学科紹介

化学システム工学科

〜化学とシステム的思考の融合で未来を切り拓く〜

教授 飯塚悦功

人間の営みと化学

 CO2放出量増大による地球温暖化が大きな社会的問題になっています.CO2の70%以上はエネルギー関連分野からの放出であるため,地球温暖化問題はエネルギー問題と密接に関係しています.再生可能エネルギー利用,高効率発電システム,CO2固定化技術などの基盤技術とともに,これらの総合的技術が必要です.化石燃料を用いる発電において効率を高めれば化石燃料の使用が減り,それだけCO2排出量を減らすことができます.効率向上には化学反応,燃焼,熱力学等に関わる様々な要素技術が必要です.

 化石燃料を用いない発電,例えば原子力や燃料電池を用いることもCO2排出減少に有効です.現代日本社会は原子力発電を一気に増やすことを受容するでしょうか.燃料電池によって全必要電力のどれほどをカバーできるのでしょうか.燃料電池に必須の多量の水素を恒常的にどのように確保すればよいのでしょうか.私たちのエネルギー消費を減少させるという施策もあるはずですが,そのために何が有効なのでしょうか.それらの施策を講ずるのにどれほどのエネルギーが必要となるのでしょうか.

 エネルギー消費の減少の例としてペットボトルのリサイクルについて考えてみましょう.リサイクルによりプラスチックス生産に必要なエネルギーを減少させCO2排出を減らすことができます.しかし,単に容器を回収すればよいというものではなく,回収したものを再利用できるようにしなければなりません.再生処理工場をどこに配置すればよいのでしょう.配置によっては多大な運搬コストとエネルギーが必要となります.CO2排出はかえって増えてしまうかもしれません.容器のまま再利用できないときには,フレーク(薄片)にしたり,モノマーにしてプラスチックの原料の一部にすることも考えられます.どのようなリサイクルを考えるのが総合的に見て得策なのでしょうか.要素技術の進展により得策と考えれるものがどれほど変わってくるのでしょうか.

 これらは一般に「環境問題」と総称されるものです.環境問題への取り組みには2つの視点が重要です.第一に,複雑化した現代の人間の営みに「化学」が深く影響を及ぼしているということです.環境問題へのアプローチは様々ありえますが,化学を語らずして環境を論じても,核心を突くことはできません.第二に,現代社会に内在する諸問題は多様な価値観のぶつかりあいでもあるということです.環境問題はその好例です.こうした複雑な問題を解決するシーズとしての要素技術の開発を進めるとともに,要素技術を総合化して社会全体にとっての「価値」を追及することが必要です.

化学へのシステムアプローチ

 環境問題に特徴的に現れているように,現代はニーズが複雑化し何を目的とするのか見えにくくなっており,これらのニーズを満たすシーズに関わる専門領域が細分化し専門知識が分散化しているために知識の全貌が見えず,したがって必要なソリューションが容易に得られない状況にあります.化学においてもまた例外ではありません.私たち化学システム工学科は,化学の分野でも顕著なこのリスクを回避するために,化学にシステム論的アプローチを適用します.われわれ人類にとって豊かな生活を実現するには「化学」に関わる要素知識の深化と「システム的思考」により,対象の理解と統合をめざす「化学システム工学」の役割が重要なのです.

 システムとは何でしょうか.システム論的アプローチとは何を意味しているのでしょうか.私たちがシステムという用語を使うとき,通常は以下の3つの側面を意識しています.

  ・目的:システム全体としての,複雑,多様,矛盾するかもしれない目的

  ・要素:システムを構成する(多くの)要素の特定とその特性の理解

  ・関係:目的と要素の関係,要素間の関係の理解,それらに基づく目的達成設計

 化学システム工学は,化学の基礎原理を理解しつつ,これを工学として有効に利用するために,コアとなる要素技術の深化を支援し,これら要素を組み合わせ,全体としての目的を効率的に達成するための方法論の体系です.

 化学システム工学のこのアプローチは,材料の設計にも新たな方法論を提示しています.「材料システム設計」とよぶこの方法は,材料が有すべき「目的機能」と「機能実現の実体」との関係に焦点を当てた,マクロな機能を構成する種々の要素機能がシステムとしての機能を発揮した結果として発現するという思想に基づく材料設計法です.各要素機能に最適な素材,構造を選定,設計し,さらにそれらをいかにシステム化するかを設計し,さらに材料の製造にあっても,最適な合成,作製手法を選択,開発し,そのシステム化を行います.

知識の構造化

 化学システム工学は,要素技術の深化の支援と統合化にあたり「知識の構造化」という視点で取り組んでいます.知識の構造化とは何でしょうか.第一に,私たちが獲得する知識そのものにはある種の文法構造があるということです.ある現象は,ある状況において,ある物理・化学的メカニズムで発現します.「ある状況で」「あるメカニズムで」起こるその内容を一般化・抽象化し,ある構造で蓄積し,再利用可能な知識にすべきであると主張しています.当然のことながら,このことによって,現象の「予測」能力が格段に向上します.

 第二に,現象の全貌の理解のために,ミクロからマクロ,マクロからミクロまでを階層的に理解することを意味しています.例えば,原子・分子レベルの化学(量子化学,分子構造論),分子集合体の化学(分子動力学,統計熱力学),化学反応機構(化学反応論,熱力学,物性論),マクロな現象の理解(輸送現象論,反応工学,分離工学,熱エネルギー工学,流体力学など)という階層をつないで,「分子から地球まで」をシームレスに論ずる方法論を確立しています.

 第三に,物理的・論理的に散在し,時々刻々蓄積される膨大な知識の海にあって,最適な知識にアクセスし,これらを適切に統合できるような環境の構築,つまり知識インフラの構造化を意味しています.このことによって,多様な専門家が,互いの知識をそれぞれに活用できる,知のコラボレーションプラットホームの構築が可能となるのです.

化学システム工学のアプリケーション

 化学を基礎としてシステム的思考により人類が直面している課題に真正面から取り組む化学システム工学科では,以下のような研究が行われています.

化学・材料:機能性分離膜,ナノ材料センサー,ナノスペースネットワーク,ナノデバイス

環境:SOx・NOx除去,ライフサイクルアセスメント,酸性雨問題,砂漠化防止,CO2排出抑制モデル,CO2ハイドレート,ヒートアイランド

エネルギー:バイオマス再資源化,石炭ガス化,水素高密度貯蔵材料,石炭複合発電,燃料電池,太陽電池

健康・医療:ケアプラン,医療安全システム,薬物送達システム,ナノ粒子診断システム,生体システム模倣材料

システム:構造化知識ベース,化学プロセスの高信頼性設計,ヒューマンエラー防止

ニーズとシーズ

 自分の進路を考えるにあたり,2つのことを考えて下さい.ニーズとシーズです.ニーズとは社会ニーズです.皆さんが活躍するようになる20年後に,果たしてどんなことが社会ニーズになっているのか,よく考察してみて下さい.シーズとは売り物になるあなたの能力(技術力)です.どのような知識,方法論を身につけるべきなのか,あなたが元々もと持っている能力(強み)やあなたの将来への望みを冷静に分析して,自らが進むべき道を自律的に決めて下さい.進学先を自己の持ち点の相場観で決めるほど馬鹿げた決定法はありません.自らの分析に基づき,自己の独自の価値基準で,自ら判断して下さい.


agc@park.itc.u-tokyo.ac.jp