進学振分けと進路は違う


総合文化研究科 石浦章一

 進学振分けの時期になると、昔のことを思い出してしまう。

 私は、高校では物理と化学を選択し、天文学者になりたいなどと簡単に考えて理科一類に入学したが、進路決定はそんなに簡単なものではないことがすぐわかった。奇妙なことに、前々から工学部に進学する気は全くなかった。どうも科学の応用はお金と結びつき、うさんくさいものというように考えていたようである。今から考えると単純なものだが、理学部に進んで研究者になることについては当然のように思っていた。その当時、「科学者」は憧れの職業であった。

 ところが1年生に入ってすぐの授業では、期待は全く裏切られてしまった。数学は計算ばかりで何をやっているのかわからず、物理も見たことのない記号の羅列、化学は実験で元素を当てるものくらいしか興味の引く授業はなかった。天文学などという必修はなかった。中でも、特に自分に合っていないと感じたのは、図学であった。当時、理科一類の学生には図学は必修であったが、性格的に線を引くことは自分の仕事ではないことはすぐわかった。

 昔、学生運動のあおりで東京大学が入試を行わない年があったが、私が入学したのはその次の年であり、まだ学内が荒れていたのを覚えている。しかし、サークルや部活動、入学式や卒業式などとは無関係だったおかげで、一切そういうものとの接触はなかったのは良かったのだが(今でも、出たことがない)、先輩というものもいなかったので、どこに進学していいのか、まったくわからなかった。このような時期に、進学振分けが行われた。

 私は、実験の点数が可であった(ということは出席していなかったということになる)ことからも、出来の良い学生ではなかった。以上のように、進学に際しても、これという目的もなかったので、その当時から何でも学べるので有名だった教養学部基礎科学科に進学した。今ではレイト・スペシャリゼーション、融合科学などというカッコいい標語が並んでいるが、当時はいくつかの科目の寄せ集めであり、共同研究や分野間を俯瞰するような新研究は少なかった気がする。しかし私の進路は、そこで急転回するのである。

 その主役は、勃興しつつある生化学という学問と何人かの教師であった。

 ある教師は、生化学という学問についてその歴史から熱く語ってくれた。旧来の形態変化を観察する生物学ではなく、生体の化学反応を記述する生化学は、当時は最新の学問として生物学の中に深く入り込んできつつあった。筋肉が専門の教師は、ミオシンとアクチンの相互作用がどのようにして発見されたか、当時の日本の筋肉学がなぜ世界の中心にあるのか、抜きつ抜かれつの国際競争を通して学問がどう発展していったか、相手のちょっとした発表に中にあった真実を見抜き、相手に先んじて実験を行った話など、どれも私の心に強く届いた。

 もう1人の教師は、解糖系という何でもない単純な経路の発見に際しても何人もの力が合わさっており、タンパク質科学がこれからの生命科学の中心になるであろう、と力説した。アロステリック説を詳しく説明し、タンパク質の構造の変化が生命の中心であることを教えてくれたが、今から考えると、病気の原因はタンパク質の機能の差であり、タンパク質の構造変化と活性の相関こそが生命の基本原理であることを教えていただいたものと感謝している。

 進路に迷っていた私は、これらの基礎科学科での講義によって、生命科学に進路を決めた。大学院から現在まで、ずっと病気のメカニズムについての研究を行っているのは、このときの先生方の影響によるものが大きいと思っている。どの学部学科に進学するということが大切なのではない。何をやるかが大事なのである。大学4年間で、これを見つけられた方は、幸せものといっていいだろう。

 後は簡単に、こうなったいきさつを説明しよう。大学院で筋ジストロフィーに関係する酵素の研究を行っていた関係で、当時の共同研究者の先生に拾っていただき、博士取得後、厚生省(当時)の難病専門の研究所に就職した。そこに13年いた後、東京大学の付置研究所に助教授で戻り、最終的に10年前に駒場で独立したのである。駒場では、教養学部の生命・認知科学科の1期生から一緒に仕事を行うことが出来、現在に至っている。生命・認知科学科に来なかったら、ヒトの気質・認知機能と遺伝子との関係など研究していなかったに違いないが、幸いにも心理学や脳科学の仲間が駒場キャンパスに多く、相談相手になっていただいたおかげで、ここに至っている。しかし、大学院修了以降は、なんとなくレールの上にのって上司・友人の指導と協力によってここまで来ることができたような気がする。何といっても、進路決定は基礎科学科での授業であった。

 私は、進学振分けで一喜一憂している学生さんに言いたいことがある。

 進学振分けの点数というのは一時の人気をあらわしているに過ぎない。点数が悪くなれば名前を変え、目先を変えればそれに飛びつく者がいるのは過去の歴史が証明している。どんな分野でも浮き沈みがあるのは世の常である。そんなことを大人は気にしてはいけないのである。

 自分の人生は自分で選ばねばならないのだが、自分で責任を取ることが出来るのは、進路と配偶者の決定くらいだろう。そういう意味では、進学振分けは人生の岐路であることは間違いないのだが、難しくて誰も行かないような分野を自分で切り拓いていくというような気概がほしい。せっかく東京大学に来ているのだから、やはりその分野のリーダーになるつもりで進路を選んでほしいのである。

 しかし、これも年寄りの話として聞いていただきたいのだが、自分の向き不向きを知るということは、大学1,2年生で一番大切なことのように思う。どこかの国の話で、高校から大学に進むときには、金儲けが出来る官僚か医者になるように親が勧めているという話を聞いたことがあるが、向いてないものが医者になったのでは、本人も患者も困るだけである。やはり、給料が少なくても病気で困った人を助けたいという人が医者になってほしい。時間の融通が楽だから精神科に進む、などという人には遠慮していただきたいものだ。

 このあたりで私の夢を聞いていただきたい。私は、アルツハイマー病をはじめとする神経難病や自閉症などヒトの認知機能の研究を今も続けている。病気を治すというのは人類の究極の目標なのであるが、どうもどんな病気についても簡単に出来そうな気がしている。誰でも出来ることは面白くないので、やはり停年までにはもっと違うことをやりたい。それは人間の知能の研究である。なぜ、ヒトには知的機能が存在するのか、気質・性格はどのように形成されるのか、数学的能力とは何か、人の心を読むというのはどういうことなのか、などを分子レベルで解明したい。

 1年生や2年生の皆さんは、どんな人に教えてもらって何を勉強すれば、このような問題を解決できるのか、皆目見当がつかないことだろう。そんな授業もあまりないはずである。じゃあ、どうすればいいかというと、ここからは私の個人的な意見なのだが、広い視野で心理学から脳科学、分子生物学まで、何でも勉強するというのがまず第一段階。あとは、その人のセンスと努力だろう。なぜなら、誰も通っていない道だからである。数学的能力のある家系の遺伝解析をするなどということは誰でも考えつくことだ。数学能力が欠けた人を探すこと、数学が得意な人を集めて共通な遺伝子配列を探す、というのも考えられるかもしれない。遺伝子改変を行って、足し算が得意なマウスを探す? 他の一遺伝子疾患の家系で、特に数学的能力に変化のあるものを探すというのも考えられるかもしれない。

 

(ここからはひとり言)

 どうです、皆さん。皆が行くからといって人気の(点数の高い)ところに行く決心がつきましたか。それとも、誰も行かない分野に決めましたか。二番になってもしょうがないのです。自分の人生ですから、誰にも左右されずにゆっくり考え、進路を決めてください。1,2年かかって別の道に戻っても、どうということはありません。誰も文句を言うわけでもありません。自分の道は自分で責任をとるしかないのです。でもせっかく人生をかけてやるのですから、最低、人のためになることをやってほしいというのが、私からのお願いです。これは結構、モチベーションになって、やる気が出るものです。がんばってください。