心理学に惹かれて統計学に出会う

教育学研究科・教授 南風原朝和

1.はじめに

 このシンポジウムに関心をもって参加されるのは,高校の頃から自分のやりたいことが明確に決まっていて,それに向かって一直線に進んでいる学生さんよりも,自分のやりたいことがはっきりせずに迷っている学生さんのほうが多いでしょう。私も後者のタイプでした。その意味では,学生の頃,漠然とした進路イメージしかもたず,大学を中途退学した経験もある私の個人史も,少しは参考になるかもしれません。

 私は現在,教育心理学コースに所属しています。心理学と言っても,私は人の心や行動を直接に研究対象としているのではなく,そうした心理学の研究を行うための方法,特に統計学的な研究方法について研究しています。その領域は「心理統計学」とよばれています。

 私の前にお話くださった,サルを研究しておられる長谷川壽一先生(第40号掲載の「自分探しの旅−終着駅はサルだった」参照)も,統計学的な研究をしている私も,ともに心理学の研究者であるというだけでも心理学という学問領域の広さがおわかりいただけるのではないでしょうか。おそらく心理学以外の学問も,皆さんの想像をはるかに超えて,豊かで幅広いものだと思います。進路選択にあたっては,そうした各分野の幅広さ,奥深さということも,頭に入れておくと良いのではないかと思います。

2.沖縄の高校から東工大へ,そして東大へ

 私は高校まで沖縄におりましたが,沖縄では,大学進学にあたって,東京などとはまた違った沖縄特有の状況がありました。私が高校を卒業した1972年3月の時点では,沖縄はまだ日本に復帰しておらず,私の卒業した那覇高校も,沖縄県立ではなく,琉球政府立の高校でした。通貨も日本円ではなく,ドルでした。それでも使う教科書は日本のものでしたから,小学校のときから「1個30円のリンゴを」という具合に,自分達が見たこともない日本円を使った説明文を読んだり,問題を解いたりしていました。

 大学への進学に関しては,その当時,沖縄の戦後復興を支援するために「国費沖縄学生制度」という制度がありました。文部省が,沖縄の内部だけで,ちょうどいまのセンター試験のような試験を行い,その成績によって,日本本土の国立大学に別枠で入学させ,しかも授業料は免除で月々の小遣いも国が与えるという有難い(というか,他県の高校生からみれば不公平と言えるような)制度でした。

 当時は高校の進路相談も充実しておらず,自分自身でも特にこれがやりたいという強い気持ちはなく,ただ漠然と,理系と文系にまたがるようなところが向いているのではないか,というぐらいに考えていました。その後,書店等で少し調べ,理工系の中で,文系的な要素をもった分野として紹介されていた「経営工学」の分野に進んでみようと考えるようになり,先ほどお話した「国費沖縄学生制度」で,運よく,東京工業大学に入学を許可されました。

 ところが,皆さんご存知のように,東工大はバリバリ理系の大学ですから,沖縄の高校から,東工大の正規の入学試験も受けずに入り,しかも「理系と文系にまたがるような勉強を」などという甘い考えをもっていた私には,東工大の勉強についていくのが大変でした。元気なのは体育の時間ぐらいで,あとはむしろ,サークルとして選んだ心理学研究会での読書会のほうが面白く感じられ,東工大で勉強を続けていくのは向いていないと感じるようになりました。

 私は,そう考えたら,もうすぐに,1年の夏休みも待たずに,親にも誰にも相談せずに退学届けを出して,沖縄に帰ってしまいました。退学して沖縄に帰ってから知ったのは,「国費沖縄学生制度」という優遇措置には制限があって,入学を許可された大学を辞めたら,もう再受験の機会がないということでした。それで,あとは本土の一般の受験生と一緒に受験するしかなくなったわけです。それはそれで仕方ないとして,東工大時代に興味をもった心理学を専門的に勉強することを考え始めたのですが,退学して沖縄に帰った7月の時点から文系の入試準備をするのは困難でしたので,東大なら,入学後も選択の幅が広く,理系から文系への道も開かれているのではないかと考え,東大の理科K類を受験することにし,幸い,合格できました。

3.心理学に惹かれて統計学に出会う

 東大の教養学部時代は,やはり総合大学の良さなのか,同じ理系でも,東工大に比べると緩やかな感じがし,自分自身も二つ目の大学という余裕もあって,比較的楽しくのびのびと勉強することができました。2年の進学振り分けのときには,いくつかある心理系のなかで,教育心理学科を選び,理系からひとりだけ入れてもらいました。晴れて進学ができ,しかも教育心理は半分以上が女子学生で美人ぞろいでしたので,夢のような生活の始まりという感じでした。

 これでやっと心理学の勉強ができるという状況になったわけですが,心理学というのは,素人の私が考えていたような,人の心のことを,頭の中でああでもない,こうでもないと考えるだけのものではなく,人の心理や行動の原理といったものを,実験や調査のデータに基づいて明らかにしていく学問です。そこで,駒場の4学期から実験演習という科目があり,データ解析なども行います。そして,本郷に進学してからは本格的に心理統計学の訓練が始まります。

 いまはパソコンの統計ソフトウェアを使うのが一般的ですが,当時は自分でプログラムを書いて,大型コンピュータを使って分析していました。文系から進学してきた学生達は,そういうことに苦手意識をもつ人も多く,その中で,東工大中退という輝かしい経歴をもつ私はすぐに頭角を表し(自分で言うのもなんですが),3年生の時点で,すでに4年生の卒業研究のデータ解析のアドバイザーになっていました。

 こうなるともう調子にのって,心理学本来の勉強よりも,統計の勉強にのめりこむようになります。自分でも,いまの学生さんに比べると相当勉強したなと思うのですが,卒論も新しい統計手法の開発というテーマで書きました。まさに,「心理学に惹かれて統計学に出会う」という感じだったわけです。

 その後,修士課程の2年からはアメリカに留学してさらに心理統計学の研究を続け,現在に至っているのですが,あらためて考えてみると,心理統計学というのは,高校時代から漠然と考えていた「文系と理系にまたがる領域」であり,また,最初に選んだ「経営工学」の領域の研究者とも,現在,統計学のつながりで交流があり,自分にとっては,落ち着くべきところに落ち着いたという感じがしています。

 ところで,現在でもそうですが,教育心理学を選ぶ学生の多くが,臨床心理学に興味をもっています。私自身も,最初はパーソナリティや臨床的なことに興味がありました。いまでも,自分自身が臨床心理学に向いていないとは思っていないのですが,学部時代にこれは苦手だと思ったのは,ロールプレイといって,友人と交互にカウンセラー役とクライアント役をして,カウンセリングの真似事をすることです。臨床心理学の訓練の中には,このように,人の話を聞くだけでなく,自分自身も率直に自己開示していくような訓練が含まれていて,私のように,人の話を聞くのは良いけど「何でこいつに自分の悩みを話さなきゃいけないんだ」と思う人は困るわけです。統計に走ったのは,ひとつは統計自体に惹かれたということがありますが,もうひとつには,そうした,他の領域のある部分での苦手意識があったということもあります。と言いつつ,きょうは結構,自己開示していますね。発達的に変化してきたのかもしれません。

 「心理統計学」そのものについても少し話をしたいのですが,おそらく皆さんは,「心理学」というと,ひとりひとりの人間の心や行動を扱う学問,そして「統計学」はその逆に,集団の平均を計算したり相関を計算したりと,集団を扱う学問というイメージがあるのではないでしょうか。それはそれで誤りではなく,心理学は個に焦点を当て,統計学はなんらかの集団に焦点を当てるということは言えると思います。そのなかで心理統計学の重要な課題は,統計学的な手法で,どうやって個に関心のある心理学の研究対象に迫っていけるかというものです。

4.最後に

 私の所属する教育心理学コースは,もちろん心理統計学だけでなく,発達,学習,臨床など幅広く学ぶことのできるコースです。そして理系の学生にも開かれたコースですし,私自身が経験してきたように,理系から行くと結構いい思いができるコースだと思います。また,教育心理学以外の教育学の各領域も,ますます注目を集めるようになってきています。どんどん教育学部を希望してほしいと思っています。

 


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