。ときに相手が嫌がる「名づけ」をすることが関係を開くこともある、というのは古田ゼミ生どうしの議論の中でしばしば見かけたことで、印象に残っている。(西)
- 参加させてもらった最初のゼミ。二人が活発に高レベルの議論をしているところに、もう一人が「二人の議論がかみ合っていない」と参戦していた。呆然としていたら、ゼミの最後に「今日からゼミに参加なさる古屋さんです」と先生から紹介されてしまったのでひくにひけなくなった。(古屋)
- 2004年6月に駒場で東南アジア史学会大会が開催され、ゼミ生が準備などをお手伝いしたことがあります。前日の夕方、会場の用意ということで先輩方と教室の掃き掃除からトイレ掃除までやらせていただいたことが、私がゼミに入って最初の仕事であり、大きな印象として残っています。(田中)
- ゼミに参加するようになった最初の頃、アンダーソン『比較の亡霊』の議論に当初私はちんぷんかんぷんでしたが、司会をしていた何某先輩の論点整理の鮮やかさに感動し、自分もそうできるまでにこのゼミで育っていきたいと思いました。(藤倉)
- (ゼミの場面ではありませんが)古田ゼミのホームページをいかに充実させていくかについて、すでにご卒業された先輩方含めて熱心に議論されていました。ゼミ生がゼミを大切に思う気持ちが伝わってきて、印象的でした。(平澤)
- ゼミ以外に古田ゼミのメンバーで行ったことのうち、あなたにとって特に有意義だったことはありますか。
- 古田ゼミ番外編として行なわれた各種の勉強会。たとえば、日本の主要な東南アジア研究者の論文を著者別に集めて読みあった。それぞれの研究者の研究ペースや、初期の課題が継続して発展していく過程などを含めた「研究者の生き様」のようなものが論文を通して垣間見え、とても勉強になったし、学会に行った際にも「あの論文を書いたあの先生」として対面できた。よい企画だったと思う。(西)
- 東南アジア研究の代表的な論文を読むなどをはじめとした数々の自主ゼミ。(篠崎)
- 1997年にゼミ生の増原綾子さん、西芳実さん、山本博之さんと一緒に行ったインドネシア旅行。(古屋)
- 不定期で開催される合宿。主には博士論文検討会として行われるが、ゼミや他の研究会では聞けないような「志」の部分まで等身大に質問できるような雰囲気があり、これから修士論文や博士論文に取り組もうとする現役生にとっても励みになります。(伊藤未)
- ベトナム留学中の2006年11月にハノイで「東アジア4大学フォーラム」が開催され、私と先輩でハノイ大学の方々と一緒に通訳・翻訳の仕事をすることになりました。「えっ」と思うことの連続で、翻訳については途中で中断(!)などいうこともありましたが、有意義な経験がさせていただくことができて有難く思っています。(田中)
- 2008年度現在、岩波講座東南アジア史をゼミメンバーで輪読中です。ゼミを卒業した大先輩たちの参加、ご助言も得て、東南アジア史研究の昨今の到達点を学びながら、まとまった量の論文を集中して読み、論旨を短くまとめる力を養う有意義な機会となっています。(藤倉)
- あなたはなぜ古田ゼミに入りましたか。(古田ゼミに入ったきっかけがあれば教えてください)
- 自分が対象としている地域を肯定的に捉えられるようなエスニシティ論やナショナリズム論が学べそうだと思ったため。自分の物の見方に対しておかしな点をはっきり指摘し、そのうえでよりよい方向に位置づけて解釈しようとしてくれながらも、自分の考えを押し付けず、自身が自身の考えに責任を持つことを見守ってくれる人たちがいたため。(篠崎)
- 他大学の修士一年だった時に、学会のレセプションで先生に在米ベトナム人に関する質問をしたのがきっかけでゼミに参加できることに。(古屋)
- 学部4年の頃、卒論作成のための資料を古田先生にお借りした際に、研究相談に乗っていただいたことが最初のきっかけです。また私は、ベトナム・東南アジア研究とともに国際関係も勉強したかったので、駒場の国際関係論コースに入り古田ゼミに所属するというのが、自分にとってベストな選択だと考えました。(田中)
- 大学時代の恩師が古田先生の大学時代の先輩でした。「ベトナム研究をやるなら、やはり第一人者の古田のところに行く以外にない」と強く勧められ志願いたしました。(藤倉)
- 研究上とても尊敬している方が古田ゼミご出身でしたので、以前から関心があったところ、現役の古田ゼミ生の方と知り合い、その方がご紹介くださったことが参加のきっかけです。(平澤)
- 古田ゼミに出て一番勉強になったことは何ですか。
- 相手の考えを相手の論理に即して理解し、それをよりよいあり方につなげる方向で解釈・位置づけていこうとする姿勢。(篠崎)
- 古田先生の研究対象への関わり方を間近で学べたこと。(古屋)
- 博士課程の先輩の博論審査会やリサーチコロキアムなどに出たことです。古田ゼミの博論として求められるレベルのようなものが分かりましたし、その厳しさを感じることが出来たからです。(田中)
- フィールドを持ち個別の問題を探求する上でも、その問題が現代史の大きな流れ、世界の趨勢の中でどのような位置にあるかを、常に意識しながら研究に臨む姿勢。(藤倉)
- 自分の専門地域以外の問題に関しても、問題の骨格をつかんで議論をするということです。(平澤)
- 古田ゼミに出て一番驚いたことは何ですか。
- 忌憚なく意見を言い合うところ。(篠崎)
- 毎回のゼミのあと有志が集まって昼食に行くと、あたかもゼミの延長のように食事そっちのけで議論の続きが始まってしまうことがたびたびあった。(伊藤未)
- ある年、ゼミが1時間目の朝9時から開始されたことがあったこと。(田中)
- 学部4年生ではじめて大学院のゼミにお邪魔させていただいた時、先輩方の議論の進め方のあまりの速さと、90分の授業中数秒の沈黙もなく誰かが発言している様子に驚きました。(渋谷)
ゼミ生を知るための4問
- あなたが研究上で特に大きな影響を受けた研究(研究書や論文など)を1つだけ紹介してください。その研究のどの点に特に影響を受けたかもあわせて教えてください。
- アリフィン・オマールの『バンサ・ムラユ』(Ariffin Omar. Bangsa Melayu. Oxford University Press. 1993.)。独立準備期のマラヤ(マレーシア)政治指導者たちが書き残したテキストから彼らの主張を読み解き、マレー・ナショナリズムのさまざまなあり方を提示した研究。個々のテキストをどう解釈するかが優れており、特に「アトムの時代」の解釈は泣かせるものがある。(山本)
- 明石陽至「シンガポール華人改革者林文慶と文化摩擦」(山本達郎・衛藤瀋吉監修、永積昭編『アジアにおける文化摩擦――東南アジアの留学生と民族主義運動』巌南堂書店、1980年)。1990年代初頭のワールドミュージック・ブームの中で日本に紹介されたシンガポール人歌手ディック・リーに心を奪われたのが、東南アジアの華人に興味を持ったきっかけだった。彼は自身を「ババ」であると名乗り、中華、マレー、西欧の各文化が混合したハイブリッドな文化的出自を持つと説明していた。彼について知りたいと思っていた時に、「ババ」である林文慶という人物を取り上げたこの論文に出会い、「ババ」という人たちについて学術的に取り上げることが可能だと驚き、卒論・修論を書くまでに至った。(篠崎)
- 山影進「地域の語り口」。類似性ではなく関係性からとらえる地域の切り口に影響を受けただけでなく、問いへの運び方、その回答へ至るプロセスが鮮やかで研究の面白さを認識した論文。(古屋)
- 古田元夫『ベトナム人共産主義者の民族政策史』(大月書店、1991年)。脱植民地期におけるベトナム人共産主義者による民族政策の紆余曲折の過程が鮮明に浮かび上がる。とくに言語政策上の「試行錯誤」がひとつの筋道として理解できる。(伊藤未)
- 吉川洋子『日比賠償外交交渉の研究1949-1956』(勁草書房、1991年)。外交交渉の実証研究、戦後賠償問題の研究、第2次大戦後という時代背景における日本・東南アジア関係の研究、という3つの意味でレベルの高い研究だと思います。同じ戦後賠償研究を志す者として目標としている研究です。(田中)
- あなたの研究対象地域に対する予備知識がまったくない人から、その地域について概要を知りたいので本を紹介してほしいと言われたらどの本を勧めますか。あなたの研究対象地域を示した上で、1冊に絞って紹介してください。その本の特にどの点がお勧めなのかもあわせて教えてください。
- マレーシア。伴美喜子『マレーシア凛凛』(めこん、2002年)。マレーシアのさまざまな民族をそれぞれ民族別にきちんと紹介しつつ、それが民族別の説明で終わらずに民族間の関係についてもちゃんと織り込まれている点。(山本)
- ベトナム。古田元夫『ホー・チ・ミン――民族解放とドイモイ』(岩波書店、1995年)。ベトナムを知るには欠かせないホー・チ・ミンを、多くの貴重な資料を用いて「負」の側面などにも言及しながら描いている。人物史として面白いだけでなく、彼の人生を辿りながら、植民地・冷戦といった世界的問題の渦中にあったベトナムの歴史を辿ることができる。ちなみにこの本で古田先生が描いた「敵を作らず味方を増やし、大局的な視野で信念に基づきビジョンを作成し、「弟子」(しかも括弧つき)たちに役割を振った後は自主性を尊重しつつも大事なところでまとめあげながら政治的に成功」するホー・チ・ミン像は古田先生と重なりゼミ生は二度楽しめる作品。(古屋)
- 北部ベトナム山間部。吉沢南『ベトナム:現代史のなかの諸民族』(朝日新聞社)。(伊藤未)
- ベトナム南部。近藤紘一『サイゴンから来た妻と娘』(文春文庫、1981年)。ジャーナリストによるエッセイではありますが、ベトナム南部特有の人間性、自然と社会、またサイゴン陥落前後という時代背景がよく表れています。読み物としても十分面白いものです。(田中)
- 大陸部東南アジア。梅棹忠夫『東南アジア紀行』(中公文庫、1979年)。タイ・ラオス・カンボジア、南ベトナムの旅行記です。約50年前に書かれた旅行記ですが、各地域の特色が臨場感を持って記述されており、東南アジア(とりわけ大陸部)を研究しよう、旅行してみようと考えている方には必読の本だと思います。フランス色や中国色がまだ色濃かった時代のホーチミン市(旧サイゴン市)の様子も興味深いです。(渋谷)
- あなたの研究対象地域はどのような特徴を持った地域ですか。また、その地域のどのようなところに魅力を感じますか。あなたの研究対象地域を示した上で、いずれも固有名詞を極力使わないで説明してください。
- マレーシアのサバ州。よその地域からやってきた人も、地元社会に貢献する限りは比較的簡単に社会の一員として受け入れてくれるところ。関わり方しだいでは、外来者性を維持しながらその地域の発展に貢献できると思わせてくれる。(山本)
- インドネシアのアチェ。外部世界との繋がりが自立を保障する地域。外部世界の文物思想について、よいと思ったり使えると思ったら取り入れて使ってみようとすぐに飛びつくという、良い意味での節操のなさが見られるところが魅力である。人々についていえば、関係を作りたいと思う相手の関心を汲み取ってもてなそうとする点、そしてその際に卑屈にならずに自分の矜持は維持する点にも魅力を感じる。(西)
- マレーシア。外部に出自を辿れる民族的背景を持つ人びとが、外部との関係をうまく利用しながらも現在居住する国家に主体的にかかわり、その地域の秩序構築に積極的に参与しようとしているところ。外部に出自を辿れる民族的背景を持つ人びとにいろいろ不満はありながらも、その人たちを排除せず、各自が主張しうる権利・権限をいろいろな方法でそれぞれに設定した上で、共存しようとしているところ。権利・権限の設定のされ方や行使のされ方に対して、主張・要求と忍耐との間で微妙なバランスを保っているところ。(篠崎)
- ベトナム。そこを故郷とする一人一人の人生に激動の歴史が反映されている地域。人に魅力を感じる。過去、現在、ベトナム国内か国外在住かを問わず不屈の闘争心と向上心には敬服している。(古屋)
- 北部ベトナム山間部。多民族が日常的に接触し、共存する社会で、他の民族や国家との関係性において自らの立場を決定し、将来的な自己実現に向けた認識や行動様式を決めていこうとする。(伊藤未)
- ベトナム南部。「ベトナム」という統一されたイメージのある地域の中にあって、北部とは自然・文化・社会など様々な点で大きく異なる地域であることが特徴だと思います。特に、約60―30年前という近い過去において特異な歴史を辿った地域として研究上の魅力を感じます。(田中)
- ベトナム。ここ十数年で急速な経済成長をしているが、日本をはじめ東アジアの他の国が高度経済成長と同時に経験した社会問題、社会的「歪み」などに、今度はベトナムがどのように対応しながらこの先の道を歩むのか。経済成長の過渡期にあって、今後新たな社会構想がどのようになされるのか。それらの点に学問的「魅力」を感じる。(藤倉)
- あなたがこれまでに発表した研究成果のうち、あなたの研究内容を最もよく伝えている代表的なものを1つ教えてください。あなたの研究内容を最もよく伝えているのがどの点かもあわせて教えてください。
- 「英領北ボルネオにおけるバジャウ人アイデンティティの形成」。他人の権威を利用して地位向上を求めるけれど、その権威の担い手の影響力からは逃れたいという思いの組み合わせが民族アイデンティティという形で表われていると論じている点で。(山本)
- 「アチェ紛争の起源と展開:被災を契機とした紛争の非軍事化」。(西)
- 「ペナン華人商業会議所の設立(1903年)とその背景:前国民国家期における越境する人々と国家との関係」。ある場にかかわろうとする時、その場にかかわることで生じる権利と義務を認識し、その枠内で自分の利益を最大化しようとする限り、人は複数の場において、それぞれの場にかかわっている人たちと同等・平等な立場で、それぞれの場にかかわることができるのではないかという点。(篠崎)
- 博士論文「在米ベトナム人とベトナム共産党の政策転換」(2006年)。一度は「敵」とみなした在米ベトナム人に対しなぜ共産党は政策転換したのか。民族融和の問題を両者の相互作用から考察している。(古屋)
- 「ドイモイ期ベトナムにおける民族寄宿学校の役割:1990年代の少数民族幹部養成政策と「第7プログラム」」。「民族寄宿学校」という新しい学校制度の設立によって、従来ネガティブなイメージを伴って認識されていた「少数民族」という名乗りが、一部地域・民族において肯定的に解釈されつつあるという状況を示した。(伊藤未)
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東京大学大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻) 古田元夫ゼミ
東京大学大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻) 古田元夫ゼミ
