理科一類から文系研究者へ

:まったく予想していなかったキャリア

 

伊藤 秀樹(東京学芸大学教育学部講師)

 

 みなさんにとって、キャリア形成とはどのようなイメージだろうか。何十年後かに到達すべき大きな目標があって、それに向けて小さな目標を1つずつクリアしていくイメージだろうか。でも、それとは違った形でのキャリア形成も、あってもよいのではないだろうか。

 

 少し私のキャリア形成の話をしたい。今でこそ教育社会学という分野を専門とする文系研究者をしているが、高校生のときにはまさか自分が研究者(しかも文系の!)になるだなんて、思いもしなかった。

 地元では神童扱いだったが、高校卒業まで「勉強が楽しい」と思ったことは一度もない。勉強だけが人に負けない唯一の取り柄だったから、やっていただけのことだった。高校時代、バスケットボールが恋人だった(でもベンチだった)私は、進路についてもろくに考えていなくて、数学と生物と化学の成績がよかったから、とりあえず理系クラスに進んだ。ただ、小さいころにほのかに憧れていた、新聞記者という仕事の夢も捨てきれなかった。そんな話を高校3年時の担任にしたところ、「じゃあ東大チャレンジしてみればいいじゃない」という気軽な一言が返ってきた。担任は東大出身で、進振りと文転のシステムを教えてくれた。

合格最低点から4点差で、ギリギリ理科一類にすべりこむことができた。文系の選択科目の授業は理系の授業よりはるかに面白くて、1年生の夏学期が終わるころには、もう文転を決意していた。でも、当時の授業への向かい方は、正直なところ、文転のための点稼ぎだった。授業を聞いて内容に興味をもっても、それについて自分で調べたり、本を読んだりすることはしたことがなかった。理系の科目は言わずもがなで、量子化学の電子スピンよりも、(当時同クラの友だちとハマっていた)マリオカートのスピンの方が、はるかに重要な関心事だった。(でも量子化学は優だった。)今振り返ると、当時は勉強のしかたがわかってなかったんだな、と思う。

 そんなモラトリアムのさなかに、進振りの時期を迎えた。社会学の授業に出たこともないのに、勝手に本命に据えていた文学部社会学科は、説明会で話をした先生がおっかなかったので、あっさりやめた。結局選んだのは、教育学部比較教育社会学コース。本郷で開かれた説明会がアットホームで、また、質問紙調査(アンケート)の調査実習を行うところに惹かれた。こんないい加減な学部・学科選択だったが、結果的には正解だった。

教育学部は私に、「勉強の楽しさ」を教えてくれた。

 たとえば、「教育人類学」の授業では、ソシュールやフーコーなどの難しい文献を読まされた。当時の自分にはあまり理解できなかったが(今でも怪しい)、先生は自由に考えを述べさせてくれた。唯一の答えを正確に導き出すための勉強から、まだ見出されていない答えに自分なりに接近していくための勉強へ。それが楽しくてしょうがなかった。調査実習でもそれは一緒で、答えがまだ見出されていない仮説を自分で考え出し、質問項目を作り、アンケートの結果をもとに検証するというプロセスが楽しかった。

 そうしたなかで、勉強が楽しくなる(人生初)と同時に、自分で勝手に本を読むようにもなった。そしたら勉強がもっと楽しくなった。「研究してみたい!」(人生初)、だから「大学院に行きたい!」(人生初)とまで思うようになった。

教育学部は、少人数で、ゼミ形式の授業が多かった。文転の引け目を感じて埋没することなく、発言することができた。そういった環境もよかったのかもしれない。

 でも、本当の意味で私のキャリアを形づくる重要な転機になったのは、卒論だった。

理由はここでは書かないが、教育学部に来たからには、不登校を卒論のテーマにしように決めていた。しかし、研究計画を提出しなければならない4年生の5月になっても、どのように研究するかが決まらない。そのせいで、布団の中でまったく眠れずにいる私に、神がこうささやいた。「たとえ精神的負担が大きくとも、自分が一番知りたいことに向き合うべきでは?」

 私が本当に知りたかったことは、不登校の子どもが再び学校に通うようになる過程だった。小中学校で不登校だった子どもを積極的に受け入れている高校段階の学校があって、そこでは多くの不登校経験をもつ生徒たちが学校に通い続けているということも知っていた。でも、学校に調査をお願いして、授業を見学させてもらって、先生や生徒にインタビューをして……。人見知りだった私は、そんな精神的負担が大きいことは絶対に避けたいと思っていた。けれどここで一念発起し、研究計画を書いて退路をふさぎ、学校に手紙を送った。

 この調査が、私の人生を変えた。

 調査を受け入れてもらった高等専修学校(高校段階の専修学校)の文化祭で、被服科のステージショーを見た。ステージを歩く生徒の中には、障害がある生徒も含まれていたが、その子たちが登場するたびに、ステージの最前列で教師と生徒が一緒に大喜びしていた。教師と生徒が垣根なく一緒に盛り上がる姿に、自分もこんな高校生活を送りたかったと思った。調査に行くたびに、この学校のことをもっと知りたいという気持ちが強くなった。

ただ、長く関わらせてもらうにつれて、教師たちの生徒に対する思いの強さと同時に、それでも直面せざるをえない困難も知るようになり、この学校で起きていることを研究として書き留めることの重要性も、理解するようになった。「きっと自分がやらなければ、代わりにこの研究やってくれる人はいないだろう。目先の安定と収入につられて企業就職したら、きっと一生後悔する。」そんな思いが原動力になり、狭く険しい道だとわかっていながら、博士課程に進んで文系研究者を目指すことになった。

正直、くじけそうになったこともある。ポスドクの頃は、食べていくのに精一杯で、納得いく論文も書けず、このまま深い沼の底に沈んでいくのではないかと思っていた時期もあった。でも、自分の研究を評価してくださる方々の言葉を励みにして、なんとか今まで研究を続けることができた。

 

 キャリア心理学という学問の中に、「計画された偶発性」理論(Planned Happenstance Theory)という理論がある。この理論によると、人々のキャリア形成にとって重要なのは、キャリア展望をしっかりと描けていることではないという。むしろこの理論では、本人が予期していなかった「偶然の出来事」が、キャリアに関する新たな興味を生み出したり、新たな学習の機会を提供したりすることによって、人々のキャリア形成に重要な役割を果たすことを強調している。そのため、人々はキャリア形成に向けて、偶然の出来事を生かすための心構えをしておくことこそが重要だとされている。

 私のキャリア形成は、本当に行き当たりばったりだった。でも、後悔はしていない。布団の中でひらめいた、調査に行った学校で感銘を受けた、研究の励みになる言葉をもらった……。そうした「偶然の出来事」がもつ意味についてその都度真剣に考えて、それを生かして努力した結果が、納得のいく今のキャリアにつながっているのだと思う。大学3年生からでも、遅くはなかった。

 つきたい職業があって、その達成に向けて最善となるような学部・学科を選ぶ。そういった進振りでの選択も当然アリだと思う。でも、みんながみんな、つきたい職業が確固としてあるわけではないだろう。私の経験から述べるなら、それでも納得いくキャリアは築いていける。一日一日、その時点で最善と思われる選択をして、その時点の目標に向けた努力を積み重ねていったら、結果的に納得のいくキャリアになる。そんなキャリア形成の考え方もアリなのではないだろうか。

そのためには、進振りに向けて、研究室訪問に行ったり、先輩に話を聞くなどして、自分をやる気にさせてくれる「偶然な出来事」が多そうな学部・学科はどこか、探してみるといいのではないかと思う。みなさんの意欲に火をつけてくれる学部・学科、そして教員は、きっとどこかにある(いる)はずだから。


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