戦争の記憶と忘却――ベトナム紀行(2008年3月)

松田春香
[2008年5月15日]

隔世の感だった。夥しい数のオートバイ、小型の携帯電話を手に街を歩く若者たち…一方、7年前のハノイといえば、市内でも農作業の手足となる水牛を時折見かけたし、トランシーバーと見間違うぐらい大きな携帯電話を持っていた人もごく一部に限られていたからだ。

その頃すでに、ハノイ以上に発展していたホーチミンもやはりハノイ同様、明らかに変貌を遂げていた。ホーチミン市内・近郊のベトナム戦争に関連する場所でも変化が見られた。ホーチミン市内の「戦争証跡博物館」は、新築され、依然として戦争の生々しさを伝えてくれており、「われわれは過ちを犯してしまった・・・」というマクナマラ米元国防長官の回顧録の一節が展示に追加されていた。しかし、7年前にはあった「我々は忘れない」と書かれたレリーフは見当たらなかった。ホーチミン近郊の南ベトナム解放戦線の本拠地だった「クチ・トンネル」の施設内では、戦争当時自動車のタイヤで作られていた「ホーチミン・サンダル」と生春巻きなどベトナム料理には欠かせないライス・ペーパーの実演販売も行われ、より観光地化されていた。ベトナムの人々に、アメリカへの謝罪を求めるかと尋ねると、過去のことだから必要ないという答えが返ってくることもしばしばだった。30歳以下の「戦後世代」がベトナムの人口の6割以上を占めるようになった今、ベトナム戦争は忘れ去られる一方なのか。

そんな疑問を抱きながら、2008年3月16日、ベトナム中部のクアンガイ省で行われたソンミ村虐殺事件40周年追悼式典に参列した。朝8時、どこからともなく地元の人々が事件現場跡にある記念館前に集まってきた。式典会場はたちまち虐殺から奇跡的に生き残った人々、遺族らで埋め尽くされた。険しさと悲しみに満ちた表情は、記念館前に立っている記念像の女性の表情と同じだった。戦争を忘れることなく、これからも記憶し続けていくと心に誓っているようにも見えた。

追悼式典の前日、記念館前で法要が営まれるなか、記念館を見学したが、出会った子供たちは、都市の子どもたちよりも人懐っこく、デジタルカメラが珍しいのか、写真を撮ってくれとせがんできた。写真を撮り、カメラに自分たちの姿が収められたと確認するまでの間、満面の笑みを始終浮かべていた。記念館と同じクアンガイ省にある一集落を訪れたが、住民の生活は貧しく、衛生状態もさほど良くない。人懐っこさも、貧しさも、ハノイやホーチミンでは見られなかった光景だ。この子供たちが大人になったら、生活が豊かになったと心から笑える日が来てほしい。そして、50周年、60周年とソンミ村虐殺追悼式典と開催し続け、戦争のない平和な世界を実現するため、戦争の悲惨さを語り継いでいってほしいと切に願うが、これは欲張りなのだろうか。

映画『靖国』上映をめぐる昨今の騒動が物語っているように、終戦から60年以上が経ち、世界第二の経済大国へと成長した日本でも、戦争の記憶を語り継ぐことはやはり大きな課題だ。同じく追悼式典に出席していた広島・長崎の被爆者やベトナム戦争の生き証人たちから旅行中聞いた話を思い出し、しかと胸に刻みつけた。

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