ちょっと珍しいものを紹介します。昭和20年、今から61年前に旧制第一高等学校(教養学部の前身です)で行われていた授業の時間割です(一高23年文集の会編『春尚淺き』より)。文科一組には「道義」という聞き慣れない授業があります。担当の安倍とあるのは当時の一高校長、安倍能成です。8月15日の敗戦を挟んだ難しい時期、哲学者でもあった安倍先生は学生達にどのようなことを伝えたのでしょう。文科では「漢文」の授業が目に付きます。担当、竹田とあるのは竹田復、昭和60年から2年間教養学部長を務めた竹田晃の父上です。子息の竹田先生も漢文、中国文学が専門でしたから親子二代駒場で漢文を担当されたことになります。理科の時間割を見てみましょう。理甲一組、「独語」担当の竹山とは竹山道雄です。竹山先生は小説『ビルマの竪琴』の作者としても知られています。理科では甲乙いずれの組も週に3コマの「物理」の授業があります。それを担当した金澤とは金澤秀夫です。当時、金澤先生の授業を聞いていた学生の一人に小柴昌俊さんがいます。金澤先生は小柴さんのクラス担任でもありました。勤労動員の合間を縫って、この時間割で勉強したのは皆さんとほぼ同年代の学生達です。敗戦後、それまで行われていた「教練」(軍事教練)はなくなるなど、この時間割からいろんなことが読み取れそうです。皆さんが受けている前期課程の時間割と比較しながら61年前の駒場での授業の様子を想像してみてください。一高の先生方に関しては一高同窓会事務局長の兼重一郎さんにいろいろ教えていただきました。

 教育学部の今井康雄先生に今年度のシンポジウム「私はどのようにして専門分野を決めたか」でお話しくださった内容を文章にしていただきました。中学か高校の教師を志望していた先生は大学4年生の時の教育実習で小学生に算数の授業を行いました。その時、先生はあることに気付きます。それは何でしょう、「教職をあきらめて」ぜひ読んでください。(里見大作)


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