学科紹介

総合工学・学際領域の面白さ:医用精密工学の視点から


 

工学部精密工学科 佐久間一郎

 教養学部教養学部進学情報センター主催シンポジウム「私はどのようにして専門分野を決めたか」にて講師を務めさせていただく機会を得たが,当初何を教養学部生の皆様に伝えるべきか,悩んだが,自分がいま取り組んでいる学問研究にどのような過程で進み,そしてどのような影響を周囲の恩師,先輩,同僚,後輩,学生から得ていまの自分があるのかを考えることが良いと観念し,講演を行った。

 そもそも自分が理系を志したのは,やはり小さなころの原体験に影響されているのではないかと思う。私は1960年生まれであり,父が国鉄の技術者をしていたことから,どこに行ったかは全く記憶にないのだが,東海道新幹線の開業前の試運転に国鉄の家族が乗れる企画があったようで,新幹線に乗った記憶がおぼろげながらにある。おそらく3歳か4歳のころではなかったかと思う。その時の記憶で鮮明に覚えているのが、鉄道車両基地か工場の見学で新幹線車両の下にもぐり車両を下から眺めていたような光景である。その他はあまり覚えていないのだが,機械というものに触れる原体験ではなかったかと思う。その後も工作とかラジオの製作(小学校5年生ごろにトランジスタラジオや真空管ラジオを作った記憶がある)など,やはり理科が好きな子供だったのだと思う。

 大学受験を控え,文系に進もうか,理系に進もうかと悩んだ時期もあった。結局理系を選択したわけであるが,理系も医学部,工学部,理学部といろいろある。自分は何か世の中に役に立つものを産み出したいという意識が強かったのか,医学部か工学部を最初から考えていたように思う。医学部に進むことも真剣に考えたが,人の死に向かい合うことが自分にはできないのではないかと考え,結局工学部への志望を持ち東大の理科一類に進学した。当時は電子産業が急速に発達する時代で自分も電子工学,通信工学などに興味を持っていたわけであるが,教養学部での生活はいろいろな意味で,志望を再考する良い機会となった。

現在自分は医用精密工学,生体医工学という工学と医学の境界領域を専門分野として教育研究に取り組んでいる。いまでこそ「医工連携」という言葉は一般的であるが,私が教養学部にいたころはまだその活動は限定的であったかと思う。ちなみに日本生体医工学会は今年50回記念大会を開催し,ちょうどその活動が半世紀を迎えることになる。ちょうど自分が生まれたころに新たに学会が発足した分野ということになる。私が教養学部生であった当時,精密機械工学科(現精密工学科)では私の先先代の教授である舟久保煕康先生が,マイクロコンピュータ制御の動力義手,装着型人工腎臓の研究などを工学部で展開されていた。医学部では渥美教授の研究グループが人工心臓の研究を進めていた。高等学校時代に医学についても興味があったかもしれないが,この新しい分野に興味を感じたことを記憶している。

一方教養学部の国際関係論の講義の中で「学際領域」という言葉を初めて聞き,これからは学問分野の境界と境界に新たな課題が存在し,面白いことができそうだという刺激を受けたこともはっきりと記憶している。また課外活動ではESSに入りディベートセクションに加わり,文科の友人と親しく交流することができたことは,その後の自分の考え方の幅を広げるうえでは大いに役立った。ディベートでは原子力発電の是非,日本の国防政策のあるべき姿(すなわち日本が確固とした防衛力を持つべきなのか否か)といった議題に対して,真っ向から異なる議論を,自分の信念は別としてゲームとして様々な資料をもとに論理構築し聴衆を説得するというある意味での知的ゲームであったが,論理的にプレゼンテーションする能力や,とっさに相手に反論する能力など知らず知らずのうちに養う結果になったのではないかと思う。

進学振り分け時には,機械工学と電子工学の境界分野が勉強できるところはないか,またさまざまな産業分野の基礎となるようなことを勉強できる学科はないかと考え,精密機械工学科を志望し,進学した。いまはロボット工学など機械工学と電子工学や計測制御工学の融合は当たり前のことであるが,工場などの生産システムの自動化や,メカトロニクスを主に扱っていたのは精密機械工学科であった。精密機械工学科に進み,教授陣から言われたことは,「分析すること(アナリシス)とともにものを作り上げること(シンセシス)が重要なのだということが重要だ」ということであった。ひとつの機能を実現するための工学的手段は多様であり,求められる機能とともに様々な制約条件や,優先すべき条件を満たすように設計は行われる。この場合条件は自動的に付与されるものではなく,人間の価値観等も含むものとなる。従って設計解は単一ではなく複数のものがありうることになる。そのどれを選択するかは設計者の知的活動であり,できればそれを科学的に行えないかというものではなかったかと思う。これがいわゆる「総合工学」的な考え方に触れる最初の機会ではなかったかと最近になって感じている。(その当時はその意味がよく分からなかったが。)

学部時代の卒業研究では,教授から2分の1インチの日本電気製のCCDイメージセンサとその駆動のためのタイミングチャートと仕様書を渡され,これを用いて電子内視鏡を造れないかという課題をいただいた。学部の講義では実はテレビジョン技術に関するものは全くなかったので,電気電子工学科の図書館に通い,いろいろな文献を読むという,初歩の段階から勉強しなければならなかった。また小型レンズの設計ではキャノンにご協力をいただき,レンズ設計と試作を行っていただいた。そこで初めて光学の授業で扱った収差などの概念が実際の機器設計にどのように関係するのかの一端を知ることができた。その当時は8ビットのマイクロコンピュータを用いたパーソナルコンピュータがようやく出てきたころで,記憶容量が32Kバイト,64Kバイトというような性能のシステムで,画像を256画素×256画素で濃淡に8ビット(256段階)で記録しようにも,メモリが十分ではないという状況であった。無謀にも画像をディジタル化し処理することが適切だと考え,画像メモリを自作し,自作のCCDイメージセンサの駆動回路と統合して,簡単な画像処理システムを作り上げ,ようやく卒業する1月半ばの深夜にやっと映像が映り,コンピュータに取り込むことができるようになった。その時にとても興奮し,うれしく感じたことを今でもはっきり覚えている。ものを作り上げる過程はトラブルの連続で,それを一つ一つ解決していかなければならないこと,実際に作ることと頭で考えることの差を認識する良い機会であった。

大学院に進学してからは,上記のイメージセンサ,光センサ技術に取り組む経験をしていたことから,生体液(尿・血液)などの分析システムとして研究が進められていた高速液体クロマトグラフィーシステムのための分光計測システムに取り組むという課題をいただいた。これまた全く新しい未知の分野であり,精密機械工学科では化学分析の講義はほとんど受けていなかったので,化学科の学部講義を聞く,教科書を読むなど新たな分野を勉強した。高速液体クロマトグラフィーとは液体中の成分を分離して分析する技術であり,分離された成分の検出には吸光計測・蛍光計測などが行われる。例えば成分が光吸収帯を有するある波長で光吸収量を調べることで,分離された成分量を推定し定量分析を行おうというものである。これを多くの波長で並行して一気に行う計測装置を試作しようという課題である。この研究ではその当時六本木にあった生産技術研究所第4部(化学・材料分野)の研究室に頻繁に共同研究のため伺い指導を受けた。学際領域に取り組んできたことで,とにかく貴重なことは自分の指導教員以外の多くの先生方から刺激を受けることができることであろう。大学院時代は東大のみならず,国内の理学系の化学分野の先生方や,薬学系の先生方からも様々な助言・アドバイスを得ることができた。これは現在の自分にとって大きな財産となっている。

精密機械工学専攻(現精密工学専攻)では自分の学位論文の研究のほかにサブテーマを設定して研究する演習が用意されている。修士課程在籍時にバイオセンサの文献調査と中耳内圧の測定システムの研究に従事した。後者は医学部耳鼻咽喉科の先生方との共同研究であり,滲出性中耳炎発症時の鼓膜の内側の中耳の圧力が大気圧より高いのか低いのかということを理解するために臨床例で検討しようというものであった。定説では中耳内圧が低くなるため周囲の組織から滲出液が出てくるという説明がなされていたが,実測された例はなかった。患者の治療行為として鼓膜に穴をあけ,中耳内の滲出液を吸引するあるいは滲出液が排出される経路を作るということが行われる。その治療行為を行う際に小型の半導体圧力センサと鼓膜に穴をあける微細な中空注射針を,生理食塩水を満たした細径のチューブ(カテーテル)で接続した計測システムで,鼓膜に針で穴をあけ前後で圧力変化を計測することとした。東大病院の手術部に朝6:30に集合し,手術着に着替え手術室に計測のタイミングとなったら入り,医師による計測を支援するという経験を行った。研究活動そのものも興味深いものであったが,手術室に入る前の控室や手術室内での医師・看護師などの活動を身近で観察できたことや,その折に先生方からいただいたお話しが現在貴重な知識となっている。

博士課程進学後,1年時には当時共同研究を行っていた,農学部の先生のご厚意で家畜外科学の講義ならびに実習を受講させていただき,動物の麻酔や外科手技の基本の実習を体験するなど当時としては極めて先進的な教育を受けることができたと思っている。現在も私の研究室では,年数回共同研究を行っている医師の先生方からこのような経験を得る機会を設け大学院生・卒業研究生の教育を行っている。

博士課程1年修了時に退学し工学部助手に採用され,その2年後東京電機大学理工学部応用電子工学科という新設学科に異動した。電子工学ということで専門の精密機械工学とはやや異なる分野であったが,これも新たな知識を得るためには貴重な機会となった。異動先で高速液体クロマトグラフィーシステムに関する研究をまとめ学位を東大から得たが,それと並行して東京大学時代には行っていなかった,補助循環(人工心臓や,人工肺)に関する研究や,心臓電気生理学・心臓不整脈に関する研究を新たな環境で新たな共同研究先を得ることで開始することができた。心臓不整脈研究は現在も自分の主要な研究テーマの一つとなっている。またその間14ケ月にわたり米国留学の機会を得たが,これも通常の工学部ではなく,テキサス州のヒューストンメディカルセンターにあるBaylor College of MedicineのDepartment of Surgeryに席を置いた。そこでは米国で数十年にわたり人工臓器研究に取りまれてきた能勢之彦教授のもとで定常流補助循環システムの研究開発に従事した。そこで研究したものは最終的には現在製品となり臨床応用されている。実用になる医療システムを世に出すためにはどのような活動が必要であるのかの一端を経験することができた。

1998年より再び東京大学で活動を開始したが,現在主に行っている手術支援ロボット研究,低侵襲手術システム研究を開始した。その活動の中で日本で最初に臨床応用され,100例以上の臨床例で使われた手術支援ロボットの研究開発にも携わることができた。手術支援ロボットの研究は,一見それまで自分が行ってきた研究分野と異なる分野のように思われるが,生体医工学分野で取り組んできたことを総合的に活用し,かつまた新たな技術要素を検討しなければならない分野であり,興味を持って取り組んでいる。

このような話をすると私が所属する精密工学科の分野とは何かということに疑問を持たれるかもしれない。精密工学と聞くと,カメラ,時計を真っ先に連想するかもしれないが,精密工学とは精密にモノ・システムを作るための学問であり,生産工学・精密加工学などは物を作るために知らなければならない知識である。それそのものを研究する分野もあり,そのような知識を用いて新しい機能やシステム,いいかえれば価値を創造する学問である。基本には精密機械工学,精密測定学,メカトロニクスなどであり,これを私の場合は医療応用に展開しているということになる。現在は医療応用だけではなく医科学研究への新たな手法を提案するような研究にも展開を図っている。自分の同級生を見てもこのような総合分野で活躍している友人が多い,日本の災害救助ロボット研究を開始した研究者の一人である東北大学の田所教授は,精密機械工学科の同級生であり,やはり同級生の精密工学科浅間教授は,現在震災後の原子力問題へのロボット技術・無人化技術の適用に関して精力的に活躍されている。このような伝統はやはり総合工学という観点からの精密工学科の活動の長い歴史により育まれているのだと思う。

このような学際領域に取り組む場合に求められる態度として

? ある分野に関するしっかりした基礎学力を有すること

 自分の場合は メカトロニクスに代表される精密機械工学

? 他分野に関する好奇心と基礎学力の習得

留学時代の能勢之彦先生(人工臓器学の先駆者・世界的権威)の言葉

研究に必要な要素は,Unlimited Optimism, Unlimited Curiosity, Unlimited

 Enthusiasm, and Unlimited Friendship

? 共同作業を円滑に進めるための相互理解

? 問題設定と新たな解決手段のための基盤技術の創造

が大切であると考えている。

米国のベル研究所のアレキサンダー・グラハム・ベル胸像の下には「時には踏みならされた道から離れ、森の中に入ってみなさい。そこでは、きっとあなたがこれまで見たことがない何か新しいものを見出すに違いありません」という言葉が記されているそうである。総合工学,学際領域とはこのような興味深い分野であると信じている。


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