創成生物学の勧め

        農業生物学科長 小林 正彦

1.農業生物学科の紹介:創めに命題ありき

命題:底点をあたかも学科の偏差値の如く考え、使命感や自分の適性・興味を度外視し、自分の点数と進振り先がステイタスシンボルやブランドであるかのように錯覚している学生に何を訴えたら良いのか。

 農業生物学科は、現在、農業生物学専修と緑地学専修に分けて進学振り分けを行っている。これは、研究教育内容が変わってきたためで、植物や昆虫などの有用生物を中心に研究を展開している農業生物学専修に対し、緑地学専修は公園や緑地の設計、管理が主体になってきたからである。緑地学専修は定員数が少ないためか毎年数倍の志望者があり、農学部では最も人気が高い。ところが、本体といえる農業生物学専修の方は、かつては、かなりの高得点の学生で一杯になっていたのが、この数年急に学生が来なくなった。高得点の学生が必ずしも優秀な研究者になるとは限らないが、少なくとも、農業生物学をめざす若い頭脳が減少することは、後継者の養成に支障をきたすばかりでなく、次世代における日本の農業生物の研究の質と量が低下することが心配される。農学の研究は、工学や薬学に比べると民間企業の研究がきわめて少ないため、国や公共の機関が農家に代わって研究を行う必要があり、若い頭脳が不足することは深刻に受けとめなければならない。そこで、緑地学専修はさておき、農業生物学専修を中心に、私の考えを披露して学科のことを理解して戴こうと思う。

2.農業生物学と創成生物学

ただの生物学ではない。ただの応用生物学でもない。ふつうの純粋科学である。

 分析科学としての生物学がある。生物の現象を解析し生物の理を探求するもので、これが理学的生物学である。当然のことながら農学における生物学も論理的解析を加えるが、それを比較し総合する過程を経て創生する科学に至るところが、理学的生物学と異なっている点である。比較と総合の過程には、我々人類の在り方まで含めて、多様な課題と価値観が折込まれてゆく。したがって、これは基礎生物学を技術化するというような単なる応用生物学ではない。農学や農業生物学は、医学がそうであるように、生物学を基盤としているが、決してその応用科学ではなく、独自の学問体系をもった純粋科学なのである。

3.創成生物学とは

自然や生物の改造ではない。ましてや、生命の改竄でもない。知恵の集積である。

 では、何を創成するのか。一つは、物を創ることである。人類の生活に必要な食糧や環境を確保するため、多収性、耐病性、耐寒性、耐干性、耐虫性を備えた作物や有用昆虫を創成すること、および、環境修復能力の高い植物を育成することである。もう一つは、様々な仕組みや新たな価値を創成することである。例えば、植物や蚕でインターフェロンや抗体を作らせる仕組みを開発したり、生物のもつ特殊な機能を見出だしそれを評価し顕在化させる方法を開発したり、あるいは、根や茎の発生や分化の仕組みを調べ茎の長さをコントロールする方法を編み出すことなどである。

 当然そこには、分子生物学的手法すなわち生命工学あるいはバイオテクノロジーと称される研究方法が用いられているが、それは手法であって目的ではない。創成生物学というといかにも神聖なる生命の尊厳を侵すかのように思われがちだが、私達は生命や生態というものを最も重視している。創成にいたる比較と総合の過程に、多様な知恵と価値観が折込まれているからである。

 糧と緑を創造する私達の学科の中心的課題は「持続的で効率的な生物生産」と「生物による環境の修復保全」である。これらは、効率的生物生産や生物による環境の浄化・修復機能に生態系の時間軸を加えたものである。死をもって消滅する個々の生命は、子孫を残すことにより連綿と連なる種としての生命の鎖をもつ。農業は、この生命の連鎖を増幅して利用するものであり、当然のことながら、農業生物学は生命の時間軸をもった創成的生物学でなければならない。また、「食糧分配の不均衡による飢餓と飽食の混在」、「人間の生活・生存環境の地球的規模で破壊」といった大きな命題は、農学部全体で協力し、同時に国籍を越えた多くの人材が協力して取り組まなければ解決できない。農業生物学科はこれらの国際農学にも創成科学としての立場から取り組んでいる。

4.進振りなんか、されど進振り

虚学の台頭と実学の衰微、真理と真実。

 今年から、2段階選択による進学振り分けが行われるようになり、学科としてはひそかに期待するものがあった。7月の1次集計結果ではこれが見事に裏切られた。理科?T類と蝕U類では、底点を学部単位で大雑把にみると、理学>薬学>工学>農学の順になっている。「理系離れ」が、理系のなかでも創造的分野の人気低落となって現われているような気がする。もともと、工学は油まみれになるものであり、医学は血まみれになり、農学は土まみれになるものであるが、いずれの学部でもこれらの本来の分野が次第に敬遠されるようになってきている。これを「学問の変質、虚学の台頭と実学の衰微」などと大げさなことを言う心算はないが、最も優秀な学友が油まみれを覚悟で工学部に進学し、彼らの努力が日本を支えてきたことを見てきた私には、何か腑に落ちないものがある。

 最近の進振りでは、物理、心理、数理など、理を追求する分野が人気がある。確かに、理を追求するのは格好がよい。しかし、真理と真実ほ違う。数学は真理を解くが真実を解くものではないと思う。ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は、どちらも真理であるが、どちらも真実であるとすると真実が二つあることになる。真実は二つある訳にはいくまい。

 生物にはたくさんの理が重なって、ぶつかりあっている。細胞をひとつとっても生きるための構造と死ぬための構造があり、どちらもー理を持って存在している。細胞は各々が個別に生きてゆく機能を備えているが、同時に、個体が生きてゆくために自ら死んで行く機能を有しているのだ。生きるための機能と死ぬための機能、一見矛盾する機能が個体の統制のもとに発揮され、器官の発生や生命の維持を図っているのである。生物学は物理や数学に比べたら遥かに多くの理を含んでいる。若い頭脳には、理路整然としたものが受け入れやすい。生物学のようにたくさんの理路が、時として矛盾する理が堂々と存在し迷路となっているものは、とても純粋な頭脳には受け入れられない。ましてや、創成生物学などという理と共に価値観まで包含するものは、相当成熟した頭脳でないと受け入れてもらえないかもしれない。

5.創成生物学の歓び

研究はパズル解きだ。挑戦してみよう。

 私はゲームやパズルが好きで、つい熱中してしまう。学生に見つかったとき「実験研究は自分で仮説(問題)をたて、それを実証する(解く)ものであり、解答があるかどうかも判らないパズルを解くようなものだ。だから、・・」と弁解がましい話を説教口調でする。訳の判った理路整然としているものは、もはやパズルでほない。農学部の各分野とりわけ農業生物の分野は一生楽しめるパズルの宝庫であり、パズルを解くことで人の役に立つことが実感できる、こんな素晴らしい学問はないと思っている。

6.先輩たちの行方:就職先

農学部を卒業するとなぜか優しい人になる

 仕事を楽しみ、結果として自分と人の生活の役に立つ、これを至上のものとする考えを身につけた農業生物学科の卒業生は、社会の多様な分野で活躍している。日本をほじめ世界の大学で研究教育者として、あるいは国立の研究機関や民間の研究所の研究者として活躍している。また、出版、報道、金融、商業、国会議員等の畑違いの分野であっても、農学の価値観を遺憾なく発揮し、社会的オピニオンリーダーとして活躍している。

7.創成生物学の勧め:終わりに解あり

解:とにかく来れば良さが判る。

 雄渾な構想をもつ新しい農業生物学、それが創成生物学である。今、学科は大学院重点化による飛躍の時を迎えている。その狭間の時を同じくし、次の飛躍へ向けて共に出発しようではないか。

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