教養学部進学情報センター主催シンポジウム講演要旨

――進路選択のためのガイダンス――

平成7年5月26日(金)13:00より下記の(1)−(3)のシンポジウムが同時開催された。そこでの講演要旨である。

(1)「物質科学へのアプローチ:モノづくりの科学」

   (司会 教養学部 菅原 正 教授)

 物質科学へのアプローチには幾つもの道があるが、今回のシンポジウムでは「モノづくり」の切り口で、各学部で行われている研究の現状や将来への展望をお話していただいた。「モノづくり」には、ミクロからマクロ、あるいは天然物質から人工物質に至る様々なマテリアルそのものを研究対象とする科学のほかに、これらを構築する技術、そのための装置の開発など幅広い学問分野が関わっていることが判ったはずである。その意味でも本シンポジウムは、進学のためのガイダンスとして十二分に役立ったことと思われる。講師の先生方には、最新の成果を分かりやすく、またモノづくりへの熱意と面白さを伝えていただき、進路を考える学生諸君にとって、この上ない刺激となったことであろう。

先端科学研究はモノづくりから始まる −モノづくりの楽しさ−

医学部 医用電子研究施設 井街 宏 教授

 医学と「モノづくり」、一見無関係な感を受けるかもしれないが、現代医学・医療の多くの分野は独自の「モノづくり」によって発展してきたといっても過言ではない。医学に限らず先端的科学研究であればあるはどそれに必要な機械、器具、部品などが世の中に存在しないのが普通である。ソフトウェアに関しても同様である。逆に言えば、世の中にないことを探求して生み出すのが研究であり、「モノづくり」は研究の第一歩であり研究そのものである。我々の研究室では、医学と工学の境界領域の研究を行ってきているが、その一つの中心である人工心臓の研究は35年の歴史を有しており、「まさにモノづくり」の歴史とも言えるものである。本シンポジウムでは、これらの経験をもとに「モノづくり」の心構え、難しさ、そして楽しさなどについて紹介した。

プラズマを利用したダイヤモンドおよびcBNの薄膜堆積

工学部 金属工学科 吉田豊信 教授

 炭素またはホウ素と窒素の化合物(BN)を触媒とともに1500−1700℃で5万気圧程度に加圧保持すると、ダイヤモンドや立方晶窒化ホウ素(cBN)が合成されることは良く知られている。すなわち、これらの物質は高圧・高温安定相であるが、近年、プラズマ状態などを利用した非平衡プロセスにより気相からこれらの物質を低圧で合成することが試みられており、特に、薄膜化することでハードコーティングの利用のみならず、将来、耐熱高温半導体としての利用が期待されつつある。この事例は、物質研究から材料研究への流れや工学部での材料開発の面白さを知るには最適と考え、我々の研究室の最新成果も紹介しながら講演した。

   原子を積む ―分子ビームによる超高真空下での新物質創生

理学部 化学 小間 篤 教授

 超高真空下で、成分原子や分子のビームを基盤物質に照射することにより、1原子層ずつ制御しながら単結晶超薄膜を成長させる手法が確立され、2種以上の物質の単結晶超薄膜を積層して、人工超格子物質など天然にはないような新人工物質を作成することが可能になった。しかしながら、良好な帯層成長を実現するには、格子整合性に厳しい条件が課され、組み合せる物質にも大きな制約をもたらしていた。われわれは、このような制約を克服し、絶縁物から超伝導金属にわたる各種層状物質やフラーレン、有機分子性物質などを自由に組み合わせて、設計通りに積層成長させ、人工物質を作成する道を切り拓いた。本講演では、このような新物質合成の最先端の状況をお話した。

バイオ技術を利用した物質生産と新機能創生

農学部 発酵学 堀之内末治 教授

 地球上のあらゆる環境に生息する微生物は、非常に多様性に富み、微生物の示す機能の多様性は驚くべきものがある。微生物は、われわれの健康の維持、増進に必要な抗生物質、アミノ酸、ビタミンなどを生産するのみでなく、工業的レベルの物質生産、変換に利用される種々の酵素の供給源でもあり、さらには地球の環境浄化にも積極的に利用されている。最近では、遺伝子工学、タンパク質工学的技術を用いて、微生物のこうした多機能性をさらに改良して新機能を賦与できるようになってきた。本講演では、微生物の物質生産と新機能創生について、実用酵素と抗生物質の2例をもちいて概説した。

有機物で磁石をつくる ―学際領域に育つ新しい分子―

教養学部 基礎化学科第一 阿波賀邦夫 助教授

 これまで磁性素材とは無縁のものと思われていた有機物や分子集合体に、磁石の性質を付加しようという「分子磁性」研究がここ10年ほどの間に長足の進歩を遂げ、ついに強磁性体となる有機物も発見された。この研究には、強磁性という物理現象の理解にはじまり、分子設計・結晶設計や新物質合成という化学的手法、そして生物磁石に手本を求めるという意味での生物的視野が必要とされた。物理から化学、そして生物にいたる学際領域研究の典型例ともいえる分子磁性研究が、有概強磁性体という新しい物質を生み出したわけである。

 教養学部後期課程(基礎科学科第一、第二)は、学際的・総合的視野と、分野にこだわらない行動力を育てている。このような人材に対する社会的ニーズは今後ますます高まるものと思われる。

くすりと化学

薬学部 薬化学教室 首藤紘一 教授

 薬学の研究の主題は薬である。昔は、薬は植物を始めとする天然物そのものや、粗成分の物質であったが、近代以降は、薬効成分が純粋に取り出され、また、作用の確かな合成化合物が多数用いられるようになった。薬の研究には広い基盤を必要とする。しかし、医学・生物学と薬学の違いは薬という化学物質があっての学問・技術であることを忘れてはいけない。

(2)「生命科学への招待:分子から細胞、個体へ」

(司会 教養学部 池内昌彦 助教授)

「生命科学」の最近の急激な発展は、個体や細胞レベルのマクロな生命現象を分子レベルで理解し、さらにはその予測さえも可能なものにしつつある。また、遺伝子、細胞などの操作技術の進歩は、「生命」の神秘の解明に路を開くとともに、生命現象にかかわる多方面での理解、応用をますます発展させている。このような生命科学の現状と今後の可能性を、各学部の動向をもとに語っていただいた。

血圧の調節と異常:個体から細胞、分子へ

医学部 医学科生理学 熊田 衛 教授

 ありふれた病気であっても、原因が分からないものがある。高血圧はその典型であり、9割近くが原因不明の本態性高血圧である。しかも病因解明のための近代医学による挑戦を永くはね除けてきた。

 分子や細胞レベルの生命現象を研究対象とする分子細胞生物学は、生命科学の諸分野に共通な技法、用語、概念、論法を提供し、異分野を結びつける。さらに生命科学の研究方法をひろく医学に導入する点で、高血圧の原因解明にも多くが期待される。じっさい高血圧との関連が指摘されてきたレニンーアンジオテンシン系の生理活性物質における遺伝子変異と高血圧との連関が解析され、さらに遺伝子変異マウスを作成して高血圧発生のプロセスが実験的に追跡されている。初期段階の成果は、今後の発展を予測させる。

生命科学での工学の係わり

工学部 精密機械工学科 松本博志 教授

 自然の中にあって物理、化学法則を明らかにすることが科学(発見)であるのに対して、物理、科学法則に則って境界条件を設定し人工物を造る技術(発明)を確立した上で人工物を造ることが工学である。工学がこれまで造ってきた人工物は無生物であった。最近、工学の対象とする人工物も一部に生物機能を含めることがおこなわれるようになった。ここにバイオテクノロジー、バイオエンジニアリングの誕生がある。そもそも生命の誕生には分子膜による環境の成立がある。この環境は細胞環境、組織環境、臓器環境を形成してより高等な生物個体の形成へと進化してきたという経過がある。工学は今や分子、細胞、組織、臓器を対象に柔らかい、湿った人工物を造ることにとりかかっている。その基礎には細胞工学があり、ここにはセンサ工学、ロボット工学、人工臓器工学の新たなる展開が期待され、その成果は科学(発見)と技術(発明)の誕生を伴う。工学の目指すところは人工物を造るための境界条件の緩和にあるともいえる。ここでは若い柔軟な頭脳が必要である。

高等生物における多様性の認識と多重遺伝子の発現制御

理学部 生物化学 坂野 仁 教授

 当グループでは、高等生物の情報処理システム、即ち免疫系と神経系が、多重遺伝子系を駆使してどの様に多様なリガンドの識別を行っているかを、分子遺伝学的立場から研究している。本講演では、免疫系における抗原受容体遺伝子の再構成機構と、神経系における嗅覚受容体遺伝子の発現制御について最近の話題を紹介する。免疫系については、遺伝子の再構成の分子機構を基質、酵素、調節の3つの観点から解説する。また、嗅覚系では、一千に及ぶと言われる嗅覚受容体遺伝子が、どの様に選ばれ、嗅神経が再生される際、軸策の投射の特異性とも関連して、その発現がいかに制御されているのかを考察する。

植物改良の分子生物学

農学部 放射線遺伝学 平井篤志 教授

 植物は光合成を行い、地球上のすべての生物に炭素化合物と酸素を供給し、その生命を支えている。光合成を行う細胞内小器官である葉緑体の起源は植物に共生した光合成細菌であると言われているが、共生後、多くの遺伝子を細胞核に転移させ現在に至っている。このため高等植物の光合成は核と葉緑体の遺伝子群により遺伝的に制御されている。そこで光合成能を強化するためには、核と葉禄体の遺伝子を改良しなければならない。植物では核へ遺伝子を導入することは比較的容易であるが、母性遺伝する葉緑体へはまだ解決されておらず、分子生物学などの基礎研究とバイオテクノロジーの成果が期待されている。

脳内光レセプターと生物時計

教養学部 基礎科学科第一 深田 吉孝 助教授

 地球上の全ての生物は約1日周期の生物リズム(サーカディアンリズム)をもつ。このリズムを支配する生物時計の発振機構は未だに不明であるが、生物時計には外界の明暗周期に同調するという特性がある。私共の研究室では最近、時計細胞を含むニワトリ松果体の光受容蛋白質ピノプシンを発見した。ピノプシンが受容した光情報は、何らかのG蛋白質を介して生物時計の位相を制御すると考えられる。このG蛋白質を同定すると共に松果体の光情報伝達経路を探ることは、未だ謎に包まれている生物時計の本体に迫ることに他ならない。さらに最近の研究で、ピノプシン遺伝子の発現が生物時計の支配下にあることが判ってきた。したがって、ピノプシン遺伝子の転写調節機構を明らかにすることによって、時計の情報下流から発振系に迫ることも可能である。

   細胞の外側からのシグナルを内側に運ぶGタンパク質

薬学部 生理化学教室 堅田利明 教授

 生命科学における最近の研究の進展はめざましく、神秘のベールに包まれていた生体の複雑な諸機能が今や分子のレベルで理解されようとしている。医薬品の創製、開発にとって、薬の作用する場である生体のしくみを理解することは必須であり、薬学部ではそのしくみの解明に向けて様々なアプローチでの研究が要求されている。本シンポジウムでは、昨年度のノーベル医学生理学賞の対象となった、細胞の外側からのシグナルを細胞の内側へと運ぶ役割を果たすGTP結合蛋白質に焦点を当て、細菌毒素のもつあるユニークな酵素活性や遺伝的な変異を伴う内分泌疾患の症例が、Gタンパク質の作用機構の解明にとって有用なツールとなった研究の経過を紹介した。

(3)「学際テーマとしての『環境』」 

(司会 教養学部 下條信輔 助教授)

 現在、各方面から環境学の必要性が謳われているが、「環境」というテーマは、自然諸科学のみならず、法・政治・経済・歴史・教育などの諸領域に及んでおり、まさに学際テーマと呼ばれるにふさわしい。そこで今回のシンポジウムでは、このテーマが各学部で現在どのように論ぜられているのか、そして既存の諸学問にどのような刷新を促しているのかなどについて語っていただいた。21世紀の最も重要な学問的テーマである環境に関心を寄せる数多くの諸君との活発な質疑応答がなされた。

環境政策の過程と手法−「環境」−への制度的対応

法学部 行政学 城山英明 助教授

 環境政策の対象が公害問題から地球環境問題に展開するに伴い、2つの次元での変化がみられる。第1に、環境政策が国際化した。冷戦後の国際社会では環境安全保障や持続可能な開発を巡る諸議論に見られるように国際環境政策は核戦略にかわる統合的政策の色彩を帯びつつある。また、ある国の環境規制がその規制を満たさぬ他の国からの貿易を制限することがあるため環境規制と国際貿易規制の抵触が問題となっている。第2に、政策実現手法の変容がみられる。事後的な賠償責任追求という手法から環境協定や公法的手法を含むものへと展開した。また、環境税・排出権等の経済的手法や環境監査・エコラベリング等の自己規制誘導的手法が用いられている。そしてその過程では、NGOが一定の「公的役割」を担いつつある。

健康科学における環境とは

医学部 健康科学・看護学科 大塚柳大郎 数授

 医学部健康科学・看護学科及び大学院の保健学専攻と国際保健学専攻は、健康の維持・増進を主要なテーマとし、実験・調査・統計分析に基づく基礎研究と応用研究を行っている。健康とは適応あるいは生活(生存)ときわめて密接な関係にあり、自然環境及び社会・文化環境との関連で健康を理解することが重視されている。具体的には、それぞれの専門分野の特性を生かして、遺伝子・分子・個体・家族・地域社会・地球生態系のレベルを扱うことになる。近年注目されている地球環境問題との関連でいえば、先進国か途上国かを問わず、人口増加と都市化の進行に伴う生存環境の劣化、生活様式の変容、食糧生産・消費の変化がもたらす生存と健康への影響も重要なテーマとなっている。

人間と環境のインターラクションー居住性の視点から

工学部 建築学科 安岡正人 教授

人類と環境

文学部 考古学 藤本 強 教授

 人類の環境への関わり方を、人類の生誕以来現在に至るまでたどる。人類は、当初自然環境の中の一構成要素に過ぎなかったものが、次第に自然環境を改変するようになり、動植物を初めとする自然環境を大きく損なうまでになる。また、自然にはない数々のものを作り出し、それを蓄積してきた。増え続ける人口、人類の欲望の増大などの原因がさまざまに重なり、地球そのものの存在すら危機に陥れるまでになっている。その速度はますます速まっている。時を戻すことはできないが、一人一人がどうしたら良いのかを自らの問題として考える時になっている。

熱帯林の減少と再生の可能性

農学部 林政学 永田 信 助教授

 世界の森林資源は、熱帯と亜寒帯に広く分布している。温帯においても潜在的に森林が豊かにあったはずであるが、人間活動により長期的には減少してきた。しかしながら、温帯の諸国において最近は森林資源の回復が見られている。これに対して現在も森林の減少が著しいのが熱帯である。こうした事実から、経済発展に伴って森林資源は始めには減少するが、やがて増加に転ずるようなU字型の軌跡を描くのではないかと想定したい。もちろん、熱帯における現状はこのような想定を裏切り続けてきた。しかし、この想定を実現するような動きがないわけではない。一つは住民に一定の利用権を与える社会林業という政策であり、今一つは農林複合の技術である。こうした政策と技術に注目したい。

経済学からみた地球環境問題

経済学部 現代経済 石見 徹 教授

現代の自然破壊と歴史学

教養学部 教養学科第一 義江彰夫 教授

 現代、世界的規模で進行している自然・環境破壊の根源は、原始社会に始まる人間の自然所有と支配の帰結であり、とりわけヨーロッパ型近代市民社会論と近現代歴史観が共有する進歩・発展の論理によって極限にまで達した。したがって、この間題を根源的に解決するためには近現代の市民社会論と進歩・発展の歴史観を根底から再検討し、近現代所有概念を根本的に再検討せねばならない。

 具体的には、人類の原始から現代にいたる歴史を進歩とともに、自然支配・破壊の歴史と捉え、さらに破壊した自然との関係を修復する努力の過程として捉え直すことが必要であり、それと不可分に、近現代的所有概念を法的・経済学的に根本から批判し、再建せねばならないだろう。

「育ちの場」としての環境

教育学部 比較教育社全学 箕浦 康子 教授

 子供は、一定の社会的・文化的・物的環境の社会に生まれる。こうした育ちの場を深く規定しているのが、その人が生きている社会の生活維持体系と文化的意味体系である。前者は、衣食住の供給システムや家族の居住パタン、交通・通信体系、子供の養育システムなどで、意味体系とは、人とは何か、子供をどのようなものと考えるか、正しい振舞いとはどう行動することか、社会や宇宙をどのようなものと考えるかといった文化特有の観念の体系である。こうしたもので構成されている育ちの場で、生物としての成熟のプロセスおよびその子特有の諸条件に規定されながら、各人はさまざまな経験を重ねることで、自分の心的世界を築いていく。


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