学科紹介

進学振分けと新しい薬学教育制度への思い


薬学系研究科・薬学部 教授 堅田 利明


 いつどのようにして自分の専門分野や進路を決めるかは、身を置いた環境から人それぞれに異なろう。現在多くの大学が入試時期に学部を選択する“縦割り制度”であるのと異なり、リベラルアーツの精神を重視する東大の進学振分け制度は、自身の志望を再考する上で良い機会になっている。

 札幌で生まれた私は、今から丁度40年前に類似の進学振分け制度の恩恵を受けた一人かも知れない。父が電力会社の技術者をしていた関係から、工学部の電気・電子や土木系に興味をもって1970年北大・理類に入学した。しかし、当時教養生を対象に開講された薬学部の故石本真北大名誉教授(オパーリン「生命の起源」の訳者)による自主ゼミで“生命の神秘”に魅せられ、志望を大きく変更した。日本の薬学研究は、伝統的に有機化学、物理化学、生物化学を基軸として実に広範な研究分野をカバーしており、東大に限らず多くの薬学部は、規模が小さいながら総合理系学部としての特質をもっていた。したがって、先ずは薬学部に進学してみようと考え、自分の専門分野の選択を先送りする結果になった。その後自身の進路を少し狭めたのは、4年次に入った卒業研究室選びの時期で、現教室前任者の宇井理生名誉教授が当時主宰した生物系薬効学教室に進んだ。卒業後にそこで教員となり、米国留学、帰国(北大・薬)、東工大・生命理工学部を経て現在に至っている。

 幸か不幸か最近の4年間は、薬学部で教務委員長として色々な経験を積み、自身の専門とは異なる局面で多くを学ぶ機会を得た。薬学部に進学した学生達に志望動機を尋ねると、始めから特定の研究分野や研究室を意識して来た学生は少なく、むしろ先に述べた薬学研究・薬学部の特質に好感をもって志望した学生が多かった。学部進学ガイダンスで強調したことだが、薬学部は本学の学部中で最も小さい規模(学生総数比で僅か2.5%)でありながら、進学振分け定数を学部全体の“80”としている。他学部の生命科学系振分け単位は学科を主体としたところが多く、薬学部の定数“80”はかなりの大きさである。学部進学後も多様な授業科目が開講されており、研究分野の選択を先送りして再考するには好都合な環境かも知れない。また、1学年80名は全員で集ってお互いによく知り合えるサイズで、卒後の繋がりも強い。同級生の輩出先は多岐に渡るので、異業種の情報収集等において何かと便利なことが多く、同級生の絆は卒後の大きな財産となる。

 「薬学は医薬の創製からその適正使用までを目標とし、生命に関わる物質及びその生体との相互作用を対象とする学問体系である」と研究科・学部の規則で位置づけている。薬学での教育・研究の対象は、先に紹介した自然科学の分野に加え、近年は医薬の適正使用に向けた評価科学や経済・経営学といった社会科学系にまで広がっている。本研究科・学部の目的は、薬学がカバーすべきこうした広範な分野で、国際的にも高い水準の研究・教育活動を進め、創薬科学および基礎生命科学の発展に寄与する研究者・教育者、創薬産業、医療・行政機関等で貢献する人材の養成にある。

 ここでのサイエンスが高い水準にあることは、毎年刊行の「研究・教育年報」に掲載される国際学術誌への公表論文の質と量、科学研究費補助金等の競争的研究資金の獲得額、さらに構成員の学術賞・学会賞等の受賞から示されよう。また、研究科の枠を超えた様々なCOEプログラムの実施や「創薬オープンイノベーションセンター」による本格的な創薬研究にみられるように、新しい融合型研究領域の創成も進んでいる。こうした背景からか、薬学部は教養学部からの進学希望者が多い人気学部の一つとなっており、最近の進学振分点数は高い状況にある(別表参照)。

 薬学の基礎科学研究が大きく進展している一方で、近年の高度化医療や医薬分業の進展を背景に、質の高い薬剤師養成という社会的ニーズが高まった。これに応えるべく、平成18年度から薬剤師受験資格をもつ6年制[薬学科]の新しい薬学教育が始まった。この新制度への移行期には全国で薬系私立大学の新設が進み、学部学生定員はこれまでの46校約8,400名から74校約13,000名へと激増した。さらに、従来型の4年制[薬科学科](ただし、薬剤師受験資格はない)と6年制の全国比は、実に1(約1,300名):9(約12,000名)に偏向した。全国の薬学科学生数12,000名は、医学部生に匹敵する数である。東大薬学部では、学生


のニーズや人材輩出先等を考慮し、4年制と6年制の構成比を逆に9:1(定員72名と8名)とした。平成20年度進学生(=18年度入学生)からこの新制度へ移行したことになるが、縦割り制の他大学とは異なり、6年制の導入は進学振分けに大きな影響を与えていないように見える(別表のデータが示すように、理一と理二や女子の比率に大きな変動はない)。両学科への配属は進学後の4年次からであるが、これまでのところ6年制希望者は定員枠にほぼ見合う数で、毎年7?9名が薬学科配属になっている。なお東大では、4年制薬科学科を卒業後に6年制薬学科の4年次へ学士入学する制度(若干名)、さらに薬科学科を卒業後に大学院に進学し、博士後期課程で「薬学科」の講義・実習を履修して薬剤師の受験資格を得るプログラム(各年度8名程度で平成29年度入学生まで適用)も用意している。

 こうした学部教育の再編を受けて、本研究科は先ず平成22年度に4年制学部の上に、これまでの四専攻(定員86名)を統合して一つの薬科学専攻修士(博士前期)課程(14名増の定員100名)を設置した。さらにこの平成24年度には、薬科学専攻の3年制博士後期課程(定員50名)と共に、学部6年制の上に薬学専攻4年制博士課程(定員10名)を設置したが、学生は二専攻に属するどちらの教員からも指導が受けられるよう、博士課程を弾力的に運用する枠組みの教育を追求した。この結果、本研究科の博士入学総定員はこれまでの43名から40%増の60名に、また収容定員ベースでは129名から190名(47%増)に拡充された。全国の国公立薬系大・修士(博士前期)課程の総定員は764名、博士後期課程の総定員は250名弱と見込まれるので、東大からの修士・博士の修了生はそれぞれ全国の13%、20%以上を占める勢力となり、社会からの期待も大きい。

 新制度への移行に伴って、全国的には2+3年制大学院において従来型の研究者養成に重点をおいた教育研究を、一方の4年制大学院では臨床的な課題を追求する先導的薬剤師等の養成に向けた教育研究という、やや短絡的な区分けの議論が進んでいる。しかし、毎年1万人を超える6年制薬学科卒業生にも多様なニーズや進路が見込まれ、創薬研究を含めた広い人材育成の機会も考慮すべきであろう。薬学における医療・臨床研究の展開は勿論重要な課題であるが、薬剤師職能の有無による教育研究の分離・分散は、日本の薬学が築き上げてきた遺産の継承とは明らかに矛盾する方向である。急増した薬系学生の人材輩出先の確保・拡大に向けても、質の高い教育研究を広く多くの学生に開放し、真に分野横断的・統合的な視点を有する優れた薬学系の人材養成をこれまで以上に進める必要があろう。

 教務委員長という立場から、新しい薬学教育制度への思いで誌面がつきてしまったが、研究者人生をそれなりの期間続けて還暦を迎えた今、研究の進め方においても“本質(戦略)では価値観を共有化し、方法論(戦術)では多様性を尊重する”ことを大切にしたく感じている。研究室の学生によく「自分のサイエンスを楽しむ」よう伝え、生物系の実験では“再現性”や“対照(コントロール)実験”が重要であることを説明している。実験結果の解釈・評価は、再現性と適切な対照実験があって初めて可能となろう。しかし、人生の選択肢においては“再現性”や比較すべき“対照”はないのであろう。過ぎ去った時点には後戻りできないので(タイムマシンがあれば話は別だが!)。


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