マテリアル・サイエンスの勧め

       工学部材料学科  井野 博満

“地球はマテリアルのシンフォニー”というある材料メーカのCMがあった。大相撲ダイジェストの合間に流れ、ファンタジックな画面が印象に残っている。たしかに世の中すべてがマテリアルとも言えるわけだ。それを研究する学問がマテリアル・サイエンス。日本語で材料科学。

 materialは物質とも材料とも訳され、この2つの語はずいぶんちがう印象だが、これは理学と工学が輸入学問の性格を残したまま別々に進んできた名残だろう。マテリアル・サイエンスは、物理学や化学と密接に結びつきつつ、マテリアルの設計を使命とする独自の学問体系をもった科学として、急速に発展しつつある。

 今、2つの全く異質のインパクトがマテリアル・サイエンスを活性化させている。

 1つは、物質創成技術の新展開とそれにともなう新しい物性の発現である。例えば、試料を高温の液体状態から超急冷する技術。あるいは、蒸気を凝着して固体薄膜にする技術。これらの方法で、今まで酸化物でしか得られなかったガラス状態(液体を凍結した乱れた構造を指す)が金属や半導体でも得られ、オーディオの磁気ヘッドやトランス、あるいは太陽電池として実用化されている。また、分子線エピタキシーと呼ばれる方法で、1ないし数原子層ずつの異なった物質を重ね合わせた多層膜が作られ、量子井戸と呼ばれる構造で電子の運動が原子レベルで制御される。

 以前は、自然界にある物質の性質を解明するのが物理学であったが、今や物理学は、(少なくとも物性物理学は)、物質開発ということ抜きに語れなくなっている。また、一方、量子力学に始まる物性物理学の発展も、結晶周期ポテンシャル下の1電子近似=バンド理論の段階から、非周期ポテンシャル場や多電子相関が問題となる複雑系固体解明段階に入っている。これらのことは、高温酸化物超伝導体の発見(合成)の経緯とその機構解明の方向性ということを考えても明らかである。物理学と工学との境界が定かでなくなり、研究者と研究方法の相互乗入れが起こっている。マテリアル・サイエンスのための肥沃な土地を物理学が用意してくれているとも言える。

 もう1つのインパクトは環境問題からのものである。地球のキャパシティーに抵触するに到った人間の活動をどう組み立て直すか、そのための学問のあり方という大きな課題が、当然のことにマテリアル・サイエンスにも突き出されている。人工物を含めたマテリアルの存在形態が、環境の質を規定しているからである。材料の生み出す機能・使用価値にのみ着目し、その環境負荷には目をつぶってきた学問や生産活動のあり方が鋭い批判と矛盾に直面している。

 環境を損なう廃物をどう処理するかではなく、材料の生産過程そのものをどう変えるか、がマテリアル・サイエンスの基本的課題である。原料の掘り出しから、その化学処理や加工処理において、さらに、使用中および廃棄または再利用の全過程において、環境負荷を最小化する材料設計のコンセプトが求められている。

 例えば、新素材として登場し、エレクトロニクスやコンピュータに使われようとしている機能材料のなかには、毒性元素(ヒ素、タリウム、水銀など)を含むものが多くあるし、その製造工程でフロンやトリクロロエタンなどの有害化学物質を使用していることも少なくない。環境を視野に入れることは材料設計の不可欠の要件になってきている。そのための1つの新しいアプローチがライフ・サイクル・アナリシス(L-CA)と呼ばれるものである。製品がたどる全プロセスを対象に、大気・水・固形廃棄物の汚染を数量化し、環境負荷の軽減をめざす研究手法である。

 鉄鋼のような構造材料においては、量の膨大さからリサイクル使用が不可欠になってきている。いずれ近いうちに、リサイクルされねばならぬ鉄の量は鉄鋼石からの生産量を越え、鉄鋼製錬は都市という「人工鉱山」からの原料で行う時代が来ざるを得ないだろう。そのとき、製錬技術は全く別のものに生まれ変わる可能性がある。

 環境負荷の少ない材料を開発するためには材料科学研究者が自然環境についてよく勉強することも大切であるし、逆に、環境問題を考える上でマテリアル・サイエンスがよく理解されることも重要である。リサイクルと言っても、制度さえ整えば簡単な物質と、非常に再利用が困難な物質がある。材料科学ができることとできないことをはっきりさせ、アピールすることも材料研究者の社会的責任である。そのことを含め、材料科学の前には広大な新しい活動領域が広がっている。

 今、工学部材料系学科が中心になって新しい大学院研究組織として「材料科学研究科」が構想されつつある。それは、今まで工学系、理学系、社会人文系、医学系、農学系などでばらばらに研究開発がなされてきた「マテリアル」に関わる学問分野を、社会と材料、自然環境と材料、生体と材料などの学問的視座でとらえ直し、その内包を豊かにするとともに、関連学問分野との連携を深めようとするものである。さらには、欧米諸国との知的国際分業、AA諸国との等身大の科学技術協力・移転を視野にいれている。この構想の実現に期待している。

 さて、教養課程の学生の皆さんにとって、マテリアル・サイエンスあるいは材料科学という言葉はなじみの薄い単語のようである。今までの説明で、多少身近に感じていただけたかどうか。

 工学部材料系学科では、マテリアル・サイエンスの内容を具体的に知っていただくために、「物質の技術と科学〜マテリアルサイエンスの世界〜」と屈する自由研究ゼミナールを4月から開講する。以下の内容を予定している。

(1)マテリアルの技術と産業の意味と課題 〜エコエテイカについて〜
(2)我が国の科学技術政策
(3)自動車における物質の技術と応用
(4)エレクトロニクスにおける物質の技術と応用
(5)結晶、準晶、非晶:完全から不完全迄固体の科学
(6)最強の磁石を作る
(7)高温超伝導材料を作る
(8)金属の科学
(9)無機材料の科学
(10)宇宙空間での材料実験
(11)ニコマテリアルとは何か
(12)これからの新しい物質と金属製錬プロセスと学問
(13)工学部材料系学科見学会および材料科学研究者との交流会

 この講義では、材料の実際の応用例を通して分かりやすく物質の技術を紹介するとともに基礎となる物質の科学、さらに環境と調和する材料技術の展開の方向についてとりあげ、マテリアルサイエンスの世界の姿と意義について理解できるようにしたい。

 宇宙空間での材料実験について宇宙飛行士の毛利衛氏にお話を伺うほか、大学外からも何人か講師をお願いしている。また、学科見学会と交流会も行う。

 最後に、工学部材料系学科(材料学科、金属工学科)の卒業生の進路について。1学年約80名の学部生の過半数が修士課程に進学し、修士から博士課程への進学も10〜20名を数える(それに外国人留学生が加わる)。卒業後の就職先は、材料メーカ(鉄鋼、セラミック、ガラスなど)、電気メーカ、機械、自動車と多方面にわたっている。大学・官公庁の研究者の比率も高い。最近の傾向として、シンク・タンクや商社、放送局など3次産業への志望も結構高い。

 われわれ教師の側としては、材料科学の研究と教育に意義を感じる優秀な学生が大学に残って後継者として育って欲しいと願うとともに、材料科学を学んだ問題意識豊かな学生が産業界あるいはより広いフィールドで活躍して欲しいと願っている。


agc@park.itc.u-tokyo.ac.jp