表紙の絵には草原の間の小道を学帽をかぶった学生達が登校中の様子が描かれています(内田清之助著『私の自然史−鳥−』より)。校舎は明治の洋風建築、周りも何となくのどかな雰囲気が漂い、眺めているとのんびりした気分になってきます。絵に描かれた場所はどこで、なんという学校なのでしょう。実は、場所は皆さんが毎日通っている駒場Jキャンパス、学校名は東京帝国大学農科大学です。絵が描かれた当時は現在の駒場J・Kキャンパス、駒場公園それに駒場野公園を含めてすべて農科大学の敷地でした。面積は約19万坪、学生数は約600名、のんびりしているはずです。

 ところで上記の内田清之助とはどんな人なのでしょう。彼は明治17年銀座の生まれ、昆虫採集が好きな少年でした。動物好きの趣味をいかし将来は動物学者になる心づもりで旧制第一高等学校(教養学部の前身です)の二部乙類(現在の理科2類がこれに近い)に入学。一高では英国留学から帰ったばかりの夏目漱石から英語をならい、熱心な漱石ファンになったそうです。理科大学動物学科に進むつもりがはっきりしない理由で農科大学獣医学科に入学、明治41年に卒業、続いて大学院では寄生動物学を専攻します。ところがまたひょんなことから鳥の学問に踏み込むことになります。その後は鳥の研究に専心、日本鳥学会会頭などを務め、鳥学、鳥類保護を一般に普及するという大きな仕事をしました。銀座生まれの少年がなぜ鳥の研究をすることになったかについて、彼は86歳の時にこう言っています「学生生活を通じて、幾多の良師良友に恵まれ、その感化と影響があずかって力があったことは言うまでもないが、しかし、もっとも根本的には、私の遺伝的素質に根ざしているようである」。

 話はかわりますが、5月27日(金)に進学情報センター主催のシンポジウム「私はどのような大学時代を送ったか」を開催します。その時の講師のお一人、長谷川壽一先生にシンポジウムに先立ちご寄稿をお願いしました。「自分探しの旅−終着駅はサルだった−」、読んでください。そして、是非シンポジウムに参加してください。(里見大作)


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