新制東京大学は昭和24年5月に発足、6月に入学試験が行われ、約1800名が入学しました。ちなみに、定員は文科1類(現在の文科1類と2類にあたる)が600名、理科1類が480名でした。この時入学した人達も現在と同じく進学振分けがありました。今回の表紙は昭和26年度、つまり第1回の進学振分け状況を調べたものです。ちょっと見てみましょう。

 当時は医学部の中に薬学科があったことがわかりますが医学科が見当りません。表の下に但し書で「医学科については、進学ではないからこの表より除く」とあります。医学科に進むには2年生の3月に医学科の選抜試験を受験し合格する必要がありました。不合格になった場合は退学です(これを医退といいました。本当に痛いですね)。進学案内には「医学科を受験するには、医退となってもあくまで受験を繰り返すという堅い決心が必要である」と注意してあります。実際、二浪・三浪して医学科に進学した人がかなりいたようです。それでも合格しなかった人達はどんな進路を選んだのでしょう。医学科の定員は80名でした。

 法学部への進学者は418名と全学部中最も多く、工学部は310名にすぎません。昭和29年に航空学科(現在の航空宇宙工学科)、33年に電子工学科、37年には都市工学科と新学科が次々と発足し日本の高度経済成長を担いつつ定員が増加してきました。今年度の工学部の定員は945名です。皆さんが進学を希望している学部の半世紀前の進学状況はどうですか。

 今年は54回目の進学振分けに当たります。進学情報センターに来れば各学部・学科ごとの定員と志望者数の変遷を調べることが出来ます。進学希望の学科の人気がどのように変わってきたかを見てください。思わぬ発見があるかもしれません。(里見大作)


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