心理学分野の教育と研究

大学院人文社会系研究科・文学部
心理学研究室  立花政夫

 心理学は、人間の心を科学的に理解しようとする学問領域です。巷では、「心理学」という
と、恋愛に関するハウツーもの・フロイト関連の本・嘘発見器・クイズ番組・マスコミに登場
する心理学者達の発言などから、「人の心を見透かすことができる技術」といったイメージが
あるようです。心理学の領域は極めて間口が広く、かつ、その奥行きも深いものです。そのた
め、この領域の一部が誇張されるだけならまだしも、科学的根拠もない俗説が「心理学」であ
ると称されると困惑してしまいます。前期課程で心理学関係の講義を初めて聴き、自分の持っ
ている「心理学」のイメージと余りにかけ離れていたために、失望したり、その逆に、興味を
かきたてられたりした学生諸君もいるのではないでしょうか。

 心理学では、人間の精神機能を感覚・知覚・認知・学習・記憶・情動・思考・言語などに細
分化して研究を進めてきました。行動実験や精神物理学的実験を行い、その結果から、心の働
きを推定します。最近では、人間がある視覚刺激パターンを凝視したり、暗算をしたり、音楽
のスコアを頭の中で追ったりしている時に、脳のどこの部位が活発に活動しているかをイメー
ジング法(PETやfunctionalMRIなど)によって調べることができるようになってきました。こ
の方法の開発が急速に押し進められているので、人間の精神機能と脳の生理学的過程とを対応さ
せて研究することが可能になりつつあります。心理学でも神経科学的アプローチの重要性が認
識されています。また、コンピュータにおける情報処理と関連づけて、人間の精神機能を理解
しようとするアプローチもあります。

 心理学が対象とするのは、一般成人には限りません。個体発生的に人間の心の発達を調べる
ためには、乳幼児や老人についても研究を進める必要があります。もちろん、心的機能に障害
のある患者さんも含まれます。人間は一人で生きているわけではありませんから、社会的観点
からも、社会的状況における個人の行動・集団行動・組織における行動・文化的に規定された
行動についても心理学の研究対象になります。さらに、系統発生的に人間の行動を動物の行動
と比較検討することも行われます。このように心理学は最終的に人間のこころを理解しようと
していますが、対象の選び方・研究の切り口・アプローチの仕方は極めて多様なのです。

 東京大学には心理学部といった単一の組織は存在せず、いくつもの学部や学科に分散して心
理学の教育と研究が行われているのが現状です。三十名近くいる心理学関係の教官(教授・助教
授・助手)は、文学部(心理学専修課程と社会心理学専修課程)、教養学部(生命・認知科学
科)、教育学部(教育心理学コース、学校教育開発学コース、比較教育社会学コース、体育科
学コース)、社会情報研究所、医学部の音声・言語医学研究施設(言語神経科学部門)などに
所属しています。したがって、心理学を後期課程で専攻したいと思っても、どこに進学したら
よいか学生諸君が決めかねるのは当然のことかもしれません。

 それぞれの学科(学部によっては専修課程とかコースとか呼ぶ)は、どのように違っている
のでしょうか。大雑把に言って、文学部の心理学専修課程では知覚や認知に関する実験心理学
を、社会心理学専修課程では実験や調査に基づく社会心理学を、教育学部では教育心理学や臨
床心理学を、教養学部の生命・認知科学科では、神経心理学・計量心理学・動物行動学などを学
ぶことができます。しかし、学科ごとに特定の研究領域や研究手法が決まっているわけではあ
りませんし、また、学科間で重複している部分もあります。したがって、学生諸君は進路の決
定にあたって、各学科の大雑把な特徴だけではなく、それぞれにどのような教官が所属してい
るかに注目して進学先を考慮する必要があります。そこで、各学科に属する教官が専門とする
領域について簡単に紹介することにしましょう。

 文学部の心理学専修課程では、神経科学的手法と認知科学的手法を用いて、感覚・知覚・記
憶・認知などの領域の実験的研究を行っています。人間を被験者にした視覚の精神物理学的研
究、文化と認識に関する研究、記憶の表象に関する研究などが行われています。また、動物を
使った行動実験や脳・神経系の情報処理過程に関する生理学的実験も行われており、分子レベ
ルから行動レベルまで統一的に視覚系の働きを理解することを目指しています。社会心理学専
修課程では、人の社会的行動や認知の心理学的な規定要因を実証的に研究しています。社会シ
ステムの力動的過程に関する数理モデルの構築、言語相互作用の研究、認知構造の変換過程に
ついての理論的体系化、集団主義的傾向の比較文化的研究、個人の集団内行動や集団の合意性
及び変動性に関する研究、道徳性や価値観の評価、投票行動や世論過程の調査、コミュニケー
ション行動の研究などが行われています。

 教養学部の生命・認知科学科では、失語・失認・半側空間無視・記憶障害等に関する神経心
理学的研究や精神活動に伴う脳の活動部位を画像解析する研究が行われています。また、意思
決定理論や人格理論の構築などと共に、動物の性行動・配偶システム・コミュニケーション行
動に関する比較行動学的研究、教育臨床に関する研究、青年心理学や精神病理学など多彩なテ
ーマが取り上げられています。

 教育学部の教育心理学コースでは、文章理解や物語理解の研究、学習や記憶に関する研究、
統計検定法やテスト理論の研究、人間の確率的統計的な判断や推論に関する研究、認知カウン
セリング、コンピュータの教育利用と情報教育に関する研究、青年期の発達研究、問題行動を
おこす青年に対する心理援助技法の開発、臨床心理士の養成プログラムの開発などが行われて
います。学校教育開発コースでは、認知過程の研究とその教育への適用、情報教育が学校教育
に与える影響の調査、心理教育相談、心理臨床家の養成、学校教師への援助方法の探索、生態
学的認識論や身体認識に関する研究などが主要テーマです。比較教育社会学コースでは、文化
の中での子供の発達研究、異文化体験に関する研究、多文化教育のプログラムに関する思考実
験などが推進されていますし、体育科学コースでは、スポーツとメンタルヘルスの関係、社会
復帰に向けたカウンセリング治療の問題などが研究されています。このように、教育学部では、
やはり、教育現場との交流の中で研究が進められています。

 社会情報研究所では、災害情報のあり方、情報社会の負の側面についての分析、言語的コミ
ュニケーションの了解過程の分析、語用論的方略の異文化比較、情報行動の社会心理学的分析
などを研究テーマとしています。医学部の音声・言語医学研究施設の言語神経科学部門では、脳
活動のイメージング、脳の磁気刺激による知覚や認知過程の研究、盲点に関する研究、神経心
理学的研究などが行われています。

 以上簡単に紹介しましたが、より詳しく知りたい学生諸君は、各学部の授業案内や年報など
を調べたり、進学ガイダンスやオープンハウスに積極的に参加して下さい。また、前期課程の
「心理学測定法」の講義は、本郷の心理学系教官も参加したオムニバス授業となっていますの
で、自分の関心を見いだすのに都合がよいと思います。ある程度、自分の興味が絞れた場合は、
関連する学科の進学担当教官などに連絡をして直接教示を仰ぐことも可能でしょう。毎年、文
学部の心理学専修課程に進学してきた学生に、進学の動機やこれまでに読んだ心理学関連の書
物などについて尋ねますが、その答えに憮然とすることがしばしばです。後期課程はわずか2
年間、しかも最後の1年間は卒業論文を仕上げるのと就職活動であっという間に終わってしま
います。ようやく心理学が判りかけてきた頃卒業するといった学生が多々見られるのは残念で
す。

 卒業後の進路ですが、文学部の心理学専修課程では卒業生の3割程度が大学院に進学します。
人文社会系研究科以外に、教育学研究科や総合文化研究科に進学する学生もいます。後期課程
で他学部聴講することによって自分に向いた専門を探ることも可能なのです。他の学生は、個
人ベースで就職活動を行い、一般企業(出版・マスコミ・銀行・情報関連企業・製造業・サー
ビス業など)に就職しますが、公務員になる人もいます。心理学出身であることを活かして就
職するとは限りません。しかし、大学時代に心理学を勉強したという経験が、その後の人生に
何らかの影響を与えないはずがありません。自分が将来何をやりたいのかをよく考えて、進学
先を決めて下さい。