佐原彩子
[2011年4月22日]
カリフォルニア大学リバーサイド校での学会に出席した帰り、日本で非常に大きな地震が起きたらしいと友人が私の携帯電話に電話をしてくれた。日本について詳しい友人ではないので、とにかく急いで家に帰ってインターネットでニュースを探した。日本のテレビ放送が見られる環境にはないので、時折更新されるインターネットのニュースを読んで何が起こっているのか徐々に理解していくしかなくもどかしかった。翌日からしばらくは、アメリカのニュースネットワークのCNNやABCなどでも東日本大震災の報道一色であった。4月に入って、報道される割合は格段に減ってはきたものの、アメリカ一般社会は東日本大震災に大きな関心を持っているように思える。
アメリカメディアは、災害後に略奪や暴動が起きない日本を驚きと羨望の目で見つめた。これは、日本人一般に対してのアメリカ社会の評価の高さでもあり、アジア人全般に対するモデルマイノリティ神話の表れでもある。昨今のアメリカ社会における不法滞在者・移民に対する排斥運動は、メキシコ系などを敵視する一方で、アジア系を模範的人種として評価する文脈がある。今回の東日本大震災における被災者も規律を守る日本人という文化的理解に回収されているようである。
モデルマイノリティ像を強調している点を除いては、アメリカのメディアにおける東日本大震災の取扱いは決してひどいものではない。だが、アメリカにいると、どうしても日本全体が危機に陥っているようなイメージを拭い去ることは困難である。これは、福島原子力発電所の問題が大きい。やはり、福島原発の事故レベルの引き上げもあり、報道の焦点が復興よりも原子力発電所問題や放射能漏れの問題に傾いている点は否めない。原発事故イメージが日本全体を危険視するようなことがないように祈っている。
今回初めて、遠く離れた地で自分の国に大災害が起こっていることを知るというのは、胸がしめつけられる体験であることを知った。こうしたことを各国の移民や留学生など祖国から離れて暮らす人々は日々体験しているのだということを肌で感じた。私のこちらでの指導教官はもともとベトナム出身なのだが、先日お話する機会があったとき、先生もアメリカにいてベトナムのニュースを見聞きすると、ベトナムの表象のされ方に納得のいかないことが多く辛いというお話をされていた。先生のおっしゃる辛さはおそらく自国での出来事が自分たちの体験としてではなく、他者の体験としてアメリカの中で消費されるということなんだろうと思う。実際、私も津波被害のビデオなどをニュースやインターネットで多く目にしたが、ある種アメリカにおける報道はそうしたビジュアルイメージを見世物的感覚で楽しんでいる部分があるように思えた。おそらく、こうしたことは、今回の東日本大震災にかぎったことではなく、他国から他国、他地域から他地域を望む時に無意識に存在するものなのかもしれない。
一方で、多くの人の励ましや心配してくれる心遣いには精神的に助けられた。特に所属している学校のインターナショナルセンターが、日本人留学生全員に安否確認の電話をし、数日間カウンセラーを設置し、学生のメンタルケア対処を行ったことは、多くの日本人留学生にとって助けになったに違いない。個人的には、アメリカ人の友人が一緒に日本のことを思い泣いてくれたことが一番の心の支えになった。東日本大震災の悲しみを共有してくれる人々は日本だけに止まらない。
こうした痛みや辛さの分かち合いが地域研究においても重要なのではないかと思う。傷をなめあうわけではなく、苦しみからの解放を目指して共に歩むということである。特にアメリカにおいて、冷戦の遺産としての地域研究を超えてアメリカ研究と東南アジア研究を結ぶためには、こうした連帯を獲得することが必要であるように思う。そのためにこそ、アメリカの文化・経済・軍事的パワーを批判する立場に立たなくてはならないだろう。なぜなら批判なしには、アメリカのパワーを無自覚に補強してしまうからである。そうした批判の視角を経て初めてアメリカから東南アジアを見ることができるし、それが直接の研究対象地ではなくアメリカにいて東南アジアを見ることの意味だろうと思う。
最後に、東日本大震災で被災されたすべての人々にお見舞いを申し上げたい。そして、被災地の復興を心よりお祈りしている。
東京大学大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻) 古田元夫ゼミ
