表紙の写真は皆さんもよく見慣れている教養学部正門ですが、何か様子が違います。この写真は昭和25年3月24日、第一高等学校(教養学部の前身)最後の卒業式が行われた後、一同が正門前に集まったところです(『教養学部の三十年』より)。一高の門札を外しているのは麻生磯次校長、左側でそれを静かに見つめている白髪の人は安倍能成です。安倍は昭和15年9月から昭和21年1月まで一高校長を務めました。日中戦争から太平洋戦争そして敗戦と大変な時代です。戦時中は勤労動員に行っている生徒達を見舞い、一緒に働くなど常に生徒達の身を案じていたそうです。安倍は自分の意見を歯に衣着せず言う人であり、そんな人柄が生徒達から好かれていました。彼が戦時中に書いた「高校生に与う」という文章の一節です。「しかしこの生死の問題の緊迫が、夕に死ぬるかも知れぬその想ひの下に、真剣に朝に道を求めしめ、色々な浮薄な非本質的なものを棄てて本質的なものに赴かしめるならば、さうしてこの心持が青年学徒をしてよく今日まで読んだ書を明日は銃に代へ、昨日の剣を棄てて今日を実験室に急がしめるだけの安らかな心境を掴ましめるならば、これは実に大した所得であり、・・・」。戦時下、人生に不安を抱えた旧制高校生(現在の大学1・2年生にあたる)への励ましの言葉です。生きることの大切さを教えてくれます。現在にも通ずるものがあると思います。安倍は松山の出身、明治35年一高に入学、東大の哲学科を卒業しています。一高校長の後は文部大臣となり文教改革を推進、学習院長も務めています。

 余談ですが本棚の片隅に安倍が友人の岩波茂雄の事を書いた『岩波茂雄伝』を見つけました。40年前、大学1年生の時に買って読んだ本です。もう一度読み返してみたくなりました。(里見大作)


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