今回の表紙は昭和27年度進学振分けの志望集計表です(「教養学部報」第4号より)。現存する最も古い進学志望集計です。半世紀前の志望状況をちょっと見てみましょう。

 文学部では仏文学科が定員35名に対して志望者50名と人気です。当時はサルトルやカミュなど同時代のフランスの作家の作品が次々と紹介され、カミュの「異邦人」をめぐっては広津和郎と中村光夫の大論争が世間の注目を集めました。フランス文学が多くの学生を引きつけた時代です。文科2類(現在の文科3類にあたる)に入学した大江健三郎がフランス文学に進学したのは昭和31年のことです。

 薬学部は薬学科として医学部に属していたことが分かります。定員は35名、現在は80名に増えています。薬学部が創設されたのは昭和33年です。医学科は定員80名に志望者180名と激烈な競争がありました。当時は医学科に進学するためには進学振分けとは別に選抜試験に合格する必要がありました。医学科志望者は医学科以外には関心がない学生が多くそれに関連していろんな問題がでてきました。

 これらの問題に対処するため進学振分け制度は縦割り論も含めて再検討されました。その結果、理系では理科3類を設け医学科進学の問題に対応し、同時に文系はそれまでの文科1類を2つに分け1類は法学部、2類は経済学部進学とする案が承認され、昭和37年度から現在の6科類制が実施されました。現在、文科1・2類それに理科2・3類が同じクラスになっているのは科類改編前のクラス分けの習慣が残っているためと思われます。

 ところで皆さんが進学予定の学部・学科の51年前の志望状況はどうですか。進学情報センターに来れば、すべての後期課程について過去の志望者数の変遷を調べることができます。(里見大作)


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