始動、新学科!

−理学部・生物情報科学科−

理学系研究科、生物情報科学 黒田 真也

 皆さん、今これをご覧になっているということは、進学振分けについて希望あるいはちょっとした不安を胸に抱きつつ考えておられることでしょう。皆さんの進学先として、これまで皆さんが学んできたなじみの深い学問分野に加えて、理学部に新しく生物情報科学科が設立されたことを知っていますか。生物情報科学科については進学振分けの実績や先輩もいないため、皆さんの手元までなかなか情報が入らないかもしれません。ここでは、生物情報科学科の情報をいち早く皆さんにお伝えしたいと思います。


 おそらく多くの人は生物情報科学という言葉さえ聞いたことがないでしょう。まずは、生物情報科学とは何かを最初に説明したいと思います。現在、生命科学はヒトを含む多くの生物でゲノムプロジェクトが終了したことを受け、その歴史上もっとも華々しい時代を迎えつつあります。生物情報科学は今後の生命科学の最先端を切り開く新しい学問領域として期待されています。生物情報科学とこれまでの生命科学との大きな違いは、個別の遺伝子やタンパク質を解析するだけでなく、それらの要素が相互作用することによって生命というシステムがどのように構築されているかを実験科学と情報科学の両方を駆使して解き明かす点にあります。生物情報科学は、大きく分けてバイオインフォマティクスとシステム生物学の2つの近接する分野からなっています。まずはバイオインフォマティクスについて説明しましょう。生命科学の分野では、ゲノム配列解析プロジェクトによって、2000年前後に、ヒトを始めとする主要な生物種の全ゲノム配列が解明され、生命科学的な情報や知識が、近年著しく蓄積されてきました。一方、電子情報技術は、社会的にみても、インターネット、携帯電話などに見られるように人間社会のありかたを大きく変えるほどの速さで急激に進歩しています。バイオインフォマティクスとは、生命科学において新たに蓄積されてきた膨大なデータを、最新の情報科学的手法によって定量的に扱う学問分野です。次にシステム生物学について説明しましょう。システム生物学とは遺伝子やタンパク質の個別の要素である「部分」と生命現象のダイナミックな振る舞いである「全体」をシステムの視点から捉える学問分野です。生命現象を実験により観測して、その背後に潜むロジックを数理的なモデルを用いて明らかにしていきます。生命科学を物理や工学のような視点から捉えて理解する感じに近いので、高校で数学や物理は学んだが生物を学んでこなかった人にもその考え方自体は馴染みやすいものと思います。これらの両分野の特徴は、実験(ウェット)と計算機(ドライ)の両方を密接にフィードバックしながら研究を行う点にあります。また、生物情報科学の分野では、生命科学と情報科学のどちらの手法も用いますが、単にそれらを足し合わせたものではなくて、どちらの基礎にも立脚して新しい視点から生命現象を理解する点がこれまでの生命科学と異なるユニークな点であり、10年前には領域そのものが存在しなかった最先端の学問領域です。

 生物情報科学の進学振分けとカリキュラムについて説明します。進学定員は10名です。平成20年度の進学振分けは、第一段階で7名(理科全類6名、全科類1名)、第二段階で3名(全科類)となっています。できるだけ偏りのないように理科全類、全科類となっており、主に理系を対象としていますがどこからでも進学することができます。また、カリキュラムについては、生物学、情報科学の基礎講義に加えて、新しい領域である生物情報科学(バイオインフォマティクス・システム生物学関連)の講義を中心に行います。実験についても、それぞれの基礎実験だけでなく、コンピュータプログラミングとゲノム実験を融合させた生物情報科学実験を行い、生物情報科学の実践力の養成も重視したカリキュラムになっています。生物学、情報科学の基礎的な実習については、生物化学科および情報科学科と共通に行う予定となっています。理学部の多くの学科と同様に、3年生の間は、午前中に講義が集中して行われ、午後はほとんど毎日実習です。4年生になると、各研究室に配属されて、研究を行うことになります。生物情報科学科の具体的なカリキュラムについては、生物情報科学のホームページ(www.bi.s.u-tokyo.ac.jp)に随時アップしていきます。

 生物情報科学は日進月歩の領域であることから、従来のような1専攻の教員のみでの運営では柔軟さに欠けるため教育のポテンシャルを最大限引き出すことができません。そこで、生物情報科学の運営は、理学系研究科生物化学専攻、新領域創成科学研究科情報生命科学専攻および情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻の複数の専攻にまたがる教員により行います(図)。また、生物情報科学科の教員のもとで大学院における研究を継続して行う場合には、個々人のニーズに合わせて、適した専攻(大学院)を受験することになります。このように複数の専攻の教員からなる教育組織は、従来の1専攻・1学科から進化した新しい教育体制の試みのひとつです。

 生物情報科学科設立における経緯をお話します。本学における生物情報科学の最初の取り組みは、平成13年度から始まりました。当時は文部科学省、振興調整費、新興分野人材養成「生物情報科学学部教育特別プログラム」により先行的に生物情報科学の学部教育が開始しました。対象は主に理学部の学生ですが、それだけでなく工学部、農学部、薬学部学生や大学院生、更には社会人までさまざまな人が受講しました。正規の授業や実習を圧迫しないように既存の講義のない6限目や夏休み等に開講しました。当初はどれだけ多くの学生が来てくれるかちょっと不安ではありましたが、いざ始まってみますと平均40名近い受講者があり予想以上の大盛況となりました。平日の夜や夏休みに行う非常に厳しいカリキュラムであったにも関わらず、これまでに約70名の修了者が輩出されています。この数は通常の学科に相当するものであり、生物情報科学が極めて魅力的で需要度が高いことを明確に示しています。このプログラムは時限付予算のため平成16年度に終了しましたが、生物情報科学の学問上の重要性に加え、学生からの人気の高さが後押しして、本学の独力で新規の学科として生物情報科学科を設立することを決断しました。本格的な生物情報科学の学科設立は国内初で、欧米でさえまだほとんどありません。従来の日本の大学は欧米の動きを追随することが多かったのですが、この生物情報科学の設置については世界に先駆けたものと言えるでしょう。独立法人化後、各大学の自助努力によりさまざまな取り組みができるようになりましたが、生物情報科学科の設立も東京大学が世界をリードしていく意気込みの現れのひとつと言えます。また、理学部における新学科設立は30数年前の情報科学科以来です。一般に新しい大学院専攻は割りと頻繁に設置されたりしますが、学部における新学科設立はその学問分野が新しく発展する場合のみに限られることが多く、1世紀に1度か2度あるくらいの頻度です。その意味でも生物情報科学の生命科学におけるインパクトが伺えると思います。

 生物情報科学は、生物の進化、発生など基礎研究の立場から重要な学問分野として認識されてきているばかりではなく、医薬・製薬企業等による、病気の治療、創薬などの実用的目的や、食品関連企業等による食糧・健康および環境などの研究開発への利用、および官公庁によるバイオ関連技術の情報学的開発などの分野での専門家や人材の養成も目指しています。実際、生物情報科学の教育を受けた人材は、産学官から要望されています。どこへ就職しても、日本における、生物情報科学教育を受けた始めての人材として活躍することが期待されます。

 最後に私たち教員からのメッセージを。生物情報科学科は日進月歩であるだけでなく勃興してから日が浅いため人材が圧倒的に不足しています。つまり、皆さんにはこの分野の中心を担う人材となれる空前のチャンスが目の前に広がっていると言ってよいでしょう。生物情報科学科に進学を志す皆さんが勇気と情熱を持ってこの分野を開拓して、近い将来に国際的なリーダーとなっていくことを私たちは本当に真面目に期待しています。