政治嫌い

法学部 藤原 帰一

 政治学者の発言としては、不謹慎かも知れないが、中学・高校・大学の時代を通じて私は政治が嫌いだった。すぐ上に学生運動の世代がいたためということが理由だろう。デモに加わったり、立て看板の書き方に注文をつけたりする先輩たちの姿を目にして、政治に対する距離感、反発というものが私の中に大きくなっていった。

 この人たちの考え方には三つの特徴があるように私には思えた。第一が独善性である。自分たちが正しい立場であり、他の人の考え方が誤っている。そして自分たちにとって重要なことは、社会にとっても、日本にとっても、世界にとっても重要だという、いわば自分の立場の絶対化のようなものだ。ほかにも正しい見方があるかも知れないとか、ほかの見方のほうがただしいのではないかとか、そんな議論を差し挟む余地はなかった。

 第二が、われわれとやつらという二つの区分から物事を考えるやりかた、つまり友敵二分論である。政治の世界はわれわれとやつらの闘争であり、やつらを打倒することが正しい。政治の本質とは「奴は敵だ、奴を殺せ」という言葉に尽きているといったのは埴谷雄高だが、こんな苛烈な権力論が、ごく当たり前のことのようにして受け入れられていた。友敵二分論は、友と敵を二分するだけでなく、自分たちの陣営を純化し、異物を排除する態度を生み出す。やつらを、対外的に、また中からも排除することによって自分たちの純粋性を保つわけだ。外の敵に対抗するばかりではなく、自分たちの中にいる敵に通じた分子も追放されるのである。『悪霊』から連合赤軍に至るリンチの思想といっていい。

 最後が機会主義である。独善的でしかもわれわれとやつらを区別するというところから見れば、状況に応じて様々な判断を柔軟に行うということはあり得ないように見えるかもしれない。だが、自分たちの正義を強く信じる人たちも、実際にとるべき手段を考える際には、正義とか原則は横に置いてもよいもののようだった。もっと簡単に言えば、目的のためには手段を選ばず、正義のためには卑劣な行動でも許してしまうわけだ。また、自分たちの中にある問題点を指摘する声に対しては、正しい主張でもそれをいうことは政治的にまずいなどなどといって、押さえ込んでしまう。こうして、自分たちの立場を絶対化し、「やつら」との闘争を続ける人々が、その取るべき手段については倫理的な拘束を受けないという状況が生まれることになる。

 ここに見られる政治のイメージをさらに拡大すれば、かつて京極純一の整理した二つのイメージに重なってくる。第一が権力闘争として政治を見る、権勢の政治である。ここでは相手に勝利を収めることが第一の目的であり、目的のためにはどのような手段を取ってもかまわない。第二のイメージが正論の政治。これは正義の実現が重要であり、その実現のためにはどんな手段をとってもいい。正義を掲げるのだから権勢の政治とは違うはずだが、目的の正当性によってとるべき手段が正当化される点で、じつは権勢の政治と正論の政治との間にたいして違いがないこともある。

 学生運動の世代を上に抱えた私にとって、正論の政治は共産主義と重なって見えたが、今になってみればナショナリズムについても同じような問題があることに気がつく。国民の伝統のためにとか、国益のためになどといえば、階級的利益などという言い方と同じように、実に多くの行動を正当化することができるからだ。それでいえば、民主主義や自由主義についても同じことがいえるわけであって、正義の世界にイデオロギーが拡大するときには常に正論の政治に傾きがあるということができるだろう。

 もっとも、すべての政治が権勢や正論で占められているわけではない。むしろ逆であって、日常の政治とは、むしろ新聞記事によく出てくるような自民党の政治の方、つまり利益調整の政治、相手の話を聞き、足して二で割る大人の政治である。京極純一は、これを「和の政治」と呼んだ。大人といえば聞こえはいいが、ここでは利益の調整のためにはモラルが度外視されることも少なくない。お代官様が商人に向かって、越後屋、そちもワルよのう、越後屋がこれに答えて、いやいやお代官様こそという世界。大人って、汚い、という政治の世界である。これはこれで、私には無縁の世界だった。

 権勢の政治・和の政治・正論の政治という三つの区分は、教養学部の学生の時、京極純一先生の授業で教わった。いかにも現実の政治に合致したものだったので説得力があったのだが、しかしその分だけ、私はなおさらのように政治が嫌いになっていったという気がする。

 しかし、政治ってそういうものだろうか。政治を行うのは人間であり、それぞれの愚かさと優れたものの両方を抱えた限界のある存在としての人間の行いとして政治を見ることも可能なはずだ。

 この見方を私に教えてくれたのが武田泰淳の『政治家の文章』という本である。文学の世界では、政治と文学などという論争が繰り広げられてきたけれども、武田泰淳の文章は「非人間的な政治」と「人間的な文学」を対置して考えるようなアプローチとは全く違うものだった。ここでは戦前日本の政治家や軍人が書いた文章を取りあげ、その人となりを述べてゆくのだが、それぞれに限界を持ち、また美質を持った人間として政治家の姿がうまく捉えられており、まるで珍獣の博覧会。自分のほうが立派だとか偉いとかいった思い上がりが武田泰淳にはないために、そのぶんだけ、英雄や悪漢ばかりの横行する「政治」よりもはるかに魅力的な人間喜劇が展開されていた。「政治」には興味を持てなくても、「政治」を行う「人間」のほうは、実におもしろかった。

 このころから私にとって政治に対する関心というものが芽生えてきたと思う。それは何をすべきかということではなく、また正しい目的のために人を動員するということでもなく、むしろ限界のある人間の限界のある営為として政治を見るということではなかったかと思う。政治をするのではなく、政治を見る視点だ。

 政治は決して理想の追求でも、逆に非人間的な権力に加えられる弾圧でもない。政治という行為に捉えられ、独善的に自分の心情をかかげることをいとわない、ある意味で困った人々の行為そのものが政治なのであって、その行為に興味を持つことのできない私のような人間にとっても、その人間らしい行為をそっくりそのまま捉えるという作業には魅力があった。

 もっと言えば、それは自由の二つの形態に関わるものだったのではないか、というふうに今になって考える。学生運動に従った私の先輩達は、何をすべきか、そればかりを語っていた。自分たちがある行動に訴えること、それこそが自由の表れだという考えであり、そこでは自分たちの自由を確保するために行動に訴えることが重要なのであって、物事を考えたり、物事を見たりすることは二の次という扱いになる。

 だが自由とは、何かをすることばかりであるとは限らない。そうではなく、目の前にあることを見ること、そしてこれまでよりもより正確に物事を見ることによって、自分の固定観念や偏見から自由になるということ、これもまたそれまでの自分に対してより自由になる行為であるはずだ。自由には、する自由と並んで、見る自由もある、といえばよいだろうか。

 こうして私は、自分が何をなすべきかという視点から政治に加わるのではなく、何をなすべきかを語ることを好む不思議な人たちを、横から観察する立場に身を置くことになった。当事者になるのではなく、一歩引いたところから見る意味、そこから初めて見える政治と政策の世界がある、ということになるだろう。ここで敢えていえば、「すること」に囚われている限り、「政治」の姿も見えてこないのではないか、と私は思う。見ること、認識という行為自体に意味を見いだすことができないものは、自分の姿も人の姿も見ることはないからだ。見る自由こそ独善から自分を解き放つ道なのである。

 東京大学に入学した皆さんは、これから官僚、あるいは、政治家になろうとか、ファンド・マネージャーや企業の役員になって、「日本を動かす」ような未来を自分に描いているのかも知れない。それはそれで多分意味はあるのだろうし、私がとやかく言うことのできるものでもない。ただそれとはまるで関係なく、見ることにも目をむけてほしい。自分で権力を握ったり、富を得たりするのではなく、権力や富を求める人々を見つめること、それによって自分の中にもある権力欲や虚栄心を客体化すること。人を知ることによって自分自身を知り、それまで自分を捉えていた偏見から解放されること。この行為の意味を皆さんが知るとき、知性の意味が、そして大学の役割がおわかりいただけるのではないか、と私は思う。

 


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