決断する力、あるいは「火」について

                    総合文化研究科・教授・小林康夫

 先日、進学情報センター主催のシンポジウム『私は大学で何を学んだか』が開かれ、わたしもパネリストのひとりとして、「私のコペルニクス的転回」という題で話をしました。「コペルニクス的転回」とはずいぶんと大袈裟な物言いですが、なんということはない、理系(理J)から文系(教養学部教養学科フランス科)に、いわゆる「文転」しただけなのだ、と言ってしまえばそれきりなのですが、実は、もう少し勝手な思い入れをしているところもあって、それは、そのときはじめて、素粒子からアンドロメダ星雲にいたるまでモノの秩序は、量という現実としては人間をはるかに超えているけれど、しかしそれらの存在を認識し、表現し、そしてつまりはそれらの世界を存在させているのは、あくまで人間であるという人間の優位性の確認を、ある種の「ユーレカ!」体験として経験したということがあるからです。

 今から思い返してみれば、それはどうも、理Jに入ってすぐに杉浦光夫先生の解析の授業に歯が立たないと思い知ったり、必修の図学や実験が嫌でしようがなかったみずからの弱さへの言い訳みたいなものだったのかもしれません。しかも時代は68年―69年、全学ストライキで1年の初夏から1年あまりも授業がなかった時代です。授業で体系的に専門基礎的な学問を学ぶということはなくて、薄暗いジャズ喫茶で思想系・文学系の書物を手当たり次第に読むことが勉強だった時代です。しかも当時、大学に関わる問いの核心のひとつは、みずからの専門に閉じこもった大学人の閉鎖的なあり方を批判することにありました。そういう時代風潮のなかで、大学入学時に志していた物理学を学ぶという考えは、わたしのなかで次第に色褪せてしまったようでした。

 しかし、これを書きながら当時のことをあらためて思い返してみると、それでも理科系の本もずいぶん読んでいたように思います。当時、流行していたフランスの構造主義数学者集団ブルバキの高価な訳本も何冊か持っていたし、高木貞治の分厚い『解析概論』だって古本屋で買ってきた。『スミルノフ高等数学教程』などというのも読んでいたと思うし、1年生の夏休みは、本郷の図書館でトポロジーを独学していた(その帰りに、安田講堂前のテント村をまわってビラを集めていましたね、いまの学生には分からない話でしょうけど)。カンパニェーツの『理論物理学』というのも目に浮かびます。量子力学の本も何冊かあったはず。それらのうちのいくつかは、大きなバインダー式ノートに清書された「解析概論」のノートとともに、今でもわたしの研究室の片隅のどこかに、なつかしい考古学の資料のように、眠っているはずです。

 だから、未練がないわけではなかったのでしょうし、いまだに理系の学問だけが持っているあの「美しさ」への嫉妬のような羨望はあるのですが、しかしどうやら、わたしは、人生のあの時期に、認識主体としての「人間」という世にも厄介な存在を、とりあえず括弧に入れて、世界の「美しさ」を発見する仕事よりは、このどうにも不純で、自分勝手で、いかんともしがたい「人間」なるものの認識しがたさそのものを認識する仕事のほうへと自分の人生の舵を切ったのだと思います。それは、わたし自身にとっては、自分の(一応、多少はあることにしておきますが)「理性」なり「知性」なりの「使い方」についてのある種の反省に基づいた決断だったのです。いや、そう言いたいというのが、「コペルニクス的転回」とあえて言うときの心です。入学試験すら中止になった当時の政治状況のせいで、二年も留年するはめになったから、仕方なく「文転」したのではなく、みずからの自由にかけて、決断したということです。

 たぶんわたしが、進路選択について、駒場の前期課程の学生の皆さんに言いたいことは、それに尽きると思います。選択する対象が重要なのではなく、ひとつの決断として選択することが重要なのだ、ということです。どの学部のどの学科に進学しようが、たいしたことではありません。どこでもいいのです。でも、同時に、そのどこでもいいものを、あなた方は、みずからの意思で決断して選び取らなければならないのです。そうしてはじめて、その選択は人生のなかで生きた選択になります。決断するということは、自分と向かい合い、自分と対話することです。対象の側にはじめから価値が定まっているわけではないのです。主体的に決断することによって、はじめてそれが、あなた自身だけにとってのかけがえのない価値になるのです。

 その意味では、わたしは、文J、文K、理Lの学生の全員もまた、自分なりの仕方で、進学振り分けという「決断」の「学び」を通過するべきだと思います。文Jの学生が法学部に行き、理Lの学生が医学部に行くのはいいのです。しかし、それが自動的で、外的なものであるなら、それはその人の力にはならないでしょう。自分がある学部ある学科に進学する根拠は何であるのか、ひとたびは自分に問いかけてみるべきです。そしてあらためて、その選択を決断してみるべきです。

 「教養」という言葉にどんな意味を付与するべきなのか、いまではだいぶわかりにくくなってきましたが、しかしそれがどのようなものとして考えられるのであれ、ひとりひとりの人間の主体的な、責任ある「決断する力」に結びつかないようなら、そんなものが何でしょう。そして、その「決断する力」が生きるためには、また、「迷う力」も必要なのです。力まかせに、運まかせに、あるいはいつまでも「偏差値」まかせに、決断するのではなく、ある問題に関与的なさまざまなファクターを秤量し、他者への責任を引き受け、多様な可能性のなかで迷いながら、しかし最後には、総合的な判断を下すことができる力が、おそらく真に「教養」と呼ぶにふさわしいものだとわたしは思います。進学振り分けによる進路選択は、その意味では、教養学部教育の「根幹」です。けっして制度上の関門ではないのです。

 でも、同時に言っておかなければなりませんが、進学振り分けの「決断」なんてたいしたことではありません。どんな決断も、それが決断である限りにおいては、間違うことがあります。間違うことを排除した人間の決断はありません。自然は間違えません(と言うと、いや、生命は間違える、それが生命のダイナミズムだとクレームがつくかしら・・・?)。だから、美しいのですが、人間の決断や自由は、まさに客観的な法がないところでの判断ですから、しばしば間違えます。時には間違いは重大な結果をもたらすこともありますが、こと進路選択に限って言えば、他者を巻き込むようなことはほとんどなく、本人が若干の違和感を持ってあとの2年間を過ごすだけ。どうってことはありません。学士入学のようなやり直しのコースもあれば、大学院に進むところでのコース変更もありえます。強い意志があれば、道は開けるものなのですが、しかしそのもとになる決断する意志がなければ、そんなことすら無意味になってしまいます。どうせ「偏差値」等々の外的な基準にぶらさがって東大を選んだだけの皆さんが、自分の人生に自分なりの意味を与えていこうとする「決断」のための最初のエチュードとしては、進学振り分けという試練は、ちょうど手頃なのではないでしょうか。進学情報センターというサポート機関までちゃんと用意されています。ここは一番、真剣にしっかり迷ってみることが大切です。

 で、もとに戻ってわたし自身のその後ですが、前にも述べたように、専門を決めず、専門を持たないことが、わたしの決断の一部でもありました。しかし、そうは言ってもどこかに自分のよりどころを持たなければ勉強をつづけることもできません。結局、わたしが未来への手がかりとしたのは、フランス語でした。数学という形式言語を学ぶかわりに、不純で、自分勝手で、いかんともしがたい、まるで人間的な自然言語をひとつ、徹底的に、ということは、十分に使えるようになるまで、身につけることを自分に約束したのです。もちろん、こういうことは後になって振り返ってはじめてわかることなのですが、その後のわたしの人生は、つねに、自分が自分にしたこの約束によって動かされてきたように思います。ひとつの言語が、芸術、文学、思想、哲学・・・さまざまな扉をあける鍵の役割を果たしてくれました。いや、その約束はまだ続いています。フランス語を読み、書き、そして話すとき、わたしはいまでも、それを徹底して学ぼうと決意したあのときの「初心」のようなものが、胸のなかによみがえってくるのを感じます。決断とは、そのように、もしそれがほんとうのものなら、時間のなかでずっと生き続けるものなのかもしれません。

それは、火のようなものです。決断だけが、そのひとだけの真の火を返してくれるのです。

(同じことを書くのが好きではないので、シンポジウム当日お話したものとは内容がだいぶ違っています。ご了解ください。)


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