昨年の暮れ、ある学科に進学が内定している学生が進学情報センターを訪れました。「本当は物理学をやりたいんです。留年して、もう一度、物理学科を志望したいのですが、今年小柴さんがノーベル賞を受賞したので、今度の進学振分けでは物理学科に人気がでて最低点がかなり上がるのではと心配です」という相談です。これから先の相談内容は省略しますが、小柴昌俊先生と駒場の関わりを少し話してみます。

 小柴さんが一浪した後、駒場の第一高等学校(現在の教養学部)に入学したのは昭和20年春のことです。昭和23年に一高を卒業した人達が作った文集『春尚淺き−敗戦から甦る一高』の中で、彼は大学受験を控えた3年生の頃の思い出としてこんな事を書いています。「担任だった金沢先生の物理は何とか合格点を貰えたけれど、もう一人の先生の物理の点は何とも情けないものでした。そこでその頃凝っていたドイツ文学でもやるかと独文を受けることを考えていた・・・」。しかし、彼はもう一度考え直し物理を猛勉強、東京大学の物理学科へ入学します。表紙の写真(上記の文集より)は彼のいたクラス、理科甲類2組(理科1類がこれに近い)の1号館正面での記念写真です。小柴さんがどこにいるか判りますか。前列中央、右手に帽子を持っているのが天野貞祐校長、小柴さんに朝永振一郎(1965年ノーベル物理学賞)を紹介した先生です。その右側が引用文に出てくるクラス担任の金沢秀夫先生。余談ですが、僕も学生時代、金沢先生の明快な「量子力学」を受講しました。20年程隔ててですがこの駒場の教室で小柴さんと同じ金沢先生の物理学の授業を聞いたのかと思うと、何となく楽しい気分になってきます。(里見大作)


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