学科紹介

自分の進路選択―あとから思うこと

文学部 丸井 浩

進学先を文学部の印度哲学(略称「印哲」。現在は「インド哲学仏教学」)に決めたのは、今から三十七年も前のことです。なぜ印哲を選択したのかについて、皆さんにポジティブなお話などあまりできないような気がします。ただ進学選択に悩んでいる駒場生の皆さんの中には、こんな冴えない話でも、多少の慰みを覚える方がいるかも知れないと思い、ペンをとりました。

そもそも高校三年の夏までは理系志望。特に理系の何が勉強したいというよりも、国語が苦手だったのと、理窟で答えを割り出す勉強の方が好きだったことから、消去法的に何となく理系志望だったにすぎません。しかし高校三年になって数学(数L)の勉強に大きな違和感を覚え、文系志望に突如変更。随分と衝動的な進路変更でした。

まがりなりにも大学入学後の勉強について、一定のビジョンを抱くようになったのは一浪時代。たまたま古本屋で見つけた哲学入門の本を読んで、生意気にも、自分が生きる世界あるいは人生の意味について問いかける学問がしてみたい、という決心をしてしまいました。

幸い文三に無事合格したものの、教養課程で哲学(西洋哲学)の授業を受け、あるいは哲学系の本を読んでも、どうもピンと来ませんでした。哲学の勉強には向かないのかなと弱気にもなりました。でも紆余曲折の末に決断したことを途中で投げ出すこともできませんでした。中学・高校の六年間、厳しい運動部に所属していたことで、「根性」の精神を叩き込んでもらったことも関係していたかもしれません。西洋哲学なら翻訳書でも勉強できるかもしれないが、インド哲学は原典が読めなければ話にならない、という助言をある方から受け、またサンスクリット語という難解な言語に挑戦してみようという程度の理由から、印哲進学を決意しました。

でも進学後も決して順風満帆ではありませんでした。専門の授業でインド哲学や仏教の講義を聞いてもピンとこないことが多く、またサンスクリット語文法の複雑さにはさすがに当惑しました。「なんで印哲に進学したの?」と人から聞かれるのは、いささか苦痛でした。それなのになぜその後も、ずっと「インド哲学」(「哲学する」というより、その前提となる「インド哲学文献」の読解に多くの精力を注いできたので括弧つきです。)の研究を続け、難解なサンスクリット語の文献を読み続けることになったのか、あるいはそれができたのか、そのことに話題を移しましょう。

ひとつには、前人未到のような分野に打ち込む先生や先輩たちの姿への憧れが大きくありました。あるいは文字を通じて触れる過去の偉大な学者たちに対して。これは今でもあります。一流のもの、本物への憧れ、一筋の道をひたすら追い求める人たちへの敬慕の念が、いつ、どうして自分に生まれていったのか、これはよく分かりませんが。

しかし憧れの念だけで続けられるものではありません。他者の力、とりわけ信頼を寄せられる先生・先輩たちに引っ張り上げてもらわなければ到底無理でした。英語の bring upには「育てる」の意味がありますが、長い鍛錬が求められる研究分野(私の場合はインド古典研究)は、まさに「引っ張り上げる」他者の力が必須となります。ちなみに学問分野のことを「ディシプリン(discipline)」と呼ぶことがありますが、disciplineは「鍛錬」の意味でもあり、師匠(マイスター)のもとで鍛錬を積む「弟子(disciple)」という言葉とも密接につながっています。

思うに「学ぶ」ということは、「○○を学ぶ」だけで終わるものではなく、とりわけ人文学は、「人に学ぶ」という要素が非常に大きいのではないか。哲学や思想、文学研究などはむしろ「人に学ぶ」ということが本質ではないかとさえ思えます。偉大な人に憧れ、その背中を仰ぎ見ながら、「○○を学ぶ」ことの意味、面白さを教えてもらうこと。敬愛する先生から引っ張り上げてもらいながら、次第に自分の足で歩くことを少しずつ身につけていくという学びの営み自体が、ひとの人生にとって大きな意味を持つのではないか。今ではそのような言葉としてまとめることができますが、暗中模索のただ中にあった当時は、眼の前の課題(数行の文章を理解すること)と、現実の中で悩みをかかえつつ生きる自分との間に、時にどうしようもない隔たりを感じながら日々を過ごしました。

同級生に、とびきり優秀な人がいたことも大きいです。いつも彼は、私の一歩も二歩も先を進んでいました。どうして彼ができるのに、私はできないのか。私だってきっと彼のようにできる日が来るのではないか。そう思えるような人が身近にいなければ、続かなかったかもしれません。

もっとも後から思い返せば、自分の側にも、サンスクリット文献を読み続ける推進力となるような何かが、進学前から準備されていたのでしょう。というのは、英語の勉強に対する執念ともいえるようなこだわりが高校入学以降、顕著になり、東大入学後もいろいろとつまずいて心に空白を覚えた時に、英語の勉強をやりなおすことで多少の慰みを得た経験があります。その間、きわめて単純な原則なのですが、眼の前にある英文を、自分が納得するまでは妥協しないで考えぬく、ということを自分に課してきました。とりわけ高校時代は英文を成り立たせている理屈(文法・語法・構文)を、自分なりに整理しながら追及し、理屈の上で納得した上で、最後には日本語としても十分に理解できる訳文を目指す、という方針にこだわり続けました。そして大学入学後は、その理屈を意識しないでも英文を英文のままに理解できるようになるまで音読をくりかえす、というメソッドに切り替えました。たとえ長い文章、節のかたまりになっても、できるだけその全体を適当に区切りつつ音読し、しまいには全体を暗唱してしまうほどに繰り返していって、いつしか全体の意味が頭に浮かんでくるような、そのような経験を次第に覚えるようになりました。

サンスクリットの文章を成り立たせている理屈は、英文とは比較にならないほど複雑ではありますが、複雑であればあるほど逆に理屈で理解できる部分が多いとも言えます。多分に自己流ではありましたが理屈にこだわって英文を分析する癖が身についていたことが、その後のインド哲学文献の解読に喜びを次第におぼえる道を開いてくれたのではないか。そんな気がしないではありません。

根性話のようになってしまって、もう多くの皆さんの関心からすっかり離れてしまったかもしれませんが、最後に、進学に悩む方、特に考えることは嫌いではないが、自分が将来何をしたらよいのか明確なビジョンがなくて悩んでいる方にお伝えしたいと思います。絶対的に正しい進路選択などないのかもしれません。正しいか正しくないか、その答えは多くの場合、選択前に決まるというよりも、むしろ選択して歩み始めてからの、自分のありかた次第にかかっているように思われます。

「自分のありかた次第」と言いましたが、それは決して独りぼっちの自分のことではなく、人との出会いの中で変わる可能性を秘めた自分であり、あるいは自分という意識を忘れて、当面の課題を解決しようと必死になったり、心に抱く願いを実現しようとしたりする自分のことでもあります。

「いったい自分は何がしたいのだろうか、何ができるのだろうか」と、ひとりぼっちの迷い道に佇んでいても答えは見つからないのではないか。ある程度の方向性を定めたら、あとはもう見切り発車でもよいから歩み始めて、選択した進学先の現場に飛び込み、そこで心をまっさらにしてスタートを切ってゆけばよいのではないでしょうか。

皆さんは東大入学までに、そして入学後も、沢山の知識を積み、沢山の思考訓練を経ましたが、そうした情報・知識の世界での営みが、現実のただ中にぽつねんといる生身の自分に、すぐに跳ね返ってくるような手ごたえのある答えや報酬を、用意してくれるとは限りません。でも無私無欲になって何かの問題解決に向けて考えを進めたい、勉強したいという志のある方は、どうかその志を大切になさって、できればその意欲を進学先で大いに生かして下さい。そのような知的意欲を先輩や同僚に支えられながら伸ばしていく経験は、すぐには具体的な職能の向上につながらないとしても、目に見えない形で皆さんの人生を支える精神的基盤を固めてくれるに違いありません。

人はただ生きるだけでも尊い、とある作家は言いました。人は何かを知りたい、知らせたいと思って勉強するだけでも尊い、と私は言いかえてみたいと思います。サンスクリット研究者が集う国際シンポジウムで九十歳をすぎたアルゼンチン学者が、闊達な話しぶりで発表している姿に出会い、ああこの研究を続けてよかったな、と思ったことがあります。なんで印哲に進学したのか、胸をはって言えることなど何もないのですが、いろんな出会いの中でまがりなりにも歩み続けることができていることに、感謝している自分がいることは確かです。


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