偶然の面白さ−機械からナノテクへ−

工学系研究科 機械工学専攻 教授 丸山 茂夫

 私は,進振を経験していません.私自身は駒場でも学んだし,4学期からの専門科目にもちゃんと参加していますが,この行事を経験していません.実際の所,いわゆる東大入試も経験していません.多くの人とは別のルートで,栃木県の小山工業高等専門学校を卒業した後,東大の3年次に編入学しました.ただし,駒場での語学や一般教養の単位を取る必要があり,現実にはほとんど3学期目に入学しているのですが,工学部の学科までが編入時に決まっている訳です.(人より先に決まっているのは若干の気軽さはありました.)というわけで,自身の進振をネタにしたアドバイスは不可能なので,この前後というか一生続く進路の“選択”について自身を例にしてお話しします.

 皆さんの多くは,東大に入学するまでは,本当の意味での進路の“選択”のために時間を費やしてないと思います.日本にいる限り,東大に入学できれば,親や高校の先生や自分でも“一番良い”と漠然と考えていたのではないでしょうか.本当は無駄な受験勉強のために芸術家やスポーツ選手としての才能をふいにしていたのかも知れません.(が,一般的にはそうは考えないのでしょう.)文系か理系か位だったら,自分の得意科目で何となく判断できただろうし,これらさえも進振で振り出しに戻せる可能性があるわけだから,自分自身による自分自身のための“選択”は進振が初めての皆さんが多いかと思います.ですので,今回をきっかけに,一度ゆっくり本当の意味での進路の“選択”について時間を費やしてみても良いかも知れません.

 大学に入学して,色々な仲間や先生と議論をしたあとで,本当に自分の進むべき方向を決められるのであれば進振はすばらしい仕組みだと思います.

 私も,高専入学頃から現在に至るまで,それこそいくつもの “選択”をする機会がありました.それらを今,改めて思い返してみると,全体に渡って共通する,一つの特徴的な事に思いあたります.

 それは,「偶然が面白い.」と言う事です.色々と考えても先を読むことは難しいです.時に偶然に身を任せて,思ったより良い結果が生まれることが結構あるものだというのが私の経験です.

 制御の最適化の方法に生物の進化を模擬した遺伝的アルゴリズム(GA)というのがあるのですが,制御パラメータを遺伝子に見立てて少しずつ遺伝子を変化させて試行することでよりよい制御を生き残らせるわけです.ただし,時々は突然変異ということで,急激な変化を試みないと,ほどほどのところで落ち着いてしまって本当に最適な答えは見つからないのです.偶然は,この突然変異と考えて,積極的に試行してみるのもひとつの手です.うまくいかなければ元に戻ればいいのです.もちろん,突然変異だけでは何も進みません.日常的にこつこつと遺伝子を組み換えてよりよい方向に変化するのは必要条件です.

 思えば,私の選択も幸運な偶然の積み重ねだったと言えるでしょう.というのも,東大に編入するという決断がまずはかなりの偶然でした.現在では少し状況も変わってきているようですが,私が高専の学生だった頃は,「大学に編入学する」という進路はかなり変わっていました.ちょうど,長岡と豊橋に技術科学大学ができて,高専の卒業生の進学ということが真剣に準備されてきた頃です.どちらかに推薦をしてもらおうと指導教員の井田晋先生にお願いしたら,東大などに編入学できそうだから推薦はしないと断られて,東大他の大学の編入学試験を受けることになった.乱暴な指導ではありましたが,そうでもいわれなかったら,めんどうくさがり屋な私がわざわざ受験することはなかったでしょう.

 4年生の時に研究室の選択には,友人数人と相談して人間的に魅力を感じた平田賢先生と笠木伸英先生の研究室にしました.その後,大学院に推薦で入学できることになり.親の説得もでき,すんなり入学することになりました.ただ,このときも推薦制度がなかったら,たぶん就職していたと思います.大学院の研究室を選ぶ時,例によってそのまま卒論の研究室を選びたかったが,これまた偶然そこだけは選ぶことができませんでした.そこで,平田先生が勧めてくれた田中宏明先生の研究室を選び,その田中研究室での修士・博士の乱流に関する研究と,故田中先生の科学に対する並はずれた透徹な姿を通じて,だんだんと自分も将来は研究者になるとの思いを持ったのです.その後,博士論文の完成直前に田中先生が癌で亡くなるという運命にもかかわらず,先生は私を助手として採用するとの人事をすまされていて,当時専攻長であった庄司教授とともに助手として東大につとめることになったのです.

 東大での研究内容については,大学院での研究の続きではなく,ミクロ・分子スケールから機械工学を考える新しい分野を開拓するようにとの話があって,この分野の為に機械工学に移られた小竹先生の研究会などにも参加していましたが,当初は何をしたら良いのかなかなか実感が湧かず,悩む日々が続いたのです.ところが,そんな私を見た小竹先生が,ある日,海外のミクロ・分子スケールの代表的な研究者の元に,暫く研究員としてでかけたらどうかとアドバイスして下さったのです.小竹先生はいくつかの案を提案して下さったのですが,例によって偶然,私が選んだのが,ライス大学のスモーリー教授でした.(彼はその後,フラーレンの発見でノーベル化学賞を受賞し,カーボンナノチューブの合成と製品化,米国でのナノテクノロジーの立役者となる人物でした.)が,もちろん,当時若造の私にはそんな後年の輝かしい活躍を見抜けるはずもなく,「とりあえず米国ヒューストンのライス大学に行ってみようか.」と出かけたわけです.正に偶然といえるスモーリー教授との出会いは,私にとっては,その後の私の研究内容を決定する大きなものでした,クラスターの実験的研究,サッカーボール型の分子フラーレンの研究,そしてカーボンナノチューブに関する研究を機械工学専攻で進めてきたのはこの出会いがあったからです.最近でこそ,カーボンナノチューブに関する研究であると機械工学の分野でも強度材料や高熱伝導率材料として注目を浴びていますが,フラーレンの合成などの研究は当時は「全くのお門違い」的なものがあり,今思っても,良く続けてこられたものだと思います.今は多少の努力の甲斐もあって,カーボンナノチューブを全面的に表に出した研究を進めているし,機械工学自身の姿が大分変わってきて,このような研究分野の存在が違和感のないものになっています.

 こうやって書いてくると,我ながら,偶然の連続ですべて進んでいるかのように見えますね.しかし,実際には,これら以外にも偶然のチャンスはたくさんあって,遺伝的アルゴリズムと同様にその中から意識/無意識にかかわらず“良い偶然”を選んできたのだろうと思います.また,付け加えるなら,突然変異のない時には,地道にその部分での最適化を進め,現在の遺伝子をせっせと良くする必要がある事も真実です.いくら偶然と言っても,そうそう寝ていたら,毎日ぼた餅が落っこって来ることもないでしょうから.(笑)確かに,偶然の多くは,自分よりも周りがもたらしてくれるだろう物です.しかし,はじめは小さな水滴だった流れが,蛇行しながらも周りの岩に逆らわず,ただし重力に従って流れることで次第に大きな流れとなり,最後は大海となるでしょう.みなさんの幸運な偶然を祈ります.

 


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